「エクソシストになろう」ザ・ライト エクソシストの真実 しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
エクソシストになろう
いきなり結論だが、悪魔払いの映画のテーマは自分との戦いなんだな。
悪魔がいるか、いないか、どうか。
悪魔つきモノでそれを一生懸命追っかけるヤツが多いこと、多いこと。
そんなことはどうでもよろしい。
いるに決まっている。
「キック・アス」を観て喜んでいるヤツにとりついている。
まあ、それはおいといて、本作は簡単にエクソシスト誕生物語なのだが、「エクソシスト・ビギニング」「エンド・オブ・デイズ」より主人公の苦悩が薄く、お母さんを奪った神に対し、お母さんの愛した神の象徴である十字架を黙ってひん曲げちゃっただけである。
主人公は最初くそ生意気にホプキンス氏に意見をいうあたりは、主人公がもっと科学的な寄りの人間のほうが面白いのだが、実話だそうなので、ここは縛られっちゃったようだが、それでもおくりびとだった彼の死生観がもっと出ていれば、もっと面白くなったと思う。
そのクソ生意気な主人公が知る序盤のホプキンス氏の「一流のエクソシスト」像がなかなか楽しい。新味はここだな。
さて、悪魔つきモノでデフォルトなのは、知らない言語を話す、知るはずのないことを話す、天災などの超常現象。
対象が死んでしまっていわゆる「負けた」のち、このデフォルトに襲われる。これも夢落ちや妄想、錯覚、たまたま、としていくらでも片付く。終盤の同行者のオンナ記者も自分の罪に苛まされているので、これも同様。
第一そういうオカルト現象をどうのこうの言ってもムダ。こういう絵はデフォルトだもん。いれなきゃ映画にならないじゃん。
エクソシストものの見せ場となる悪魔とのやり取りはいつだって自分との対峙である。鏡に向かって喧嘩しているものだ。
本作の落としどころは
「悪魔を信じるから神を信じる。」
これに至る描写がデフォルト描写に時間を割いたため、その説得性が弱すぎるのは致命的すぎて、点数はとてもあげられないが、言っていることは他のエクソシスト誕生物語よりかは、拝むことしか知らないオレにはしっくりくる。
自分の内なる悪魔の存在を把握し、内なる神を模索する。進みたかった道ではない。だがそこにいるのは確かに自分であり、誰のせいでもない。運命と言う言葉は嫌いだが、その道を歩いた軌跡がある限り、その結果が運命なんだろう。こうなるはずではなかったという悪魔を抱えつつ、今日、明日もがんばっていこうという神の御心を自分の中に一生懸命探す日々は続く。
うーん、やっぱだりぃ。