さや侍 : インタビュー
野見隆明、“まさか”の「さや侍」主演の次に狙うもの
松本人志に見初められたこのおっさん、ラッキーボーイと呼ぶにはとうが立ちすぎているし、シンデレラストーリーというにはイメージがかけ離れている。野見隆明、54歳。松本の監督第3作となる時代劇「さや侍」の主演に大抜擢された素人だ。しかも本人は、映画であることを一切知らされずに撮影に臨み、主役だと分かったのは完成した作品を見たときという、なんとも異色の銀幕でビューである。いったい、このおっさんにどんな魅力が潜んでいるのか? 探ってみた。(取材・文:鈴木元、写真:堀弥生)
約20分の対話の中で、「まさか」と「ビックリ」を使うこと実に7回ずつ。公開が間近に迫っても、いまだに実感が伴わない証拠だろう。「さや侍」はそれだけ、野見の理解が遠く及ばないところで製作が進められていった。
「なんか吉本でDVDを作るからちょっと一緒に来てくれと言われて、オーディションを受けたみたいな感じで、気がついたら始まっちゃった感じですね。何が始まるんだろうという」
そもそも野見は、日本テレビのトーク番組「松本紳助」を観覧していたときに、松本の目に留まり、2003年、フジテレビの人間観察ドキュメントといわれた早朝のバラエティ「働くおっさん人形」で“芸能界デビュー”。これは06年、同局のおっさん教育バラエティ「働くおっさん劇場」へと進化し、ときにムチャぶりもある松本のマイク越しの指示に、一生懸命応えようとする姿が笑いと強烈なインパクトを与えた。
そして、今回の大抜擢となる。だが、脚本を渡さないのはもちろん、スタッフ、キャストをはじめ関係者には、野見に映画の撮影であることを悟られないよう徹底したかん口令が敷かれた。撮影場所にも松本の姿はなく、1シーン1カットごとに助監督らスタッフが指示を出した。立ち会っていたスタッフが「主役は決まっていたんですけれど、そう言うと本人が勘違いするので」とフォローする。
「なんでこんなことをやっているんだろうとは思っていなかった。DVDを作るんだから、一生懸命やらなきゃいけないと思っていましたね。面白いことをしよう、笑わせようというのではなく、言われたから言われた通りにしなきゃって」
「さや侍」は、ある出来事をきっかけに戦うことを拒み刀を捨てた侍が、脱藩の罪で捕らえられ、殿様から「三十日の業」を科せられる。母を亡くし笑顔が失われた若君を1日1芸、30日で笑わせられれば無罪放免、失敗すれば即切腹という難業に挑む姿を描く。
セリフはほとんどないものの、人間大砲や人間花火、ロデオマシンなど大掛かりなセットでの撮影に体当たりで挑戦。松本が「与えられたことはどんなことでも一生懸命やる」という評価通りに、黙々とこなしていく。そして撮影が佳境を迎えたころ、それまで別場所でモニターを見ていた監督が姿を現し映画であることを告げる。
「もうビックリしました。ビックリしたのと同時に、まさかと…。エヘヘヘヘへ。ビックリしましたねえ。プレッシャー? というよりもひとつひとつの演技をやらなきゃというのが頭にあったから、とにかくやり遂げようということしか考えていなかった。だから、終わったときは感動しました」
それでも主役ということは伏せられたままで、本人が知るのは数カ月後、完成した映画の試写会だった。
「まさか主役だとは思ってもみないし、試写会であっ、主役なのかと。本当にビックリしちゃって。まさかこんなにやっている(出演している)なんて、ビックリしたのはこっちの方。本当にビックリしたと、心から思いました」
すべての真相を知ったときの驚き、興奮が伝わってくるように言葉は上擦り、体は小刻みに震え、胸ポケットから垂れた携帯のストラップが揺れる。そんな野見のとまどいとは関係なく、ポスターや予告編制作など公開に向けた準備が進んでいく。それに従って周囲の注目度も高まったようで、先日、交番の警察官に声をかけられたという。
「『野見さんですよね』と聞かれたから、『そうです』って言ったら『映画見に行くよ』と言われました。素人のただのおっさんがこんなことをやらせてもらって、松本さんには本当にありがたいと思っています」
これからは「俳優」という肩書きがつくことに関しては「ピンとこない」と謙そんしながらも、どこか映画出演を狙っていた!? フシがある。
「自分の中ではいつかやってくれるかもしれないけれど、まだ早いんじゃないかと。『おっさん人形』『おっさん劇場』ときて、まさかここで映画がくるのかと思ったから」
公開が近づくにつれて取材を受けることも増え、5月7日には完成披露試写会で生まれて初めて舞台挨拶に立ったが、前日は緊張で眠れなかったという。不安になるのも無理はない。それでも、「お客さんがいっぱい入ってくれれば、一番うれしいなと思います」と精いっぱいのPRに努めた。
これまで松本と面と向かって話したことはほとんどないそうで、映画の撮影後も声をかけられていないという。しかし、調理師、絵画の販売と管理、バーテンダーなどさまざまな職を転々としてきた「ただの素人のおっさん」をここまで導いてくれたのは紛れもなく松本のおかげである。最後に「まだまだ松本さんに恩返ししなければいけませんね」と向けてみた。
「松本さんが映画を作るんだったら、もう1回出してもらえればありがたい。主役じゃなくてもいいです」
やっぱり、どこかしたたかである。