アレクサンドリアのレビュー・感想・評価
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【キリスト教が多神教を含め、”異教”を制圧していく様を、天動説と地動説の論考も含め描き出したローマ帝国時代の歴史大作。】
■今作で、堪能したい所
1.映画のスケール感の壮大さ
・リドリー・スコット監督か?と思った程の、西暦4世紀の人々(奴隷含む)の衣装、武具を含めた装飾品の数々。特に、アレクサンドリア図書館の内部の装飾の美しさには驚く。
2.キリスト教徒たちの描き方
・多神教徒、及び後半はユダヤ教徒をも殺戮する姿。キリスト教は”他者に対して、寛容な宗教ではなかったか?
キュリロスを筆頭に、キリスト教徒達の服装が基調が”黒”である部分も、当時の彼らの狂気性を漂わせている。
ーあれでは、現代の過激な一部の宗教を盲目的に信じ、他教徒を殺戮する人々と何ら変わらない・・。ー
3.美しき哲学者で天文学に日々深い考察を続けるヒュパティア(レイチェル・ワイズ)を慕う人々の姿。
・ダオス(マックス・ミンゲラ) 奴隷という身分だが、ヒュパティアは”奴隷”扱いせず、彼も思慕を募らせていく姿。後にキリスト教に改宗していく苦悩する姿も見応えがある。
ー誰が、最後までヒュパティアの身を案じ、想い続けたのか・・・。-
・オレステス(オスカー・アイザック) 同じく、ヒュパティアに師事するが・・”君はさあ、長官にまで、出世したんだから、愛する女をキチンと守れよ!”と心中、激しく突っ込みながら鑑賞。
ーそれにしても、”平たい顔族”から見ると、オスカー・アイザックはこういう役があっているなあ・・。髭、濃いなあ・・。-
・テオン アレクサンドリア図書館長でヒュパティアの父だが、キリスト教徒に襲撃、簒奪され負傷。亡くなるシーンは描かれないが、歴史に翻弄される学者を好演。
■ヒュパティアの最期
・ちょっとなあ・・。史実なんだけれども・・。切ないなあ。
テロップが出た時には、”美しき、レイチェル・ワイズに何してくれんだ!”と毒づいてしまった・・。
<アリストテレス、プトレマイオス、”回転円”、”楕円軌道”・・・。きちんと、ローマ帝国史(と、少しだけ天文学)を勉強しておいて良かった・・。大変面白かった作品。作品自体のスケール感の大きさに、お腹一杯である。
けれども、鑑賞後は可成り、寂しい・・。
”宗教って何だろう。”という事を考えてしまう作品でもある。>
信念を見失ってはならない。
天文学専攻ではないのでついていけない話もあり。
特に信仰してる宗教もないので神に対する気持ちも、、、。
古代の建築物と図書館の多数の絵巻に圧巻。
ストーリーが暗すぎて再度の視聴はないかも💦💦💦
ハリウッド?アメリカ?の正義?‥‥2極論に持ち込み‥
【ケータイからの‥絵文字投稿⇒不可につき‥
再編集└|∵|┐♪┌|∵|┘】
(一部日本人もそうだが‥↓)
物事を2極化・2択化して選択を⇒強いる思想て、実際に有る(`o'ヾ
いや‥
答えが2つとは限らない時の方が‥明らかに多いだろ~ヽ('ー`)ノ~?
こちらは‥
古代エジプトの‥女性学者(教師)の物語‥
事前に↓↓↓
キリスト教/ユダヤ教/古代エジプトの多神教‥等‥
予習はしといた方が良いかもよ?
☆評は‥
DVD100円水準にて‥(^-^)
DVD買う度⇒①★
モ、1回見たい度⇒①☆
オススメ度⇒⑤♪♪♪♪♪
デートで見る度⇒①◎
観る相方(^-^)v/知的内容なので‥
知的な方と!
珍しく‥
キリスト教讃美(アメリカがいつも正義だろ)でない本作ヾ(*'-'*)
レイチェルはやはり美しいよね(^з^)-☆Chu!!
(彼女の代表作は?
‥‥●ハムナプトラシリーズ‥に思われがちだが‥
俺的には‥
●アバウトアボーイと●スターリングラードに思う‥)
世の中は2極でも2択でも無い‥
答えは無限なハズだd(^O^)b
全てを白と黒に‥善と悪に‥てのはおかし過ぎる(・ω・)ノ
哀しい‥
‥これは悲しいo(><;)(;><)o
書籍は友なり/知は宝なり(*_*)
見えていた宇宙が違う
ヒュパティアは、奴隷も分け隔てなく弟子として受け入れる。だが、決して自分とも対等であるという扱いをしているわけではない。あくまでも下級階層と見なしている。
それがわかった奴隷のダオスは、ヒュパティアに目を掛けてもらっていることに感謝しながらも、神の前では皆平等であるという教えを持つキリスト教に惹かれていったのだろう。
ではキリスト教徒たちはどうしたのかというと、改宗しない人間は異端児として扱い冷遇していく。神の前では平等という教えが、どこかで捻じ曲がってしまっていることに気づいていない。
暴徒と化した教徒たちが、人類の知恵の宝庫であるアレクサンドリアの図書館を襲い、数多の書物が失われた損失は計り知れない。
人類の知恵によって蓄えられた知識をゴミ扱いし、自分たちこそ世界の中心にいるという愚かしい行為だ。
だが、この愚行そのものにキュリロス主教は関わらない。けっきょく、何も知らない民は、政治の主権を争う駒としてしか扱われないのだ。
人の道をはずさないよう生まれた教えも、それを受け継ぐ者しだいで、元の考えそのものが変わってしまう。
それを許さないようにするには、すべての人類が知恵を持つことだ。愚かしいことを愚かしいことと判断する知恵を持つことだ。
この作品の原題「Agora」は古代都市国家の“広場”を指す。ここで行われた火の上を歩くというパフォーマンスを、当時の人間と現代人が見たとき、受け取り方はまるで違うだろう。
現代人と古代人では、見えていた宇宙が違うのだ。
すべての惑星が完璧な円軌道を描かないように、この世に完璧なものなど存在しない。
この映画では、人類と科学、その双方の矛盾点を描いているように思えてならない。
哲学者として、史上初の女性天文学者でもあるヒュパティアの、科学に身を捧げるという信念の生涯を描いた作品だが、新興のキリスト教に傾倒しながらも、自身の判断で行動する勇気を備えるまでに逞しくなった奴隷・ダオスの物語でもある。
木を見て、森も見よ
「海を飛ぶ夢」などの作品で知られるアレハンドロ・アメナーバル監督が、「ナイロビの蜂」のレイチェル・ワイズを主演に迎えて描く、歴史物語。
近年になく、胸に爽やかな風が吹き抜ける映画である。あくまでも物語の本筋は、ギリシャ・アレクサンドリアに実在したと言われる優れた天文学者・ヒュパティアの波乱に満ちた生涯を追い掛けた作品である。しかしながら、そう簡単に説明できないのが本作の特殊さであり面白さである。
一人の美しき女性、ヒュパティアを巡る恋愛ドラマ、宗教を軸にした鮮烈な戦争絵巻、そして脈々と受け継がれていく人間の愚かさと、弱さの歴史物語と、多種多様なテーマを織り交ぜて描かれているのだが、全ての問題に対して作り手はじっくりと寄り添っていく視点を持っていない。地上で繰り広げられる些細な出来事・・「ああ、またやってるのね。懲りないわね」とでも言わんばかりに対岸の火事を決め込んでいる。
一人の人間が抱える心情を丁寧に描く事も出来ただろう。それでもこの物語は、上空から、あるいは地球を傍目から静観する「何か」の視点で見つめていく。それは、まるで兵士たちの暴動が、蟻の大群の砂糖を求めちまちまと右往左往する様子を連想させるよう仕組まれていることからも明確だ。
「何だよ・・他人事みたいに考えやがって」と腹を立てる観客もいらっしゃるかもしれない。それでも、今、目の前の利益、権益に目を奪われ、その場しのぎに一手を打つ某国家の在り方が、本作の人間諸君の言動にどこか重なって見えたりもする。世界を、未来を、傍観して捉える視野。木を見て、森も見る柔軟さ。そんな現代に立ち止まる私たちに求められる思考が、あっけらかんと示される爽快さ。
対象からとにかく離れ、離れ、ひたすら離れて大局を大雑把に描き切る勇気と力強さに満ち溢れた意欲作。若干長い作品だが是非、今、観て欲しい。
なんて難しい事を考えなくても、この世の者とは思えない美貌を惜しげもなく画面に撒き散らして宇宙に恋するレイチェル・ワイズの存在感と瞳に溺れるのも、また良し。う~ん、サービス満点である。
アレキサンドリアと西欧宗教
古代エジプト文化の頂点に立つ天体衛星の楕円軌道を推論した実在の女性哲学者ヒューーパテアの伝記なので、実在の人物の物語りの迫力はあるが、このスペインの監督アレハンド・アメナーバルは前作「海を飛ぶ夢」が車椅子生活を強いられる身体障害者のキリスト教会では禁ずる自殺に至る心理葛藤を克明に追った宗教的な手法で、キリスト教宗教的テーマを常に追求する宗教作家と云うことができる。しかも西欧のキリスト教会を題材にしながら反教会的テーマを貫く思想の持ち主である。過去にキリスト教社会である西欧映画で宗教映画と呼べるものはフランスのロベール・ブレッソン監督の神を肯定する「田舎司祭の日記」、神を否定する作品ではアメリカのフレッド・ジンネマン監督・オードリー・ヘップバーン主演の「尼僧物語」などが代表的だが、現代ではメキシコのアレッサンドロ・イニヤリトウ監督の「バベル」がある。アメナーブル監督とイニヤリトウ監督は共にスペインとメキシコと云う云わば後進国ヒスパニック系とも云うべきスペイン語圏の作家である点が興味深い。
宋3世
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