劇場公開日 2011年6月11日

「家族観の一面性を突く」奇跡 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)

2.0家族観の一面性を突く

2015年8月7日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

笑える

楽しい

「そして父になる」では、あまりの父親目線への偏りと子供の存在の希薄さに違和感を覚えたものだが、この作品の徹底的な子供目線での作り方に触れて、バランスが取れた感じがする。是枝が撮ってきた子供を題材にした作品に対置されるのが「そして父になる」なのではないか。
両親の離婚によって二つに分かれてしまった家族。大人の身勝手がこのような状況を生み出すことと、そのことで子供が不幸になるという決めつけも大人の身勝手でしかないということを、この映画は我々大人に突き付けてくる。
働きの良くない夫に見切りをつけて鹿児島の実家へ戻った大塚寧々の母親と、アルバイトで食いつなぎながら好きなバンド活動を続ける福岡のオダギリジョーの父親。
二人の子供を抱えていながら定職に就かず、音楽に熱中している父親というものは、確かに他人からは褒められる存在ではないかもしれない。しかし、そんな父親と暮らす次男は、自分の親が求めているものを明確に知っており、自分の暮らしがどのように定められているのかを理解している。
一方の長男は、バラバラになった家族をもう一度もとへ戻すことを願ってやまない。自分の置かれている状況を受け入れることを拒否していることは、噴火している桜島のそばに何故人々が暮らすのか「意味が分からない」という、何度もでてくるこのセリフに象徴されている。
同じ状況に陥りながらも、その状況を肯定的に受け入れている次男と、それを拒み原状復帰を望む長男。子供にとって、どちらも自分が生きる世界そのものなのだ。
かるかんの味を「ぼんやり」と表すか、「ほんのり」と表すのか。同じ感覚を持っていても、どのように表現するかで印象は異なる。長芋と砂糖の素朴で柔らかな甘味を表現するボキャブラリーを通じて、物事を語るときの人間の限界を示唆している。映画はこのように、我々の認識がどれほど一面的に過ぎないものかを語りかけてくる。

佐分 利信