レオニーのレビュー・感想・評価
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『私はあなたの犬ではない』
良い映画だと思うが、1930年と言えば大不況の時代。その時代を彼女達はどう乗り越えたかとかが全く描かれぬまま、終わりを迎えてしまう。
そして、茅ヶ崎に家を建てた経緯があるようだが、関東大震災の時はどうしたのか?
つまり、余り生活感が伴わない。
高等遊民な女性の歩んだ夢物語。
芸術には国境は無いし、愛する家族にも国境は無い!
「ユキエ」も「折り梅」も観ていない私は、松井久子と言う監督さんの作品を観るのは初めてだが、本作では松井監督は、シナリオも、製作も兼任していると言う。何とパワーのある女性だろうと先ず驚かされた。「折り梅」では撮影現場の行く先々で、炊き出しをしながら、みんなで力を合わせて精力的に作品の完成へとスタッフ・キャスト・それに多くの
協力者を巻き込んで作品作りをされたと言う話しを以前聞いた記憶がある。
今回は、エミリー・モーティマーが主演で、物語が展開していくのだから、英語によるセリフまわしの問題も有り、更に現場は難儀な事だっただろうと勝手に想像してしまった。
物語は、明治30年代初頭に渡米していた日本人詩人・野口米次郎と出会い、結婚をして来日を果たしたレオニーギルモアの生涯の物語の映画化である。
レオニーの生涯も複雑で大変な困難を要した時代であっただろうし、このレオニーの生涯同様に撮影も難しかっただろうと思うのだ。
息子であるイサム・ノグチを日本で育て上げ、再び故郷へと戻る時代的にとても不安定で落ち着きが無い状態のこの時代に、日本人と国際結婚をしたレオニーの勇気ある生き方と、孤独な生活感が女性の目線で深く表現されていて、女性監督ならではの底力を感じる本作は地味ではあるが、とても芯の強い作品で、観ている私もすーっと作品のヒロインに心が動かされた。
この日本とアメリカの関係が、今日の様に安定もしていない、戦争を挟む時代に、運命に翻弄されながらも、只ひたむきに、自分の信念を貫き生き抜くレオニーを日本人のフィルターを通して描いてゆくのだから、普段の映画撮影とは、国民感情も異なるし、色々な点に於いても感覚の違いがある人物像を描いてって撮影は更に難航した事だろうが、映画の中で描かれる本当のレオニーは苦労の連続では有るだろうが、見方を変えれば、自分の信念に基づいてその生涯を生き抜いた一人の人間の気高さと、潔いその生き様が、観る者の心を掴んで離さない程に充実した、素晴らしい人生に見えて来るから不思議だ。
昔から、女性は弱くとも、母は強しと、言うけれども、この作品を観ているとまさに、その言葉がぴったりとレオニー像に重なり合うのだ。
私は丁度今から30年前に、レオニーの母がレオニーとイサムと暮していたカリフォルニアの町の近くに住んでみた事があるのだが、その時でさえ日本人への差別は存在していたのだから、レオニーの生きた時代は、アメリカでも、日本でも、共に差別と、理解不足の偏見に溢れるこの時代は困難を極めていた筈だ!でも、決して諦めずに、自分の価値観を大切にし、子供への愛情を注ぎ続けた女性の姿は、今日の日本人でもとても参考になる、立派な自立した女性の姿であり、自分も何か、希望と夢をこの作品から貰える気がしてならない。脇を固める日本人キャストも素晴らしいし、この松井組の作品は、これからも、もっともっと楽しみな時代だ。
レオニーの素晴らしい生き方もさることながら、松井監督の映画にかける情熱も並みでは無いだろう!この映画に出会えた事を心から嬉しく思うのだ!
とても美しいけど…
「大地を彫刻する」偉大な芸術家、イサムノグチ。
その人生は波乱に満ち、日本人でもアメリカ人でもないその境遇から数々の辛酸を舐め、同じように日本と中国のはざまで揺れた李香蘭さんと結婚していたことでも有名です。
しかし本作は彼ではなくその母が主人公。行き当たりばったりの無謀な女性ですが、前向き。そこが魅力でしょうか。
前半、運命に翻弄されるレオニー。様々な出会いと別れが丁寧に描かれます。孤独なイサム、不憫な妹の誕生…。
家族として当然いろんな葛藤があることでしょう。でもどこにも属すことの出来ない三人だから、戦友のような絆もまた同居するのでしょうか…。苦労する母の姿にひたすらな愛情を確信するのでしょうか。
ってその辺を、イサムの人格形成のベースとして描く…。のかと思いきや淡々としています。
時はたち戦争の影が家族に迫ります。日本にいては徴兵される可能性があるイサム。芸術を志しアメリカへ行きたいと言いだします。家族の大きな転機ですが、またこれが淡々と…。
イサムが行きたいならイサムの思いを、母が行かせたいなら母の思いを。語らせなくても表現してほしい。基本的に説明も足りず、どうとらえていいかがわかりません。
後半は大急ぎでした。ワンカットでは表現しきれるはずもなく…。
戦争のゴタゴタで音信不通になったイサムを引き取り医学校へ行かせてくれた恩人にレオニーが投げかける不躾な言葉には、がっかりします。苦労していろんな人に助けられて自身も成長してきたであろう母である女性が、いい年してあんな言い方?と思うのは私が日本人だからでしょうか。
子どもの才能を信じる一方で、人として大切なことに欠けているような…。彼女を主人公にして何を伝えたかったのでしょう…。
前半の心あたたまるエピソードの数々が、台無しになった瞬間なのでした。
厳しい意見で申し訳ありません。詩情豊かな美しい映画でしたが、あまりに絶賛のレビューが多いので、別の感想もありますということで投稿させていただきました。
才能を見極める目。
世界的彫刻家イサム・ノグチの母、
レオニー・ギルモアの生涯を映画化した伝記ドラマ。
今作を観るまで彼女のことはまったく知らなかった^^;
昭和初期を生き抜いた強く逞しい女性であるのだが、
何しろ自我が強く、頑固で、他と横並びを嫌うという、
変わった性格の持ち主であるので、彼女の生き方に
共感できる点が必ずしも多いとはいえない。
実際の人物をリアルに描いた点では評価できる。
が、主人公に肩入れできない姿勢で観ることになると、
不憫に思えて仕方ないのが、その子供達なのである。
イサムの父は野口米次郎(ヨネ・ノグチ)であるのだが、
妹アイリスの父親は今もって誰なのかが分からない。
実際に判明しているのかどうなのかは分からないが、
本作では娘が言及するものの、レオニーは明かさない。
何か理由があるにせよ、子供にとっては疑惑千万。
母親の思惑に従って、単身渡米したイサムは終戦後、
迎えに来ない母親を待ってひとりで学校に寝泊まりし、
親切な学校長宅に身を寄せ、進学までさせてもらうが、
突然現れた母親がその校長に言い放った言葉は、
日本人には到底理解できない失礼至極な台詞である。
…とまぁ、他にも色々あるんだけど^^;
しかしどんなに人間的に欠落した部分があろうとも、
芸術家の才能を見抜く目は、あったということだろう。
わずか10歳のイサムに自宅の設計を任せてしまう。
潔いというか、やはり変わっているというか、とにかく
あぁやはりこの母にして、この子、なのだなと思う。
稀有な才能は、稀有な環境にして稀有な魂に宿った。
やはり芸術家の感性とは類まれなものだと感じる。
金銭面ではヨネの援助があったため、さほどの苦労は
なかったように感じる。むしろ当時の日本人の方が、
もっと貧困生活を強いられていた家族が大勢いたはず。
いわゆる「愛人」としての立場に甘んじざるを得なかった
母親の話だが、その反骨精神で見事に子供達を育て、
息子が世界的な作品を残す芸術家に育ったというのは
やはり彼女ありき。だったのだろうと思う。
共感できるできないはあれど^^;それが事実なのである。
(役者陣は申し分なし。獅童はこういう役、似合うわねぇ)
見る人によっていろいろな見方ができそうな奥の深い映画
世界的な彫刻家、イサム・ノグチ(1904~88年)の母、レオニー・ギルモアの伝記映画。
子供の才能を伸ばすために、子供の生きる場を次々変えていくのをみると「孟母三遷」のようなしっかりした教育観を持った母親を描いた映画とも言える。医者の道を志そうとする息子に、あなたは芸術家になるべきだと諭す。母親は強い、と思った。
イサム・ノグチの父、ヨネ・ノグチが男女の関係において当時の古い日本的価値観を引きずっていたのに対し、レオニーは現代的な男女関係を体現しようとしており、そのギャップも面白かった。正妻がいながら自分を養おうとするヨネに対し「私は犬ではない」ときっぱり断る。しかし、別れた後も、仕事のパートナーとしては常に夫を尊敬していたし、その血を受け継いだイサム・ノグチが芸術家を目指すべきと思うのも、ヨネを尊敬していたからだろう。ヨネが迫る従属的な男女関係にだけは従えないというレオニーだった。
二つの文化の境にいる子供はどちらの文化も享受する半面、どちらの文化からも拒絶される。境界にいる子供の強さを引き出し、日本的価値観やアメリカ的価値観のどちらにも染まらないようにイサム・ノグチを育てたレオニーは、確かに彫刻家、イサム・ノグチの生みの親でもあるのだろう。
これがノンフィクション映画であれば、巨匠になった後のイサム・ノグチに、母親への思いを語ってもらいたかった。
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