「本作は、ミステリーよりも、人間ドラマの方を重視しているのかも知れません。」彼女が消えた浜辺 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
本作は、ミステリーよりも、人間ドラマの方を重視しているのかも知れません。
本作は、イラン映画ですが、登場している人々が中産階級の人たちであり、割と日本人の生活感覚に近いので、違和感なく見られることでしょう。どこの国でも、中産階級の人がバカンスを楽しむこと自体は、そう差がないようです。
カスピ海の浜辺の一軒家という限られた場所でバカンスを楽しむために集まった約10名の家族。初日はお互いの交流を楽しんだものの、翌日突然、旅に参加したエリという若い女性がも失踪してしまいます。海に溺れた子供を助けて、溺れてしまったのか、勝手に帰ってしまったのか、その消息は一向に掴めません。旅のメンバーが消息を案じて議論していくうちに、エリという名前すら不確かだっことが分かり、逆に謎が深まっていくという展開はさすがに銀熊賞を取っただけに、引き込まれていきます。その白熱した議論ぶりは、映画『12人の怒れる男』での陪審員たちのそれを彷彿されるものを感じました。
けれども、ラストに余りに唐突に真相が明かされてしまうのは、ミステリーとしては興ざめです。もう少し、謎を引っ張って欲しかったです。
但し本作は、ミステリーよりも、人間ドラマの方を重視しているのかも知れません。エリを巡るささやかな嘘が、次第にメンバーを困惑させる事態に追い込んでいきます。失踪の知らせを聞きつけて現れた婚約者が登場したとき、エリがこの旅に参加した不純な動機を知らせるべきか、嘘で誤魔化すべきか、またまた旅のメンバーの間で議論が伯仲するのが、この作品の山場になっていました。
宗教的な理由で、なかなか嘘も方便とはいえないお国柄のところにきて、では正直に説明することが、果たして相手のためになるのかどうかということが、メンバーの判断を悩ませたのでした。
なぜ正直に、婚約者にエリの旅の目的を語れなかったのでしょうか。
中盤で明かされる、そもそも事の起こりはエリが、婚約者と別れて出直したいと友人の保母さんに相談したことからでした。婚約者は、そんなエリの気持ちを知りません。その友人が、婚約者がいることを伏せて、今回のバカンスを手配したお節介好きおばさんのセピデに、誰がいい人いないかって。勝手に相談してしまったのです。
そうしたらセピデは、待ってましたとばかりに、たまたまドイツの出稼ぎ先に戻る予定の知り合いの独身男性が、自分が手配したバカンスの旅に参加するから、その人も連れてきなさいということになったのです。その友人は、エリに滅多に会えないご縁だから、ひと目だけでもといって、強引に旅への参加を勧めたのでした。
いくら中産階級の集まりとはいえ、そこはイランというイスラムの戒律が厳守に守られているお国柄。さすがに正式に破談となる前のお見合い旅行は、イラン人の社会通念に反します。困惑したエリは、1日だけならと条件付で参加したのでした。けれども参加してみたら、相手の男性はすぐにエリを気に入って、気分はもう新婚旅行気分。周りからも祝福されて、エリも悪い気はしなかったものの、こころの中では罪悪感にさい悩まれていたのでした。
そんな事情を唯一知っていた友人は、エリの突如の失踪にも、きっと事情が語れないので、皆に黙ってテヘランへ戻ったのに違いないと確信したのでした。しかし、エリの母親に連絡しても、テヘランに戻ってはいませんでした。
果たして、エリはどこに消えたのか。海で溺れた可能性も考えられて、警察や地元の住民の応援も入った大掛かりな捜査活動のさなかに、婚約者が登場したのです。
こんなシチュエーション。いくら嘘をついてはいけないという戒律が厳しくあっても、婚約者に正直に話せるものでしょうか?
結局どうなったかは、伏せておきますが、婚約者を巡る顛末も、エリのその後に起きたことの真相同様に意外なものでした。
婚約者に内緒で、お見合いのための旅行を斡旋してしまったことが、こんなに軋轢を生むことなのか、自由恋愛が可能な日本人からすれば、少し感覚が馴染みにくいかも知れません。ただスクリーンからは、それが思わず嘘をついてでも誤魔化したくなるほどの背徳行為であることは、よく理解できました。
その辺のカルチャーの違いが、際立っているところが興味深いところです
ところで、劇中メンバーの男性が、自分の妻の言葉として、エリに話した台詞に「永遠の最悪よりも、最悪の最後がましなんだと」という台詞が印象的でした。婚約者からDVにあったりして、結婚に絶望していたエリを暗示させているかのような言葉だったのです。
果たして皆さんは、エリのように毎日が最悪の連続と思ってしまうほどの日々を過ごすよりも、その最悪が最後となる日を望まれるでしょうか。意味深な言葉ですね。