海炭市叙景のレビュー・感想・評価
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ご当地映画ではない、2010年を代表する意欲作
夭折の作家・佐藤泰志の原作を映画化した、記念すべき第1作。
この後、「そこのみにて光輝く」「オーバー・フェンス」「きみの鳥はうたえる」とコンスタントに映画化され、それぞれ高い評価を得ているわけだが、その原点といって間違いない。
製作された2009年当時、ここまで地方、市井の人々の疲弊をリアルに描き切った作品はなかった。それゆえ、ご当地映画なるジャンルで括ってはいけない2010年を代表する傑作である。
今作で新境地を開拓した熊切和嘉監督はその4年後、「私の男」で更に大きく羽ばたく事になる。
全ての作品に関わる、シネマアイリスの菅原和博氏が次にどんな一手を放ってくるのか楽しみでならない。
【日々、屈託を抱えつつ函館で懸命に生きる人たちの姿を、リアリズム溢れる映像で描き出した作品。故、佐藤泰志の想いが伝わって来るが如き作品である。微かなる希望、人の善性が伺える作品でもある。】
■海炭市にある造船所の一部が閉鎖され、大規模なリストラが行われた。
颯太(竹原ピストル)は職を失い、妹の帆波(谷村美月)と二人で年越し蕎麦を食べ、大晦日の夜を迎えた。
年が明けて、颯太と帆波は初日の出を見るために函館山に登ろうと思い立ち、なけなしの小銭を集めて出掛ける。そして、二人は水平線から上がる初日の出を見る。
◆感想
・ご存じの通り、今作の原作となった短編集を書いた函館市、出身の佐藤泰志は芥川賞に5度もノミネートされながら受賞に至らず、僅か41歳で自死した方である。
だが、41歳で芥川賞に五度もノミネートされたという事は、佐藤氏の確かなる文芸の力量を示している。
・今作は、そんな佐藤氏の想いを汲んだ函館市民が発起人として製作された作品であり、今作後、「そこのみにて光輝く」「オーバー・フェンス」で、佐藤氏の世界観は世に認められたのである。
ー 私は、恥ずかしながら佐藤泰志の存在すら知らず、劇場で「オーバー・フェンス」を鑑賞し、ガツンとヤラレタ者である。-
・今作は、佐藤氏の短編を今や邦画を代表する熊切監督が絶妙に繋いで、函館に住む社会的弱者の方々の視点でその生き様を描いている。
・どのパートも切ないが、幾つかのパートでは、微かなる未来が描かれる。
<今作を観ていると、志半ばで命を絶った佐藤泰志の無念が伝わって来る。だが、この方の作品は読めば分かるのであるが、常に絶望の先に僅かなる未来への想いや光が描かれているのである。
故に今作は、観ていてキツイシーンが多いが、魅力的な作品なのである。
唯一、違和感を抱いた点は、ガス屋の若社長(加瀬亮)が、自らの屈託を妻に対して暴力を振るうシーンである。
男であれば、女性に手を挙げるのは如何なる理由があれども言語同断だと思っているので、あのシーンは必要なのかもしれないが・・。
ラスト、立ち退きを市から催促されながらも、抗う老婦人が愛猫の毛を優しく撫でるシーンは秀逸であった。>
【「わたしたちは、あの場所に戻るのだ」/温もりを求める冷たい肌感】
函館三部作と呼ばれる作品の一つ「海炭市叙景」で感じたのは、どこか冷たい肌感だった。
原作の「海炭市叙景」は、未完の佐藤泰志の遺作でもある。
海炭市という北の港湾都市を舞台にしているからというだけではない。人々が寄り添う気持ちを持ちながらも、どこかに不安やいたたまれなさを抱え、傷つけ、ぶつかり合い、それでも生きていこうとする姿が心を締め付ける。
日本がバブル景気で、都市部を中心に再開発が進んでいたころ、実は産業構造も転換期を迎え、多くの地方都市が衰退する予感を抱えていた。函館も同様だったのだ。
砂州に広がった海炭市は函館のことだ。
この1980年代に、この物語を構想し執筆していた佐藤泰志さんの市井を観察する目に改めて驚かされると同時に、今僕達に足りないものは何かを考えさせられる。
傷付け、ぶつかり合いながらも、他方では、寄り添う気持ちを持ち、そして生きていく。
コロナ禍の下の、ソーシャル・ディスタンスや、リモート・ワークのなかでも、人は人であるために必要なことはあるのではないのかと考えさせられる。
レビュータイトルの「わたしたちは、あの場所に戻るのだ」は、映画のキャッチコピーだ。
あの場所とは、元旦の初日の出を望む山頂のことだ。
赤い初日が照らす山頂で祈り、そして、どこかで温もりや希望を求めながらも、そこには、まだ、冷たい肌やいたたまれない心があるのだ。
だが、人は祈り続けるのだ。
ケーブルカーで下山する妹を見つめていた井川が、自ら命を絶ったのではないことを願うばかりだ。
もっと太陽が見たい…
う~ん、暗かった…。
だって、太陽の光のシーン、あんまりないんだもん。
やっぱり、地域性なのかなぁ…。
函館って、こんなに暗いの?って、違うか―、この街の一部だよね。
街というより人かな。
オムニバス的だというのを知らずに見たので、あれ?
さっきのはどうなったの?って思っていたら、既に違う人たちの生活だった。
最終的に、路面電車で繋がった感だったけど、ちょっと強引かなぁ…。
函館の明るい部分を感じに行きたくなりました。
だから何なんだ、と。熊切監督・・・。唯一良いところは、市電の運転手...
だから何なんだ、と。熊切監督・・・。唯一良いところは、市電の運転手役の方がちゃんと運転していたことです。あれは役者じゃないのかな。本当にそれだけ。
貧すれば鈍する
北国に住む人々の閉塞感や鬱屈さが、「貧すれば鈍する」となってしまった昨今の日本と重なって見えました。造船所のリストラやDV、独居老人の立ち退きなど、ちょっと他人事ではないのかなと。作品が公開された9年前よりも今の方が社会の余裕のなさをリアルに感じてますし、なんだか心の重しが取れなくなりました。
寂寥感が半端ない
原作は早い時期に文庫本を買ってはいたが、なかなか読む時間が取れず、結局は1/3程度しか読めなかった。
函館市を架空の街《海炭市》として設定する話で、5っの話がオムニバスの様に続く。
この5っの話は観ている間は独立した話の様に見える。観ていると「この1っ1っの話には何の繋がりも無いのかな?」と思える。
それがラストの直前になって、全てが1っに纏まるのだが、正直言ってちょっと分かりづらい。
何故ならば、それまでの登場人物の行動;視点;台詞等に一切の説明が無い上に、嫌な人間達が出て来るから感情移入が出来ないのだ。
更に各エピソードには観客の想像に委ねる部分が多い為に、なかば観客を置いてきぼりにしてしまっているとも言える。
従ってこの作風が合わない人には、全く受け付け無い作品だと思える。
最後に全部のエピソードが纏まる部分にも、無理矢理感が拭えなく感じる人は多いと思う。
それでもこの映画の良いところは、函館市を背景にした極寒の撮影。
海炭ドックの閉鎖により、人々の間に少しずつ人生の歯車が狂って行く様子が窺える。その《寂寥感》がこの作品には半端では無いのだ。
(2011年1月31日 ユーロスペース/シアター1)
独特の冷めた映像
ユーロスペースで初めての鑑賞。
谷村美月の演じる妹に惹きこまれる。その他の登場人物のエピソードも一つ一つが丁寧に描き出され、2時間半もの上映だがあっという間だった。
北の貧しい情景の中で、心に闇を抱えて毎日の生活を送る人々を、疲れが滲んだような、冷たく暗いトーンの映像で描く。中でも谷村が切なかった。
俳優の凄みを感じた
とにかく俳優が良い。
最初のエピソードの竹原ピストルがなにせ凄い。一緒に出てくる、谷村美月のムチムチっぷりも凄い。加瀬亮が凄い、その息子役が凄い。何より、三浦誠己が凄い。一気にこの俳優のファンになってしまった。
地元で見つけてきたであろうキャストも凄い。
主役級の扱いを受けているおばあちゃん、もの凄いインパクトを放つスナックの女性。
この映画は、人が、人物が函館の地に息づいている。
しかし、いつもの熊切監督作と同じく、「最高!」と手放しで絶賛したくなる寸前のところでお茶を濁される印象は拭えなかった。
ブラックコーヒーは、胃にもたれるから
「フリージア」の熊切和嘉監督が、芥川賞に幾度もノミネートされながら、遂に日の目を見なかった不遇の作家、佐藤泰志の同名小説を映画化した群像劇。
ひどく、居心地の悪い作品である。
本作に登場する人間たちは、同様に「失速」している。町の衰退に伴い、仕事を失って途方に暮れる兄妹。住み慣れた家からの立ち退きを迫られている老婆。後妻との関係、不倫に悩む男、そして未来の見えない若い男。
彼等を見つめる視線は徹底的に突き放した姿勢を貫き、中途半端な折り合いや、妥協を許さない。容赦なく、海の底に突き落とされたような苦しみが物語に充満している。
まるで、飲み屋で酒に酔った親父殿に絡まれ、「ふざけんなよな~あの野郎・・」と仕事の愚痴を延々と聞かされる倦怠感。それでも、この物語が観客を惹きつける魅力をもつのは、絶望の中にささやかに振り掛けられたユーモアと、調子っぱずれの音楽の力だ。
音楽は、ジム・オルーク。繊細に描かれる遠景や衝突の場面に、ふわふわ、ゆらゆらした不協和音。一気に心が砕かれるような痛みが残るはずなのに、そこには安心感と、気持ち良さが同居している。この、柔らかさには大いに助けられる。
そして、ユーモア。「くじらイルカ占い」・・何をしたいのか分からない占いを唐突に挟み込んでみたり、夜も更けたバーでくだらない話にて甲高く盛り上がるお姉さま。ちょっと、吹き出してしまう。絶妙なタイミングで「?」を盛り付け、観客の心をゆるりと解いてくれる。
きっと、私達の人生だってこんな感じなんだろう。苦しかったり、辛いことはいくらでもある。でも、きっとゆるりと切り抜けられるはずだ。そんな小さな希望と幸せを、力強く信じている作り手の想いが滲み出て、嬉しくなる。
やはり、居心地は悪い映画である。ブラックコーヒーを飲み干したようないがいがする感じ。でも、そこに気付かないほどに入れられた砂糖が、心地良い映画でもある。苦いだけでは胃にもたれるから、少しの甘さが欲しい。そんな願いを、作り手は重々理解してくれているようだ。やっぱり、嬉しい。
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