「異世界性を描写する事の難しさ」星を追う子ども 六畳半さんの映画レビュー(感想・評価)
異世界性を描写する事の難しさ
その圧倒的な映像美を銀幕に描き続ける、新海誠の長編ファンタジーアニメーション。現代から未来の若者の、恋愛や心の距離感を描いた過去3作品とは打って変わって、純粋な少女の冒険ファンタジーを描いている。
新海誠自ら宮崎アニメからの影響を語っており、作中にもこれでもかと言わなんばかりの宮崎アニメのオマージュが見られる。しかし重要なのは、これらのオマージュが、きちんとオマージュとして完結しており、いわゆる“まんまパクリ”では無いという事である。影響を受けつつも、きちんとそれぞれの独自性を見せている点は好印象だった。
ストーリーも王道を行く展開である。少し性急な印象も受けるが、不可解な描写は少なく、まとまっており、盛り上がる所できちんと盛り上がる。2時間を退屈だと思わせないストーリーである。今作でも新海誠こだわりの美麗背景は顕在で、登場人物達の細かな心理描写の一端を担っていると言えるだろう。
全体的に見てきちんとした面白い映画である。しかし、一方で監督自ら強い影響があると発言している以上、宮崎アニメとの比較は避けられないだろう。そしてやはり宮崎アニメと比べればその面白さには決定的な落差がある。
その落差が何なのか考えてみると、私は世界観の醸成であると思う。ファンタジーアニメーションに重要な要素には、その異世界の世界観が魅力的に見えるかどうかという点が一つある。そして宮崎アニメに登場する異世界と比較すると、新海誠が今作で描いた地下世界アガルタは決定的に魅力が欠けている。
宮崎駿と新海誠の世界観の描写において異なる点は、視覚的な情報量だと思う。宮崎アニメに登場するファンタジー世界は、腐海にしろ、ラピュタにしろ、たたら場や油屋にしろ、現実世界とは明確に異なる風景や、建築物のデザイン、登場人物の衣装、生活様式や文化など、視覚的に異世界性を示す情報をいくつもいくつも盛り込みながら、私達の日常とははっきりと異なるのだという非現実感を与えていた。さらにその世界に登場する個性的で時には人外のキャラクター達が、その異世界性をさらに強調していたのである。
しかし、新海誠のアガルタはどうだろうか。前半は現実世界でのストーリーが展開するが、現実世界とアガルタとで、そこまで受ける印象に差は無かった、衣装や生活様式こそ違えど、森や木々の描写は両者で違いはほとんど無かったし、そこに生きる人も生物も建物も、どこか現実世界の単純な延長にしか感じられなかった。モリサキによるアガルタの詳しい説明が無ければ、アガルタを異世界だと認識するのはもっと難しかったかもしれない。しかし、宮崎アニメの異世界は、説明など必要なく異世界だと感じる事が出来るのだ。
これは恐らく、新海誠が大人の理屈でアガルタの異世界性を描写したからであろう。異世界とはこういうものだ、というような理屈で世界観を設定したからであろう。一方で、宮崎駿は児童文学からの影響がある事から推測するに、子どもの感性で異世界性を描写するのである。そこに理屈は存在せず“なんだかよく分からないけどとっても不思議な所”という印象が、魅力的に映るのである。
この映画は、皮肉にも私の中での宮崎アニメの評価をさらに高める結果となった。しかし、同時に新海誠の挑戦心や独自性、将来性についても私は高く評価したい。両者共に今後の創作活動が楽しみでいられないアニメーション作家である。