アントキノイノチのレビュー・感想・評価
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僕らが物を遺す理由
遺品整理業という仕事がテーマゆえ、物語もなかなかにヘビーだが、
観終えた後は前向きな気持ちになれる映画だった。
遺された物たちが伝える、遺された者たちへの想い。
そして、遺された理由。
少し前まで『物より想い出』なんてCMがあったけど、
『物』に『想い出』を託す事の方が人は多いのではと常々感じる。
人間の脳細胞なんて所詮儚い。どんなに大切な記憶でも、
やがては頭の片隅で埃を被って見えなくなってしまう。
それが堪らなく嫌だから、僕らは物を遺すんだと思う。
それが記憶の上の埃を僅かばかりだが払い落として、
いつか誰かと繋がっていた事を思い出させてくれるから。
親しい人々が、そして自分自身が幸せだった事を証明してくれるから。
それは『物』だけでなく『者』であっても同様と、映画は語っているようだ。
遺された人は、今生きている人は誰しも、亡くなった誰かの大切な存在証明。
「忘れなくてもいいんだよね」という言葉がじんわり暖かい。
……が、不満に感じた部分も多々。
(毎度小姑みたくスミマセンね)
主人公が事故死してしまう最後の展開は、
それまであくまで見知らぬ人のものだった“死”を、
より身近なものとして語るという点で有効だとは思う。
有効だとは思うのだが……
あれじゃあざとい商業映画みたいな演出にしか見えないし、何より現実味が薄れてしまった。
あんな綺麗に“死”を演出する必要があったのかな。
それに、本作はとかく饒舌過ぎる。
台詞も映像も感情表現(泣く・叫ぶ)もしつこく思える程だ。
例えば柄本明と妻との回想シーンが無くてもマグカップが大切な品である事は伝わった筈だし、
榮倉奈々が過去の傷について語るシーンも、何度も語らずとも観客は察する事ができただろう。
まるで感情の全てを逐一説明しようとしているかのようで、
こちらが解釈を巡らせる余地が殆ど無い。
一方で、岡田将生の友人に関しては彼らを“親友”と呼ぶだけの理由が伝わらず、
あれだけの精神的ダメージを被る事について説得力不足ではと感じた。
以上!
不満たらたら書いた後でナンだが……それでも暖かくて良い映画でした。
最後にひとつ。
本作では写真が重要な要素として登場したが、
それを見て『記憶の窓』という言葉を思い出した。
とある物語で、写真の事をこう表現していたのだ。
記憶の窓。いつか誰かが覗いた光景。
僕らが写真を遺す理由。
<2011/11/18鑑賞>
賛否両論のラストは必然です
ホントに期待しないで見に行った映画ですが嬉しい誤算でした。見たい度(3.3)と評価(3.5)が逆転(20011/11/20 20:29)しているのも納得の映画です。
タイトルの安直さと原作が純粋な作家/脚本家ではないという点から、今一感は覚悟していたのですが、さだまさしのクレープ時代の「精霊流し」の繊細さに唯一期待しての鑑賞。まさにどんぴしゃでしたね。極端に「地味」な映画ですが、その分記憶に残る映画です。
この映画の特筆する点は主人公に吃音があり、その言葉やその情景を大事にするために、不要な効果音や音楽を極力排除しているところです。結果的に、台詞の一つ一つが重くて大事なメッセージになっています。遺品から生きていた証拠を探る、ある意味、死から生を後方視的に探るというやり方は、医療ドラマの真逆であり新鮮でした。会社名の「クーパーズ」はひょっとすると外科用のはさみ(クーパー)からきているのかも。
遺品からその人の生きているところを想像しなくてはいけない「遺品整理」はある意味、非常に疲れる仕事でしょう。主人公の長島はそのあたり熱演されています。遺品整理を他人にゆだねる事は、時に死んだものに対する「怒り」がある場合があるのですが、そこで「許すこと」を獲得していくすばらしさがこの映画にはあります。「命はつながるもの」というテーマが出ていますが、残されたものが失った大事な人の記憶を整理することがつながる事のいみかと思います。
ラストの久保田さんの死に関して賛否両論なんですが、これは「生前の記憶のあるものが遺品という物質とそれにまつわる記憶の整理をする」という、ある意味「家族」の辛い仕事を示唆したものです。これはさだまさしの「精霊流し」なんですね。
遺した希望、遺された命
初めてこのタイトルを見た時、あのモノマネ芸人が頭に浮かんで来ましたが、内容は大真面目です。そして暗いです。
心をズタズタにされ、心を固く閉ざした若い2人が、遺品整理の仕事を通して心を取り戻すという、ストーリーとしてはいたって単純。主人公・杏平の過去と現在が何度も交錯します。
子どもには見せづらい面もあります。最初のシーンから杏平が全裸で屋根に上ったり、あと、友人の飛び降り自殺。グロとはいかなくても、描写が直接的でPG12でも仕方ないかな…と。
上映時間を3分割したら、最初の1/3は上記のようなシーンで入り込めましたが、2番目は気分的にしんどかったです。荒れ果てた主亡き家の中がかなり壮絶で…。画面からニオイが飛び出して来そうな程に衝撃的で、気分が悪くなり、正直、劇場から逃げ出したかったです。また、どもっていて言葉がなかなか進まない杏平がとてもじれったい…。
しかし後半、ゆきちゃんが自身の苦しい過去を語り初めた辺りから、気分は回復。2人それぞれに感情移入ができました。特に、ゆきちゃんが辞めた後、彼女を心の支えに奮闘する杏平の、空回りもある成長ぶりには、気持ちが暖かくなりました。
2人がそれぞれの道を生きる最後の1/3、ラストで杏平が遺品整理をしているシーン。あることにハッと気付いたその瞬間、感情が急激に込み上げ、目頭が熱くなり、声をあげそうになるのを必死で抑えました。
杏平はゆきちゃんに出会い、彼女がくれたモノは、きっと何物にも代え難いはず。だから、これからは迷わず前を向いて生きていけるよね…。もう、ひとりじゃない…!
人間、死んでいく時はひとり。
死後の凄惨さを知ってしまったから、その場から途方もない孤独と絶望が透けて見えるから、「ちゃんと生きたい」と心の底から思えるのかもしれません。主亡き家の中も、すべて《あの時の命》が積み重ねた営み。
こんなにも殺伐な現代だからこそ、この映画から人と人とが繋がり合うことが尊く思えました。
ただ、海岸での「"あの時の命"って何度も言ってみて」の件はどうなんだろう?妙にスベった感が…。
「プロレスラーみたいに聞こえる!」
いや、そのプロレスラーのモノマネをする芸人に聞こえます。
変に隠さず直接名前を出して叫んでも良かったのでは?
「アント〇〇イノ〇!!」って。
監督は原作の持つ深いイノチのメッセージをさっぱり理解していない!
本作は、トラウマを抱えた青年、杏平が遺品整理業という特殊な仕事に関わることで、未来を掴んでいく物語です。
これを松竹が手掛けるということは、明かに『おくりびと』の二匹目のどじょうを狙っているものと穿ってみてしまいます。しかし、本作の監督は原作の持つ深いところでイノチは繋がっているのだという人間の霊性のテーマを理解できてなく、『おくりびと』の感動に遠く及びませんでした。『人は誰でもひとりで死んでゆく』という台詞が、劇中出てきます。ただ原作者の真意は、それでもイノチは倶会一処で一つに繋がっていくのだ。死別したイノチとまた出会えるのだというところにありました。そんな死というものに対する受け止め方の違いが、原作は希望に向けた再生のドラマだったのに、映画では悲劇的な結末という違いを産んだのではないでしょうか。
頻繁に描かれるのは、杏平が高校生の時に体験したトラウマの心象風景。これがやたら長回しなのです。しかも台詞抜きの演技と心象風景に不安感を煽る音楽だけで、まるでホラー映画の出だしを見ているかのような鬼気迫る映像です。冒頭からして、すっ裸の杏平が自宅の屋根の上から、外を呆然と眺めているという奇怪なシーンからはじまりました。
頻繁に高校時代と現在がカットバックする構成も本作を分かりにくくしている要因です。重くのしかかるトラウマを超えて、遺品整理業のアルバイトについた杏平は、自分の居場所と生き甲斐をやっと見いだします。それでも発作のように襲いかかるのが高校生時代の傷ついた記憶。自分は人をふたり殺したという杏平に何が起こったのか、過去と現在を往復しながら、そのトラウマの真相に徐々に迫るという展開でした。ちょっとミステリにタッチに明かしていく杏平の過去は断片化が激しくて、分かりづらくなっています。なかでも、杏平が悪いわけでもないのに、親友を裏切ったことが親友を自殺に追い込んだと勝手に決めつけてしまうところは、唐突で納得できませんでした。またもうひとりのクラスメートに至っては、部活で遭難するところを危機一髪で救っているので、とても殺したことにはなりません。ちょっと説明不足な脚本なのです。
脚本に問題はあるものの、トラウマを背負いながら、遺品整理業を通じて人の死に向き合っていくという難しい役柄を体当たりで岡田将生が好演しています。今まで二枚目ぶりとはちょっと違う、かよわでクレイジーな雰囲気を上手く作っていると思いました。
さて遺品整理業の先輩として杏平の指導にあたるのがゆき。てきぱきした仕事で、死体があったことなんてしげにもかけません。溌剌としたワーキングウーマンぶりは、これまでの榮倉奈々が演じてきた役柄や可愛いだけのイメージとは、ちょっと違います
そんなゆきもまたレイプされた過去を持つトラウマの持ち主でした。お互いに心の傷をもつ二人は、次第に惹かれあっていきます。しかし、一線を越えようとゆきのほうから誘ったのに、男に対する拒絶反応がでてしまい、そのまま会社まで退職。ゆきは、一方的に杏平のもとから去って行きます。
この展開も、ゆきの決断が唐突すぎるように見えてしまいます。もう少し丁寧にエピソードを重ねるべきでした。
諦めきれない杏平は、ゆきのゆくえを探し続けます。やっと介護施設で働くゆきを見つけたのに、ゆきは杏平を無視するのでした。ちょっとここでもゆきの気持ちが分からなかったです。
失意の杏平。でもゆきは単に拒絶しただではなかったのです。エンドロールで出てくる映像には、浜辺で再会した二人が触れあうシーンがあります。その時ふたりが叫ぶのは、「1、2、3、ダァー」という猪木の決めぜりふ。監督にとって、「アントキノイノチ」のオチは、アントニオ猪木だったのですね。ガックリ!
このあとゆきに不幸なことがおこり、杏平は不本意な再会を果たします。たぶん観客の涙狙っての演出でしょうけれど、伏線がわざとらしくて、『おくりびと』のラストのようには泣けませんでした。岡田将生の演技は素晴らしいほど、役に入れ込んでいたのに、彼には申し訳ない限りです。
他に職場の同僚として登場する原田泰造や上司役の柄本明いい持ち味を発揮していました。
いろいろ酷評しましたが、それでもトラウマを抱えた人の心象には、必要以上にリアルに迫っていると思います。いまウツで悩んでいる人や死別した苦しみを抱えている人は、本作で今のイノチとアントキノイノチ、そして未来に生きるイノチが一つに繋がっていて、自分を照らしていてくれていることを掴んで欲しいものだと願います。
しんみり考えさせられました。
予想外の結末に、愕然とした・・・・
心に闇をかかえる主人公の2人が、他人の死に向き合い生きるということの難しさ、さみしさ、はかなさを目の当たりにして得たものとは・・・・・??
平和な人生を歩んでいる私は、自分が死ぬなんて考えたこともなかった。
でも、必ずだれにも訪れる「死」について、深く考えさせられた。
『人は誰でもひとりで死んでゆく』そんな言葉が映画のワンシーンで語られていた。
どんな形で死を迎えるかは分からないけど、やっぱり、一度しかない人生きちんと後悔ないように生きたいと思った。
当たり前の、大切な人との毎日・・・
「おはよう」「おやすみ」「いってきます」に幸せをきちんと噛みしめたいと思った!
もっと、もっと、日常を大切にしなきゃ。
いつか死に別れて、お互いが離れ離れになってもさみしくないように・・・
たくさんの幸せな思い出で心が満たされているように・・・
幸せな毎日を過ごさなきゃ!って思った。
大切な人と、是非見てほしい作品です。
泣かせたかった?
さだまさしの原作らしいストーリー。
岡田将生(永島君)と榮倉奈々(ゆきちゃん)若い二人が主演。
モントリオール映画祭で受賞ということで期待して観に行きました。
高校生の心の闇や無関心を装うことで保たれる調和。
大人たちの事なかれ主義。
そんな環境で、「生きること」に絶望し傷ついた心、壊れた心が、
遺品整理業で働くなかで、遺された物との触れ合いや傷ついた者同士の触れ合いで生きるということを考え、見つめ直し
生きたいと思えるようになる。
試写会会場では、すすり泣きが聞こえましたが
私は泣けませんでした。
それどころか、永島君がゆきちゃんの写真集を見ているシーンでは、
なんだかとても温かい気持ちになれて、微笑んで観ていたようにさえ思います。
若い二人が、別々の道でも良いのでそれぞれの未来を歩き始めるようなエンディングの方が
私的には好きな映画になると思います。
泣かせたい意図が見える原作を、温かい演出で救われたように思うのは、私の思い込みでしょうか?
友人役の染谷将太は、お気に入りです♪
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