「このタイトルの持つ深い意味」アントキノイノチ Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
このタイトルの持つ深い意味
「アノトキノイノチ」→「アントキノイノチ」→「アントニオ猪木」。この連想からコメディーなのかと思いがちだが、本作は命の重さを真摯に捉えた“真面目”な人間ドラマだ。では何故こんなふざけた(失礼)タイトルをつけたのか?それは悩める主人公たちが、一歩前へ進むきっかけとなる重要なシーンで明かされる。それを観たとたん、このタイトルの持つ深い意味を理解し、「してやられた」と思った。
岡田演じる主人公杏平は、高校時代にイジメを受けていた親友が自殺をしたことをきっかけに、今度は自分がイジメられ、そのことからイジメている本人や、見て見ぬふりをしているクラスメイトや教師に殺意を抱き、そのため重度の鬱病にかかった過去を持つ。そんな彼が「遺品整理」という仕事を通じて、再び“死”と向かい合う。世の中まだまだ知らない仕事が沢山ある。「孤独死」も珍しくなくなった高齢社会、遺族の代わりに遺品を整理する仕事があることを初めて知った。ほぼ毎日、彼らは遺品整理に出かける。これほど多くのニーズがあることに軽いショックを受けた。「死」の形も様々なように、その家にある「生きた証」の形も様々。杏平はそこで暮らした人々が、毎日どんな風景を見ていたかを想像して深い悲しみに襲われる。感受性の高い者にはこの仕事は辛い、しかし感受性が高くなければこの仕事は務まらない。「ご供養品」と「ご不要品」の選別は、その人の生活を想像できなければ到底できるものではない。その上、過度の感情移入をせずに、不要な物は不要な物とする冷静な決断力も必要とされる。この難しい仕事を通じて、失われた「アノトキノイノチ」を、受け止め受け入れた上で生きていくことの必要性を知るのだ。
さて、遺品整理の先輩として杏平と共に働く榮倉演じるゆきの存在を忘れてはならない。彼女は、高校時代にレイプされ、妊娠したが流産してしまったトラウマから重度の男性恐怖症に陥っている。彼女もまた、失った子供の「アントキノイノチ」を受け入れられずにいる1人だ。
杏平がゆきに過去を受け入れて前向きに生きることを説くシーンで、前述のタイトルの意味が明らかにされる。「あのときの命って繰り返して言うと、プロレスの人になっちゃうんだよね。」こう言われたゆきは笑顔になり、海に向かって「元気ですかー!!」と叫ぶのだ。真面目なシーンでおチャラけてしまうのは若者の特徴。気恥ずかしさが先に立つのだろう。私はこの杏平の行動を不謹慎とは思わない。肩の力を抜いたコミュニケーションがこの2人には必要だからだ。「あのときの命」が「元気ですかー!」に繋がることの重要性。だが、その重要性は本作を観なければ解らないのがこのタイトルのネックだ。
さて本作は、若い2人が命の重さを真摯に見つめ、前向きに生き始めるというとても良い作品だが、ただ1つ個人的にとても残念に思うことがある。それは、ラストでヒロインを事故で死なせてしまうこと。私は唐突に登場人物が死んでしまう結末にどうしても納得がいかない。人を感動させるには誰かを死なせればいいという安易な考えがあるような気がしてしまうのだ。失った命のためにも自ら精一杯生きようと思い始めたヒロインを死なす必要性をどうしても感じない。もちろん自分が深く関わった人の遺品を整理するというシークエンスが欲しかったのであろうが、主人公は十分死者と向き合っているのだから、ここでもう1度愛する人を失う必要が本当にあったのだろうか?「元気ですかー!」と最後に叫ぶ主人公の姿が痛々しい。
まあそれはさておき本作が、イジメや孤独死、家族の絆の希薄さなど、「遺品整理」を通じて命の重さを問いかける人間ドラマの秀作であることに間違いない。