「最後の『世界は幸福で満たされている』の台詞に感動!」うさぎドロップ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
最後の『世界は幸福で満たされている』の台詞に感動!
主人公のダイキチにとって、突然子育て体験だったけれど、気がついてみれば、世の中同じように子育てで奮戦している人たちばかり。その苦労のひとりひとりにダイキチは愛情を感じ、ラストにホロリと述べた台詞に感動しました。
『世界は幸福で満たされている』と。
…なんてお地蔵さまの気持ちを、代弁してくれている台詞でしょうか。子供を身勝手に捨てたり、虐待して殺してしまう親が増えてきた空恐ろしい世情のなかで、ダイキチのように身寄りを失った子供を育てようとされる愛深い方がひとりでも多く増えることを小地蔵は祈っています。
さて、試写会が終わったときそばにいた原作ファンの女性が、同行の人に「全然原作のエピソードが落とされて、外側だけになっていた」と不満を述べていました。だけど2時間の制約のなかで、原作のエピソードを網羅することは無理です。
だから詰め込みを止めて、りんとダイキチが一緒に住むことになった顛末と、子育てのために職場を異動し、りんを中心とした生活に切り換える苦労ぶりに絞り込んで前半を構成。後半は、周囲から子育てをどこまで続けられるのか責められ苦悩したとき、りんの友達のコウキの母親と知り合い、希望を見いだしていくこと。最後はコウキと本当の親探し家出が描かれて大団円を迎えるなど、ほどよく原作のエピソードが盛り込まれています。
ストーリーよりも、主役の愛菜ちゃんが可愛くて、少しでも淋しい表情を見せると、見ている方ももらい泣きしてしまいました。特にラストで、コウキと家出し、コウキのお父さんのお墓を見つけるシーンが堪りませんでした。堰を切ったように二人は大泣きするのです。二人とも、母親とダイキチに迷惑かけたくないから、普段は本当の悲しい気持ちを我慢していたのですね。でも共に父親の死を乗り越えていなかったのです。だからりんは、突然オネショをして困らせました。幼いふたりが乗り越えなければならなかった父親の死の重みをいやというほど感じさせられる演出には、涙を堪えることができませんでした。
全く台本を読まないで、いきなり演技に入ってもあれだけ自然な演技できるなんて凄い女優さんですぅ。イクメンブームの走りを作ったテレビドラマ『マイガール』では、コハル役の石井萌々果ちゃんに填った(ロリコンではないぞ!)ものですが、愛菜ちゃんの演技の方が遙かに自然体ですね。
演出と言えば、サブ監督は男のゴツゴツとした本来ドラマを描くのが得意なはず。その人間くささ溢れる演出手法の違いは、お正月の『芸能人格付けチェック』でも、毎年楽しみにしています。こんなナンパでファンタジックな作品の演出をよく引き受けたものだと驚きました。けれどもサブ監督ならではの個性は、本作にもたっぷり埋め込まれていたのです。
まずは、輪郭の深い感情描写は本作にも息づいています。その特徴は、登場人物の感情を代弁しうる情景を丁寧に細かくカット割りして挿入していることです。例えばりんの父親の葬儀のとき、父親が好きだったりんどうの花を献花しようとりんは庭に飛び出します。そのまま土足で戻ってくるのですが、さりげなく泥で汚れた白い靴下をフレームアップすることで、りんの切実な気持ちをよく引き立てていたのです。
松山ケンイチに言わせれば、サブ監督のいいところは男がカッコイイというところなんだそうです。そういえば、本作のダイキチも子育ての犠牲となって、仕事面ではイマイチずっこけてばかりで、お世辞にもカッコイイととは言えません。しかし、見方を変えて、りんの子育てに取り組む真剣さは、なかなかカッコイイと思えてきます。特に、保育園に遅れまいとりんをだっこして全力疾走するところは、監督らしい疾走感が溢れて父親としての格好良さをたっぷり画面に見せつけてくれました。抱かれている愛菜ちゃんも何やら嬉しそう。もう芝居を超えて、本当の親子になっているかのようなシーンでした。とにかくマツケンは走りに走ります。
それとダイキチが残業のない職場として選んだ倉庫管理の部署には、サブ監督の映画『蟹工船』にも登場しそうな肉体派の労働者の群れが…。そんな連中も、本作ではケンカすることなく、子供の写真を携帯で見せ合ってしあう子煩悩な人たちでした。
ところで本作で松山は、コミカルな役柄に挑戦しています。またまた役柄に応じて大変身!ダイキチはかなりのナルシストで雑誌のお気に入りのモデルを見つけては、空想でダンスに昂じるところがキザで笑ってしまいます。加えて、りんを捨てた母親に連絡を取るとき強気な悪態をつきながらメールを発信するのに、その母親から電話がかかってきた途端、姿勢を正しぺこぺこ頭を下げるところなんて抱腹絶倒でした。こんなひょうきんなマツケンを見たことはありません。
その母親も、女流漫画家を続けるためにりんを捨てたことを当然視していて、なんだとこの親はと憤慨しました。しかし本作には徹頭徹尾、悪い人が出てきません。ダイキチの悪口ばかりいう妹も、この母親も。りんが家出し、見つかったときりんの母親がホロリと涙を流すのを見て、この人も人の子の親なんだなと安心しました。
本作は、ダイキチの子育て奮戦記に終始しますが、その影には隠れたドラマが潜んでいることも見逃せません。それは、ダイキチが自分の母親に育ててもらった苦労を思い知って、母親の愛情の深さを体得するストーリーでもあったのです。
りんを引き取るとき、ダイキチの母親が言い放ったひと言は、ダイキチの心を大きく揺さぶりました。子育てのためにどれだけ自分が犠牲になったことかという母の言葉は、そのままダイキチが追体験せざるを得なくなったのです。
それでもりんの存在そのものと安らぐ顔を見て、癒されている自分がいることを悟るダイキチ。それは同時に、母の自分に対する思いを知ることでもありました。世話ばかりかけているようで、子供が存在し、迷惑をかけてくれることがどんなに有り難いことなのか、しみじみ感じさせてくれる作品でした。