「ストレートに重すぎるが、言葉ではなく映像で表現している」終わらない青 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
ストレートに重すぎるが、言葉ではなく映像で表現している
7人に一人いると言われる女性のリストカット経験者を題材にしている作品。
いまでも一定数はいると思われる家庭内DVと性的虐待。
作品の中にあってもいいはずの救いがどこにもないということが、これが現実だと訴えているのだろう。
楓はおそらく幼少期から日常的に性的虐待を受け続けているため、逃げるとか助けを求めるなどといったことができない。これが現実だと言っているようだ。
隣人が物音がおかしいと思ってやってきてくれたが、逆に身を潜めてしまう楓。
一家は完全に父親によって支配されている。
一見厳格な父という感じだが、自分の考え方に従わないものは許さない異常者。家族の中で絶対的存在になっている。
そのため、楓は学校ではごく一般的女子高生を演じている。
タイトルの「青」とは支配者を示しているのだろう。家の中の小物類の多くが青で統一されている。
母も支配されているが、楓にとって母は味方なのだろう。テーブルに飾られている二輪の赤い花がそれを象徴している。その花を用意し続けているのは楓だと思う。
また、晴れた青い空の日に赤い傘をさしているのは、その支配から逃れたい思いの表れだ。
そして死骸となった犬に心を寄せるのは、それがあたかも楓自身だと考えているのだろう。
死んでも誰からも相手にされない。でも私だけはわかっている。小さな赤い傘を添えたのはその小さな弱い命に対する思いだ。
楓が楓の木に話しかけるシーンがあるが、楓は自分をママだと話していることから、おそらく彼女は妊娠しているのだろう。
楓は恐ろしいほどの虐待を受け続けていながらも、「生」への否定はしていない。
自分の分身のような子供の誕生をむしろ喜んでいる。
テーブルの赤い花が3輪になっているのは、新しい命を祝福しているのだ。
楓にとってリストカットの意味は父に対する当てつけだ。父自身のセリフの中に出てくるが、それはそのままその通りだろう。父自身がそれを知っていることがその裏付けだ。
新しい命を産むことが楓にとって今後も生きていくことができる「希望」だったのだろう。
同級生にバイトの紹介を頼んだのも、自分が子供と一緒に生きていく決心だろう。
赤という自分自身を表す色を絶えず身に着け、リストカットしながらも生きる希望を探し続けてきた17年間。家庭以外では決して父の支配を受けまいとする強い意志。
雨が降っても傘を差さずに晴れれば傘を差す。
楓は文字通り必死になって自分自身を保ってきた。
それが突然の流産によって流れてしまう。
駅のホームとトイレでの長すぎるシーンの意図は、それが生理ではなく流産であり、生きる希望が消えたことであり、今後も続く支配から逃れられない絶望なのだろう。
それは、彼女の生きる目的が失われた瞬間だった。
楓は傘の骨を取り出し、自分の腹に何度も刺す。遠のいていく意識の奥で聞こえてくる駅のホームのアナウンス。
ここでエンドロールを迎えるが、すべてが彼女の視点、一人称で描かれている。
気を失った彼女は駅員によって救出されるだろうし、そうなれば病院で検査を受ける。
楓が性的虐待を受けいていた時、一瞬カメラワークが監視カメラモードに切り替わる。
つまりすべてがバレるのだろう。
そこまでいかなければ明るみにならないそんな家庭で起きている実態を監督は世間に出したかったのだろう。
セリフっぽいものがほとんどないのも、より現実的にこのような実態を描きたかったのだと推測する。
セリフがないことで説明という解釈がなくなるが、それを映像だけで表現している点が、この映像を作品にしている。
演技よりも純粋なる映像がそこにある。
楓ひとり、一人称では描かれない救いは、その後を考えれば「ある」のだ。
以前起きた「野田小4女児虐待事件」で、少女が学校のアンケートに「助けて」と書いていたにもかかわらず虐待死した事件を思い出すが、「助けて」と、お願いだから叫んでくれという監督の声が聞こえてくる作品だった。