劇場公開日 2011年7月16日

「ジブリが原作から失ったものは?」コクリコ坂から satokaさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ジブリが原作から失ったものは?

2013年11月2日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD、TV地上波、映画館

単純

 DVDを見てから原作を取り寄せてみた。青春ドラマとして原作の持つ独特な輝きが映画では無難に?失われているのが残念なところだ。
 「なかよし」に連載されていただけあって、原作の圧倒的な女子高生目線に対して、映画では旧制中学から戦後共学化した中高一貫校でなおかつ男子女子のしっくりとした共学化がまだぎこちない故に、尚、旧制中学以来の風習を遺したままのカルチェラタン棟存続をめぐるエピソードへと素材を書き換えている。
 ただ原作の終了間近たった3コマ、別居して不在だった祖父の帰宅を前に部屋を掃除するホコリは、映画のカルチェラタンから舞い上がる大掃除中の積年のホコリにそのまま重なる。時代背景も素材も変えながら、映画の主要なシーンをすべて原作からそのまま採っている点に、宮崎駿の原作への強い思い入れが感じられる。
 原作は1980年内容現在、港町の私立中高一貫校の生徒会活動と制服廃止運動の過程で結ばれる恋のいきさつが、亡くなった父親をめぐる運命ドラマをはらみつつ描かれる。
 特筆すべきは、原作者が過去のいわゆる全共闘運動の息吹を伝えようとしただけではなく、社会主義革命等とかかわりなく当時の学生運動幹部の当局との癒着や、活動費の私的着服等があったことをも、青春をもてあますポテンシャル故の女子大生芸者との賭け麻雀等の行為を通してさりげなく描いていることであり、私が知る限りかつてこういうネタを正面からとり上げたものはコミック以外でもこれまでなかったのではないかと思う。
 映画は「清々しく一途」にこだわりすぎて原作のもつ一面の真実を見失っている。しかも、脱コミックで徹底したため、最早アニメでなければならない必然性はなく、うたごえ運動や朝鮮戦争を背景とした実写の青春モノになっていないのがむしろ不思議。

satoka