津軽百年食堂のレビュー・感想・評価
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津軽そば
そばといえばどこですか。
そばは食道楽にとって定義されやすい食べ物です。
そば通の数だけ一家言があるでしょう。
それゆえ見識を述べると「ちがうぞ、なに言ってやがるんだ」とおこられてしまうかもしれませんが、個人的な認識ではそばは戸隠だろうと思います。
そばの名物化はそば畑の所在と対であり、救荒食物だったことからも、そこは米麦に適さない山間地域であろうと思われます。よって、概して山の食べ物であろう──というのがわたしの見識です。
ところがそばは日本全国にあり、各地で名物を謳っています。
海辺にもあり、つなぎに海藻をつかっている──などと海の特有性を売りにしています。
本作で出てくる津軽そばも出汁に鰯の焼き干しを使っていることが評判のそばです。
それらを見ると、つなぎや出汁はともかく、肝心のそば粉はどうしているんだ──と疑念を持ってしまいます。そばでいちばん重要な材料はそばではないでしょうか。
ただし、わたしはそば通ではないので「そばはこうでなきゃならん」というのはありません。小麦が八割の乾麺でもよろこんでいただきます。茹ですぎて余ったそばでもコロッケにしようとか汁物に紛れ込ませようとか──どうにでも打開策をして食べるでしょう。
そうはいっても津軽そばは不思議な食べ物でした。
青森県観光課が運営するウェブサイトまるごと青森には津軽そばについて以下の記述があります。
『挽きたて、打ちたて、茹でたての三たてがおいしいと言われる蕎麦ですが、津軽にはそうでない蕎麦があります。江戸時代に生まれたと伝わる「津軽そば」です。(以下略)』
概説によると、大豆をすりつぶした「呉汁」をそばがきに混ぜて生地をつくり、それを寝かせて熟成させます。さらに、製麺し茹でてから日持ちを良くするために「煮置き(茹でた麺を冷やす)」ということをするのだそうです。
結果、箸で持ち上げるとちぎれてしまうほど柔らかいコシのないそば、津軽そばができあがります。
コシ偏重の現代にわざわざのびた(コシをとってしまう)仕上げをすることに加えて、温そばのみの仕様も大きな特長です。
一般にそばといえば、もりやざる──すなわち冷そばのことを指すと思います。
温そばをつくるにしても茹でたそばをいったん氷水でしめる行程は外しません。それがコシをつくり、ぬめりをとるからです。
ところが津軽そばは「煮置き」をして一般的なそばの基本事項を度外視してしまうのです。不思議な食べ物ですよね。
いったん断っておきたいのですが、わたしは津軽そばを邪道視しているわけではありません。とんでもない。わたしは芯のなくなったパスタも、煮込みすぎたぼろぼろの鍋底麺も喜んでいただきます。
ついでの個人的な憶測ですが、そばのコシを気にするひとほど低能です。コシ偏重の時代だからこそ言うべきだと思いますが、コシがないコシがないと連呼するひとに「おまえうるせえから乾麺ボリボリ噛んどけよ」と言ってやりましょう。ふつうに考えて、コシを最重要課題にしたいなら茹でなきゃいいんですよ。
いうまでもないことですがコシを形成するのはグルテンです。したがって元来そばを食べてコシがないとかいうひとはあほです。小麦麺に比べて“はもろい”のがそばです。
逆に言うと、そんな“はもろい”そばだから、本作にあるように“さくらまつり”への屋台出店ができたのです。
そば通ならば「そばの屋台出店なんて、いったいどうやるんだ」と思ったはずです。それを解決するのが厨房設備がいらない津軽そばでした。
見たところばんじゅうに並んだ麺をサッと湯がくだけで簡単に提供しています。これなら水道設備も火器も簡易なものだけで屋台営業が成り立ちます。
──というわけで津軽百年食堂はなんてことない映画でしたが「妙なそば」の存在でけっこう記憶に残っているのです。
オリエンタルラジオのふたりが出演していることも希少でした。
それぞれ躍進し今やすっかり成功者ですが、オリラジを見るにつけ思うのは、ふたりとも顔がいいこと。
とくに藤森慎吾は美男で、お笑い芸人をあまり知らないわたしは当時この主役を演じているひとは誰だろうと思いながら見ていた記憶があります。
他の出演者ではちすんがいい感じでした。(現在(2023)は智順という表記になっています。)職人気質の頑固父親が伊武雅刀。福田沙紀、野村宏伸、藤吉久美子、大杉漣も出ていました。
大森食堂をおとずれたサラリーマン客が「こんなのそばって言わねえぞ、東京じゃこんなの食えない」と文句をいう場面があります。
それに対して陽一(藤森慎吾)は「これが津軽伝統のそばなんです。東京のとは別物と思ってもらえませんか」と言い返します。
温かいほろほろのそばは海からくる空っ風にさらされた津軽っ子のからだを温めたにちがいありません。
所変われば品変わる──という話です。
ならば「そばはこうでなきゃならん」とそばを定義するそば通は偏屈でしかありません。いずれにせよ食べ物にたいして鷹揚でありたいものです。
津軽そば
伝統の津軽そばをめぐるヒューマンドラマ。
青森県が観光の目玉として県内に残る老舗大衆食堂を百年食堂と名付てPR。そんな老舗大衆食堂、大森食堂は明治の創業、4代目を継ぐはずだった陽一(藤森慎吾)は頑固者の父、哲夫(伊武雅刀)と折合が悪く、東京へ出て風船アートという妙な大道芸で暮らしていたが哲夫が出前中に交通事故で入院、祖母の懇願もあり故郷弘前に戻って実家を手伝うことに・・。とストーリーはよくある故郷Uターン組の成長物語。
はじめ、津軽弁がよく分からず戸惑ったがドジな七海(福田沙紀)がふと発した津軽弁で陽一は同郷と気づき、二人の仲は急進展、啄木の歌に「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」というのがありますが地方から都会に出て、孤独をかみしめている人にとって心にしみる のでしょう・・。
食堂の初代をオリラジのあっちゃん(中田敦彦)、チャラ男のイメージの藤森慎吾さん主演とは思い切ったキャスティング、学芸会にならないかと冷や々々しましたが意外にも器用に演じていましたね。
劇中でも弘前の桜祭りや八戸の漁港、美しい海岸線、お岩木山などが映されましたが本作は3.11の震災を挟んでの撮影、公開となりましたので製作陣、関係者には辛いものがあったでしょう、お察しいたします。
(脱線です)
本作の大森食堂のモデルは漫画「美味しんぼ」でも出てきた「三忠食堂」だそうだが他にも「幻の津軽そば研究会」を立ち上げた弘前城公園の「野の庵」や「田沢食堂」、黒石市の「すごう食堂」など数多いし、津軽そば処は老舗食堂に限らず五所川原駅にもあるらしい。
劇中で東京の客が麺に文句を言うシーンがあったが、東京のそばは江戸時代に持ち込まれた信州そばが基本、一方、津軽そばも起源は江戸時代だそうですがつなぎに大豆粉や呉汁(大豆を潰して絞った汁)を使っていますし、一度茹でたものを湯がいて出していますから食感は違って当然。出汁は鰯の焼いたもののワタと頭を取って天日干した焼き干しに昆布、醤油で仕上げているそうです。百年も地元で愛される味とはどんなものなのでしょう、一度、食べてみたいものです・・。
確かに中途半端
あっちゃんと藤森ダブル主演の映画、藤森君は現代パートでチャラ男キャラは封印してバルーンアート職人になっています。バルーンアートを勉強したんだなと感じました。あっちゃんは明治パートでなんか違和感あったなと思います。明治パートはモノクロかセピアにして欲しかったかな。まあ本編は悪くもなく良くもないって感じでした。色々と中途半端、説明がない感じです。
俳優オリラジ、なかなかうぃ〜ね〜!
青森県弘前市を舞台に、父の入院をきっかけに実家の老舗食堂を継ぐ事になった若者の奮闘劇を、百年前の初代店主の姿と交互させて描く人情ドラマ。
オリエンタルラジオが映画初主演。
跡を継ぐ現代の4代目店主を藤森慎吾、初代店主を中田敦彦が演じる。
実質主人公の藤森が普段の“チャラ男キャラ”を封印してしっかり役者し、中田も明治男の雰囲気を出している。
これ見よがしに青森の名所が登場し、青森のご当地映画と言ってしまえばそれまでの事だが、根底にあるのが伝統と家族の物語。
父と喧嘩し実家を飛び出して東京でバルーンアートの職に就くも、同居女性に実家仕込みの津軽蕎麦を振る舞ったりと、実家への思いは強い。
戻って来て父と度々衝突しながらも、さくら祭で実家伝統の味を披露する。
その源は、初代店主から受け継いで来た伝統。
戦争の貧しい時代、腹を空かせた人々に振る舞った蕎麦の味。
公開直前にあの未曽有の震災に見舞われ、温かな作風が奇しくも復興エールに繋がった。
美味しい蕎麦が食べたい。
津軽そばをもっと。
名画座にて。
公開時に観たいなぁーと思っていた作品だった。が、
主演の二人がオリラジというのが、ちょっと鬼門だった^^;
せっかくの題材、俳優を使わなくていいのか?と思ったのだ。
予感は的中!?
良い悪いの問題でなく、どこをとっても中途半端なのである。
でもこれは二人だけの問題でなく、映画全体の構成が悪い。。
なぜこの食堂の話だけに絞って描かれなかったのだろう?
原作は分からないのだが、この食堂が百年食堂として四代続く
ことになる壮大な父子の話を、なんでこんなにゴチャゴチャと
他の話を絡ませ、織り交ぜ、テンコ盛りにしちゃったんだろうか。
とてつもなく勿体ない、せっかくの期待が出汁と流れてしまった。
現在を生きるのちの四代目(藤森)と初代(中田)の生き様が行き来
する冒頭の展開、分かり辛い描写や方言が多く、しかしながらその
風情は大切に描かれていると感じた。どんなに継ぎたくても先代が
認めてくれなければ(こういう展開は好き)、というジレンマと葛藤、
それが先代の思わぬ事故で店の存続危機を迎え、いよいよ息子の
お出まし!となるのだったが。。
頑固一徹な父・伊武雅刀がとてもいい。それだけに勿体ないのが
そば打ちや出汁へのこだわりなど、津軽そばにまつわるシーンが
あまりにも少なすぎること。なにを、どう、こだわっているのかが
全くこちら側に伝わってこないため、のちに息子の食堂に訪れた
東京からの客の暴言「こんなの、東京じゃ蕎麦とは言わねえよ!」に
対抗する息子とその友人の啖呵が、こちらの共感に繋がらないのだ。
そんなに自慢の蕎麦なら、もっとビシッと魅せてくれよ!というのが
津軽そばをまったく食べたことのない私が期待した最たるものになる。
もちろん鑑賞後に無性に蕎麦は食べたくなる。でも、食べるんなら
なにがなんでも津軽そば!!っていうところまでもっていって欲しい。
映画って、そういうものじゃないだろうか。
脇を飾るエピソードや、福田沙紀の演技は決して悪くない。
感動できるものもあるのだが、でもこの映画には蛇足に思えてくる。
先代から続く父と息子の一生懸命を主軸に、周囲の応援や協力を
添える描き方でじっくりと観てみたかった。あわよくば初代ももっと。
亡くなった祖母が想い遺したもの。その深さには感動できるのだから。
余談になるが、藤森の兄はイタリアンシェフなのらしい。
タモリ倶楽部でそう言っていた。彼も料理には興味があるようで、
普段お笑いで見せるチャラいイメージとはまったく違う印象を持った。
タモリは名シェフですから^^;その業を盗んで成長して下さいませ。
(興収の一部は震災復興にまわるのだそう。名画座ではダメかなぁ…)
今、だからこそ伝えたい
「恋する女たち」などの作品で知られる大森一樹監督が、お笑いコンビのオリエンタルラジオ、福田沙紀を主演に迎えて描く、群像劇。
東北人の気質は、質実剛健、素朴に無骨だという。多くを語らず、大事な言葉を丁寧に、簡潔に伝えることを是とする。穏やかな物腰の中に、燃え盛る情熱が見え隠れする。極めて一般的な意識をもってすれば、これに尽きると思う。
本作の舞台は、東北は青森県。作り手もまた、この作品を東北人気質の重ね合わせるように描こうとしたのだろうか。観客の想像力に委ねるような雰囲気重視の映像や、フェードアウトなどの余韻作りを巧みに拒絶した世界観。ここに見えてくるのは、伝えるべき熱き思いや暖かさを、素朴に、率直に主張しようとする無骨さと、純粋さ。その裏に見える優しき眼差しが、嬉しい。
撮影時には、現在東北地方が置かれている状況は全く想定できなかっただろう。しかし、まるで現状へと照らし合わせたように本作の軸となっているのは「力強く、支えあう人と人の絆」である。
言葉にするのは少々気恥ずかしくなるような、熱いテーマとなっているが、そこはキャスティングの妙。演技経験がそれほど多くない「オリエンタルラジオ」両者の力の抜けた魅力と、芯の強い親近感溢れる女性を演じさせたら右に出るもののいない福田沙紀の飾らない輝きが見事に溶け合い、劇的な人間の触れ合いを現実味を帯びたものに彩っている。
「大森食堂が舞台だから、受けてみました」と語る大森監督の軽快な指揮もまた、観客が抱え込んだ日々の緊張を柔らかくほぐしていく。気持ち良い開放感を生み出す、貴重な原動力だ。
本作の収益の一部は、東北地方に寄付されるという。観客はほっこりと暖かい希望に心満たされて、おまけに東北地方の復興にも貢献できる。こんな幸せな義援活動なら、快く手を貸してあげたくなる。今こそ、観たい一本だ。
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