まほろ駅前多田便利軒のレビュー・感想・評価
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もっと気楽に
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便利屋のエイタが、子供の頃誤って怪我をさせた松田と出会う。
松田は家がなかったので、何となく放っておけなくて居候させる。
そしてコンビで色々な事件に絡むが、2人とも過去を抱えてた。
エイタは嫁が生んだ子供が自分の子か分からないまま子を亡くし、
松田はレズビアンに精子を提供して子はいたが会ったことがない。
松田がいい奴過ぎることに立腹したエイタが松田を追い出すが、
何ヶ月かして再会、また一緒に住むことにする。
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うーん、おれはエイタには全く同調できんなあ。
正直、自分の育ての親が実は血がつながってないと聞いたって、
そんなこと今さらどーでも良いと思うクチやからなあ。
松田の方が理解できるし、それに腹立てるエイタが理解できん。
何をそんなに重く考えてるの?って感じがする。
人間、拘るべきないところに拘ったら、しんどいだけだよ?
独特ののんびりした雰囲気がある!!
深夜映画向けの雰囲気ですが、個人的に「探偵はBARにいる」より好みでした。「人生をやり直す事は出来ないが、誰かを愛する事はできる」という台詞は良かったです。何か男性にとっての子作りがテーマだった気がします。とにかく煙草が嫌でした。
軽快なやり取りが楽しい。 人生の挫折からの立ち直りに苦しむ姿に共感する。 ラストシーンが大好きな映画。
公開間もない頃に観て以来、久しぶりの鑑賞でした。
原作は読んでいます。
30代で観た時の印象は、軽快な展開が際立っていて、沢山笑いながら、少し感傷的な気持ちになる映画でした。
人物を掘り下げていく中でも行天の存在感と人生観みたいなものへの理解の方が強かったように思います。
ただ40代になって改めて観ると、自分の人生で積み上げたものと失った物が増えたせいか、多田の人生の挫折に強く共感してみていました。
特に岸部一徳扮する刑事 早坂の登場からラストまでは、多田の独白を通して彼の自分自身を許せない鬱屈した思いに飲まれ、だからこそラストの行天との再会に胸をなでおろして幸せな気持ちでラストのエンドロールを見送ることが出来ました。
挫折と言うか、過去への後悔と言うか、そういった重く纏わりついたものはテーマとしてある作品だと思います。
娘を亡くし、妻と別れ、物語のスタート時、多田の気持ちは失意のどん底だったと思います。
挫折して心が折れ気持ちが小さくなっている。
心が折れている時、人との関わりは断ちたいですし、ひっそりと誰とも関わらずに生きていきたい気持ちになります。
目立たずに誰とも関わらずに生きるから放っておいて欲しい。
それでも過去はいつまでも自分を苦しめてくる。
一人でいられる孤独の中に安心感があって、とは言え、いつまでも一人でい続ける事で前に進めないもどかしさもあって、そんな時に現れたのが行天でした。
「いい学校を出て、いい奥さんを作って、お金持ちになって・・・。」という人生を歩んでいるはずだった多田と、またそれとは全く違う人生を歩んでいるはずだった行天の再会。
どちらも世間から見れば日の当たる場所には居ない二人ですが、二人にとって大きく違うのは、過去を受け入れている行天と、過去を拒んでいる多田。
とは言え、行天も親を殺す為にあの場にいたのでしょうし、過去を受け入れているといっても受け入れ方が突き抜けているのかもしれませんが。
序盤の多田はカリカリと苛立っている雰囲気があり、鑑賞している受け手側としても、それが彼の本来の姿なのか?、何か気持ちを揺るがす大本があるのか?が判らないまま話は進みます。
それでも、由良公の為に星と対峙する姿や、由良公に対しての「自分に与えられなかった物(愛情)を誰かに与えることは出来るんだ」という言葉。
それから山下に追われる行天を探して街を走り回る姿。(星の「走れ。便利屋。」と言うシーンも最高にいい。)
そういった所に多田のまっすぐさを感じて、今現在の彼の鬱屈した雰囲気とのギャップに違和感を感じます。
そして、早坂刑事の登場から明かされていく多田の過去。
荒れる多田に対して、行天は全ての言葉を受け入れていきます。
多田にとって挫折の根本は失った物で、行天に対しての「何もないようなふりをして全てを持っている。」という言葉は完全な当てつけでしかなかったのだと思います。
けれど、その後、全てを打ち明ける多田を見て、多田は自分の汚さも含めてぶつけることが出来る誰かが必要だったんだと感じました。
自分の中で消化できない苛立たしさを、言葉の暴力や涙の打ち明けで誰かにぶつけて、自分の醜さも本心も知ることが出来たのではないかと。
親や恋人に当たり罵り、自分の未熟さを知る若者と同じで。
全てをぶつけた後に、行天との別れを告げた多田は、この先の自分の挫折を癒す人生に行天を巻き込むべきではないと判断したように感じました。
醜い自分を見せたからこそ、一人で自分の業を背負うべきと判断したのかな?と。
そして、一人を選んだ多田の意思を、否定せずに受け入れている行天。
静かで落ち着いているようで、何も変化のない年末を迎えた多田の元に行天は帰ってきます。
1年前には静かな不快感を持って再会した二人が、バス停で言葉を探して黙り込んでいる姿は印象的でした。
行天は多田に受け入れてもらえるまで静かに待ち、多田は自ら行天を受け入れる歩み寄りを見せる。
このラストは本当に良いラストでした。
ずっと多田視点で話を進めてきましたが、行天がどこかで話した「でもね、俺も知りたいんだ。人はどこまでやり直せるのか。」という言葉。
ちゃんと届いて多田はこの先やり直していくんだろうな。と、希望が感じられるラスト。
そして、一年前に両親を殺す為に刃物を持って訪れた場所に、多田を待つ為に訪れた行天。
行天にとっても多田との出会いは、彼の過去の傷を癒してくれる出来事だったんだな。と、そのことも嬉しかったです。
この後の岸田繁の歌う穏やかなエンドロールに乗せて流れる映像も素晴らしかったです。
母親と笑顔で歩く由良公や母親の荷物を持ち買い物に出掛ける山下親子の映像など。
映画っていいな!と、終始、笑いはありつつも鬱々とした雰囲気が纏っていたこの映画を全て晴れやかに終わらせてくれた大好きなエンディングです。
そんな感じで心情的な感想が多くなってしまいましたが、この映画の軽快さやユーモアは本当に素晴らしかったと思います。
備忘録代わりにこの映画の好きなシーンを上げると、
軽トラのフロントガラスをカチ割られ「なんじゃこりゃー」と叫ぶ多田に「誰? 全然似てない。」とつぶやく行天。
退院した行天を事務所に連れ帰る多田に対して、「あなたの噛んだ 小指が痛い♪」と歌う行天。
でも一番ほっこりしたのは、監督の大森立嗣の名前を見ながら、そう言えばお父さんの麿赤児と弟の大森南朋も出てたんだだな。と気付いたこと。
考えてみればこの監督さんの映画はこれしか見ていない。
少し追いかけてみようと思いました。
最後にもう一個だけ、役者の演技も素晴らしい映画でしたが、セリフとしては2回しかしゃべっていない刑事役の岸部一徳の存在感は凄まじかったです。
行天が去った多田に対して、山下が戻ってきたことを伝える早坂刑事の台詞。
「人を助けても自分を救うことにはならない。」という多田の心理を読み通しの言葉や、
「あんなクズでも誰かに必要とされてるんですわ。」と、多田への激励なのか皮肉なのか判らない言葉。
トータルで1分程しかない中でのこの人の存在感。ほんと凄かったです。
ユーモアが多く軽妙なテンポで進むこの映画の中で、人間的な恐怖がピリピリと差し込まれてきて、この映画に生々しいドラマ性を与えていたように感じました。
最後まで観ると温もりに包まれる
原作は未読。過去2作共に観る人を選ぶ作風の監督でしたが、今回は意外や意外。ぱっと見て雰囲気は緩く、とても見やすい。だけど…。
内容は親子関係に関して、愛情のすれ違いを。時には愛憎渦巻く確執を…と、考えさせられる内容でした。
しかし最後まで観ると、どこか救われる様な温もりに包まれる。そんな不思議な映画です。
登場する親子関係を見ていて感じるところ。弱者の立場にある子供達は、今の状態にある閉塞感をただ受け入れているだけだ。
少女は大好きなチワワと離れ離れになってしまった現実も、ひたすら我慢するしかない。
母親に気を使っている少女を絶えず見ていたからなのか、チワワはいつも震えている。
母親の冷めた愛情の表現に多少の抵抗を見せる由良公ですら、若くして既に諦めの胸中をすら見え隠れさせている。だからこそDVDを見ては、この結末は一体どうなるのだろう?と凄く気になっている。
ただ1人だけ義理の母親に抵抗をする男が暴力的な行動を起こす時に、映画は澱んだ空気を切り裂く様に隠されたヴェールが次第に明らかにされていく。
親にとって見ても子供は大切な存在。たとえそれが子供から疎まれていたとしても。
「でも知りたいんだ…人はどこまでやり直せるのか。」
映画の後半で、「お前は傲慢で身勝手だ!」と罵る多田に対して行天が言う。
人生に於いてはゲームの様なリセットボタンは存在しない。
行天にとっては、自分の存在が“子供”にとっての山下の様な目線で思われているのではないのか?多田と再会するきっかけは実は…。
自分と山下とは似た者同士の合わせ鏡。立場が逆だったなら…そんな自問自答を繰り返す。だからこそ自分を傷付けさせる事での“禊ぎ”的な意味だったのかは、本人のみぞ知るところ。
多田にとっては、「子供が死んでもあれはハッピーエンドでしよ」と行天が語るアニメは、過去を思い出し「ふざけるな!」と、ついつい怒鳴ってしまう辛い物語。
だからこそ「誰かに必要とされるって事は、誰かに希望になるって事でしよ!」の行天の言葉には頷いてしまう。
チワワにとっては少女が母親であり。母親の愛情が薄い由良公には、多田も行天も自分の過去を見つめて父親的な感情が芽生え始める。
俗物的な言い回しでは、小指は<子供>の意味を表す。
切り取られた小指が無事に再生された様に、映画の最後にはその後の温かな親子関係が、ひっそりと観客に向けて伝えられる。
そうそう。多田便利軒にとっての常連さんは、監督にとっては実の父親であり。弁当屋は実の弟だったりするし。瑛太が放つあの一言は松田龍平の父親の名台詞のサービスだったりするのであった。
小指の思い出
まほろ駅前で便利軒を営む多田と偶然バス待ちをしていた同級生の行天が出会う事から始まる奇想天外な便利屋家業。
チワワの里親探しから小学生の塾の迎え、その合間を縫うようにバスの間引き運転の見張り。
多種多様な依頼から薬の密売へと話しは進行し、危ない事に巻き込まれていく。
そんな中、行天の過去と多田の過去が明らかになる。
お互い順風満帆な人生は歩めずどこか影がある。そこが人情味溢れる彼らの良さかもしれない。
中学生時代に負わせてしまった行天の小指の傷。それこそが2人を繋ぐ赤い糸となっているようだ。
2人の息の合った演技も自然でよい。
「なんじゃ~こりゃあ~」「誰?、全然似てない」
映画「まほろ駅前多田便利軒」(大森立嗣監督)から。
異論がある方も多いと思うが、この作品を思い出すには
やっぱりこの会話だな、と数あるメモから選んだ。
軽トラックのフロントガラスをバット等で割られ、
思わず、主役の1人である瑛太さんが、松田優作さん風に叫ぶ。
「なんじゃ~こりゃあ~」
その様子をみて、もう1人の主役、松田龍平さんが問いかける。
「誰?、全然似てない」
それを受けて、真面目な顔しながら、瑛太さんが呟く。
「誰の真似でもない正直な気持ちだ」
このやり取りが、作品全体にかかっている雰囲気と似ていたから、
敢えて「家族の絆」を代表するシーンとして、選んでみた。
たぶん誰もが、ここでクスッと笑いをこらえているに違いない。
鑑賞後に、このシーンの話は絶対にしたくなるだろう、と思う。
映画でなければ、いやこのキャストでなければ、成り立たない笑い。
原作とは違う演出に拍手しながら、続編に期待したい。
大事な人と一緒に観に行ってもらいたいです。
おもしろかった。
普段はあまり映画館に行かないのですが、
なんとなく行ってきました。
瑛太さんと、松田さんの演技はもちろん素晴らしい。
ストーリーも決して難しくなく、
一本筋が通っていて、見終わった後に、スッキリしながらも、
色々と考えさせられてしまう。
今の時代に良くある、単純明快で、何も残らないものではなく、
一生心に残るものだと思う。
この気持ちを大事にして行きたい。
大事な人と一緒に観に行ってもらいたいです。
監督の大森さん、素晴らしいです!!
ありがとうございました。
愛することは、できる。
私のように原作を知らない人間は、
タイトルと出演陣をザッと見て、おそらく、のほほん映画だと思う。
最近、やや流行の?多くなった?一体何が言いたいんだ的作品。
でも本作はそれらとはまったく違う^^;
のほほんのようでいて、いい加減のようでいて、至って真面目。
描かれるテーマはズバリ、家族の絆。愛し愛されることへの賛歌。
二人の男の行動が、悲しく可笑しい人生を疑似体験させてくれる。
便利屋・多田(瑛太)と、転がり込んでくる行天(龍平)の過去には、
多田が行天にケガをさせた、というエピソードがあり、それを
やたらと行天が示唆する場面が多い^^;小指の思い出とか歌うしv
(なんじゃ!こりゃぁ~!→ぜんぜん似てねぇし。も笑えた)
しかしそこには「気にするな!」のメッセージがほろほろと流れて、
行天の行動がイヤミのようでイヤミでないことに気付かされる。
なぜ彼が突然、多田の前に現れたのかは不明だが^^;
誰かを思いきり愛したい多田には、格好の相手がその行天となる。
もともと便利屋っていう稼業は、誰かの役に立ちたい仕事だ。
それを全うすることで誰かに感謝され、自分のプライドも満たされ、
達成感を感じる。自分を必要とする存在を肌で確かめるように
コツコツと仕事をこなす多田に、行天はワザと難題を持ち込んで、
彼の心情をかき回す。世の中は思い通りにならないことだらけで、
信じていた相手に裏切られたり、親に虐待や無関心を向けられたり、
自分を絶望化させるには相応しい出来事が数多く起こるが、その
絶望から背を向けてしまうと、それは永遠にトラウマとなって残る。
もしそれらを何らかの形で転化させ、誰かを救うことができたなら、
過去の自分との対峙と未来の成長に繋がるかもしれない。
「俺みたいに誰にも愛されなくても、愛することは出来るんだよ。」
のらりくらりと言葉を交わす行天こそ必死に求めてきたように思う。
多田の過去も、行天の過去も、それぞれに悲しいことこの上ないが、
そこに焦点を集めるのでなく、子供や、風俗嬢や、イカれ親父など、
取り上げる人々がけっこう多彩。身内やゲスト出演?も多い^^;
(弁当屋の南朋、時刻表の麿、ヤクザの高良、ルルとハイシーなど)
おかしなエピソードに半笑いしつつ、血の繋がらない母親の愛には
めっぽう泣ける。ラストの(その後エピソード)写真にはほんわかする。
いい加減なようでいてそうでない生き方は、俗人間をこれでもかと
味わってきたから為せる業なのかもしれない。肝心なところでその
味わいが出せるのがいい俳優だと思うが、優作の息子・龍平には
やはり資質が備わっているように思える。歩き方といい着回しといい、
バカな態度や台詞をとっても、それを演じる上での気構えが伺える。
瑛太とのバランスも間のとり方も絶妙だった。シリーズで観てみたい。
(塾の子供!いいぞ!ある意味準主役だったしな~v成長して下さい)
やさしい男たち
私も傷心、友人も傷心。
ご飯を食べて、映画でも見に行くかとなって、たまたま時間が合ったのが、この映画。
心に沁み入る物語だった。
瑛太演じる多田も松田龍平演じる行天も一見、やる気がない。
ぼろビルの一室を事務所兼家として利用する多田も、破天荒な行天も、深い深い傷を負っている。そしてそこから、抜け出せずにもがいている。それを見せずに、やる気なさげに日々を過ごしている。
二人は深い傷を負っているからか、人に対してとても優しい。時には自分を犠牲にする。相手の痛みに寄り添うだけで、親切の押し売りをしたりはしない。それは人が背負う痛みをわかってあげられるからだと思う。
最後、二人が前を向いて歩きだせたのかはわからない。
でも、お互いがいる時間が続くことで、二人はやっぱり人にやさしくしながら、ゆっくりゆっくり自分の傷も治していけるんじゃないかな。
そういう希望が最後にちらっとみえる素敵な映画だった。
何かを諭すでもなく、痛みを見せつけるでもなく、やさしい男たちを通しての、なんともいえないヒーリング効果。
言葉にするのは恥ずかしいので、いかに瑛太と松田龍平がイケメンで絵になっていたかで盛り上がるだけだったけど、私も友達もなんとなく元気になって、前向きになって、映画館を出ることができた。
ゆるゆる、ぴしゃり、なるほど、にやり。
「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」で注目を浴びた大森立嗣監督が、瑛太、松田龍平を主演に迎えて描く、群像劇。
ニコラス・ケイジは不機嫌である。ジョージ・クルーニーは言葉に棘がある。ハリソン・フォードは歯軋りが少しうるさくなる(かもしれない)・・。ギャラ低下の話ではない。ハリウッドで現在進行中の喫煙シーン自粛の動きである。渋い男の秘密道具を奪われた男達の心は、渋柿の如し・・。今日も、しぶしぶ口寂しくスクリーンに佇むのだ・・ご愁傷様です。
なんて事を思ったのは、本作の主人公である男二人、多田と行天がひっきりなしに煙草を吸い続けているためである。車の中、部屋の中、バス停でもすぱすぱ・・。このご時勢にあって、この場面は明らかに異質である。何故にここまでぷかぷかと吸わせるのか。しかし、物語が進むにつれ、この時代錯誤の描写がその意味を主張し始める。
クスリに送り迎え、太陽に対する月に煙草。本作には、随所に「依存」の象徴が散りばめられている。緩やかに同居を始めていく二人の男もまた、寂しさと同情から来る「依存」が関係を築いている。短編の繋ぎ合わせのようでいて、巧妙に共通の要素を紛れ込ませていく。
そして、後半にすぱっと消え去る喫煙シーン。前に進み始める世界。分かりやすい。気持ち良い。淡々と日常を描く構成を貫きながらも、観客を丁寧に理解へと導いていく親切さが際立ち、群像劇を上手にさばく才能が光る。
終盤に、男二人の隠された身の内を明かしていくシリアスな展開が持ち込まれるが、それまでに物語に投げ込まれた人間達が、見事に神妙な顔の似合わない脱力感みなぎる雰囲気をもつ役者陣が勢ぞろいしてざわざわしており、観客は変に沈むことなく、「何とかなるさ」の空気を美味しく味わっていける。
「依存」を自覚し、自問自答に悩む前半から、「寄り掛かる」ことを赦し、「共存」へと向かっていく優しい再生へ。この明解な設計図を辿るうえで、説教臭さを排除し、ユーモアを最大限に張り巡らして楽しんでいく姿勢が嬉しい。
瑛太に松田。いつもの力の抜けた兄ちゃんぶりが今作でもばっちりはまる。潔さ、親切さ、そして的確な遊び。完成度の高い娯楽作品の傑作となっている。
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