ポエトリー アグネスの詩 : 映画評論・批評
2012年1月31日更新
2023年8月26日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
<詩>と<死>の不可分な関係にも言及したイ・チャンドンの新境地
冒頭、河川のはるか彼方から自殺した女子中学生の死体が流れてくるショッキングな光景に目を奪われる。イ・チャンドンの映画には時として、観客が、直視するのを避けたくなるような<おぞましさ>を露呈させる瞬間がある。しかし、その名状しがたい困惑と不快さをもたらすのは、彼が差し示すビジョンが、私たちが内部に抱え持つ感情と深いところで共振するからにほかならない。
老女ミジャは介護ヘルパーをしながらつつましく中学生の孫息子を育てているが、絶えずコケットな笑みを浮かべ、言動も身に着ける衣装も周囲との異和感を際立たせている。彼女はアルツハイマーを患い、言葉や記憶の忘却の危機感にせきたてられるかのように、詩作教室に通い始める。やがて、孫が仲間たちと女子学生に性的暴行を加えていたことが判明し、緩やかに彼女の精神も変調をきたしてゆく。
ミジャは童女のようなイノセンスを発散しつつ、内なる<美>を追求するための詩作行為に没頭し、少女の末期の現場に追認するように佇む。一方で、遺族への慰謝料を工面するために、彼女はある決断を迫られる。ヘルパー先での老人の欲望に応えるシーンにおいて、画面いっぱいに映し出されるミジャの裸の背中の無防備なまでの痛々しさは忘れられない。
あまりに散文的で酷い現実に窒息されかけながら、ようやく、ミジャは一篇の詩を完成する。最後の授業で、先生が断片を朗読し、女子中学生の末期の瞬間の謎めいた微笑がそれに重なる。果たして、ミジャと少女は合一を遂げることができたのか。<詩>と<死>の不可分な関係にも大胆に言及するイ・チャンドンは、かつてない新境地に踏み込んだといえそうだ。
(高崎俊夫)