「夜、寄る、ヨル」パラノーマル・アクティビティ2 ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
夜、寄る、ヨル
「ドア・イン・ザ・フロア」などの作品で知られるトッド・ウィリアムズ監督が、ケイティ・フェザーストーンを主演に迎えて描く、ホラー作品。
特に何も異常な現象が起こっている訳ではないのだが、本作を観賞した後に薄暗い階段を上るときは、自然と背筋が凍ってしまう。小さな風の音に、敏感になってしまう。本作が予想外に観客に賛美されたのは、その「意外と、あるかもしれない」感覚を突き詰めた恐怖へのシンプルなアプローチにこそあるのかもしれない。
多くのホラー作品には、その前提となる異質な過去であったり、幽霊やモンスターの存在する明確な根拠、予感が存在している。主人公はその提示されたきっかけを足掛かりに、目の前に漂う恐怖の形を縁取っていく。観客は、その除霊であったり対決を生唾飲み込んで追いかける事になるのだが、そこには確かに「危険な存在」が色や、形をもって観客へと忍び寄る。
しかし、本作の場合は「存在」が極めて曖昧な形のままに物語を形作ることになる。「昔、亡くなったママ」であったり、「悪霊」といったそれらしい予測、憶測は巧妙に台詞に挿し込まれているが、あくまでも「かもしれない」の域を超えない。
得体の知れない、嫌な雰囲気の、「何か」でしかない敵。ゾンビよりも、宇宙人よりも、よっぽど不可思議で気持ちの悪い目的しかそこにはなく、誰が原因で現れたのか分からずじまいの世界は、いよいよ私達の隣に、「ぞぞっ」と出現しそうな身近な感覚へと肉薄していく。現代にも起こりうる「何か」の侵入と、騒動。作り手の予測不能の未来への視点が、映像として私達を正しく、正しく恐ろしい夜へと突き落とす。怖い・・でも、観たい。
ハンター坊やの部屋に張られた「R」の文字が示す意味や、あまりに唐突な死など、消化しきれない要素が随所に見られるのは残念だが、物語としての姿勢は、新しい恐怖への姿勢として評価すべき意欲に満ち溢れている。
何はともあれ、夜、一人で観る作品でないことは確かだ。