「知らず知らずの内に封印してきた生きる力の奇跡」阪急電車 片道15分の奇跡 月夜のペンギンさんの映画レビュー(感想・評価)
知らず知らずの内に封印してきた生きる力の奇跡
予想の遥か上を行く人の行動にときめきながら温かい展開にすっかり魅せられてしまった。岡田さんの脚本の力もあるしキャスティングもいい。
全体像として、悩める主人公達と対局の人物像達がはっきりとこの世界を二分する構造になっている。電車内に共存させる視覚効果も大きい。黙っている(堪えている)悩める層がそれぞれの人生を生き始めたとき、彼らの繋がりがやがて奇跡を起こすのをうまく視覚化している。
ほんの少しの魂のつぶやきを昇華させるべく発した一言や行動が螺旋階段を昇るように別の生きやすいステージへ移行する。それが人の起こす繋がりと奇跡。
ここで主人公が起こす予想外の展開について記したい。
寝取られた婚約者が結婚式という人生最良の日に花嫁衣裳を着て披露宴に出る。呪いの日に変えて復讐したいという行動には惨めな自分をさらけ出す勇気が伴う。痛み分けをせずに悔しさを封印したままその場をやり過ごすのが一般に分別ある大人の流儀であり、自分を守る無難で最大の方法なはず。しかしそれっていわば魂の封印であり最も自分を傷つける行為だと教えられたシーン。どのシチュエーションでも、常識が思考を支配する世界では人生の本当のメタモルフォーゼは起きないのだと教えられた。「生きる」ここにフォーカスするなら非常識と思しき世界に身を投じた時、次の魂の進化の段階の出会いが用意されている。
権田原の名前に劣等感を持つ限り新しいチャンスを逃してしまう。人は劣等感を超える勇気を持って初めて次の出会いに繋がっていく。
住む場所だってそう。
自分一人で相手の人生を助けようとかどうこうしようなんておこがましい。私だったら「家に来なさい」と誘いその衣装を助けお茶を振る舞い愚痴を聞くなどありきたりな展開しかお膳立てできない。しかし、老婦人の人生経験の多さは正にブリコラージュなのだ。この人に必要なきっかけを本人を見てそっと差し出すだけでいい。その駒が多いほど人生を豊かにし人を助ける力になる。今の傷ついた彼女に居心地のいい場所を選び教えるだけで、人は自ら立ち上がれる。「あなた、疲れた顔をしているから次の駅で少し休むといいわ。あそこはとってもいい駅だから」
降り立った駅は駅員さんの手入れが行き届いた花壇や街ぐるみで子供を応援するポスターなど優しさに満ちていた。そこで緊張の糸が解けお腹が空き買食いをする。食べるのは生きる基本だ。やっと自分の姿を客観的に見た後、その街で新しい衣服を買い復讐劇の衣を脱ぎ捨てて次の生活の居場所を手にして行く。
観るだけで清々しいシーンだった。
不器用な生き方に悩む層と傍若無人に振る舞う本能だらけの構図とを見事なまでの輪郭で現していて、コロナ下の今だから、それぞれが自分らしく生きることの大切さを余計に気付かされた。