劇場公開日 2010年7月10日

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「古き良きバンパイアの物語」ぼくのエリ 200歳の少女 猿田猿太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0古き良きバンパイアの物語

2024年12月15日
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 凄い映画を見た気がする。自宅でDVDで試聴したにもかかわらず、劇場で最後まで席を立てない現象が起こった。エンディング曲があまりに染みる。「嗚呼」という溜息が止まらない。
 人々の首筋に喰らい突き、生き血をすする怪物、バンパイヤ。口から血を滴らせる、おぞましい姿を見せられながらも、そこに何故か高貴な生き様が光っていた。
 いじめられっ子の主人公。ナイフで脅す真似をする一人芝居をしながらも、現実は虐められる側。もうそこから映画が始まってました。弱肉強食の力関係で話は動く。その闘いの果てが、この物語の結末であった気がする。
 「やられたら、やりかえせ」と誇りある生き様を説くバンパイヤの少女。その力は古い掟に基づくものか、相手に入室の許可が得られないと肉体が崩れ始める定めに、その永遠の命は気品で成り立っているようにも見える。超国家的施設をも買える資産の持主であることも、その血統を示す要素なのか。少年は「殺して奪ったのか」と噛み付いたけど、少女は吠える。「ナイフで相手を脅す真似をしていたあなたと同じだ。理解しろ」と。それは少年のみならず、視聴者である我々への叫びなのか。またそれが最後の残虐なエンディングに繋がっていたと見えました。
 最後の主人公の救出劇が見事すぎる。襲いかかるその姿は見せない。観れば、靴のままだった少年が異様な勢いで水面を走る。何かがプールに投げ込まれたとみるや、あのいじめっ子のアニキの首だとハッキリ判ったことに自分でも驚愕。見た目は何気ない、でも、やってることは残虐非道と気付かされる。でも、極悪だと非難する気になれない。それは、「理解しろ」との少女の叫びがあったから。冒頭から表現された、弱肉強食の教えがあればこそ、胸をすくようなバンパイヤの圧倒的な強さに、こちらまで誇らしさを感じるばかり。最初から全て観てきたからこそ、見方が変わってしまった自分に驚くばかりで、もう溜息が止まらない。
 そして少年は誇りあるバンパイヤと共に旅立つ。今度は彼が少女の「ホスト」というわけなのでしょう。前任のホストは少女の存在を隠すため「自ら塩酸を浴びる」という壮絶な最期を遂げる。それもまた、高潔なるバンパイヤの僕(しもべ)としての宿命なのか。前任者は慣れない手つきで犠牲者を探し生き血を採取しようと試みていた。それは失敗し、少女はそれを責めたけど、それは「お嬢様の我が儘」のような憤慨ではなく、「頼むからもう誰も襲うな。私が生き血を集めるから」という約束の元だったのでしょう。それで、前の住居に居られなくなり、別の場所、つまり映画の舞台にやってくる羽目になった。
 ならば、新たなホストである少年の行く末が気掛かりで仕方がありません。前任者と同じく、壮絶な最期を遂げることになってしまうのかと。タイトルのボクって誰のことだろう。それは少年に限らず200歳まで生きた少女の歴代の「僕(しもべ)」のことじゃないだろうか。せめて、習い覚えたモールス信号で遊ぶ、二人の姿が微笑ましかったです。
 それにしても、少女の役を務めた役者さんが見事に役にハマってて素晴らしい。大きな瞳に魅入られたくなってしまうバンパイヤにふさわしかった。

猿田猿太郎