「ソフィアは本当に悪妻か?」終着駅 トルストイ最後の旅 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
ソフィアは本当に悪妻か?
ソクラテスの妻クサンティッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェ、そしてトルストイの妻ソフィア。以上が世界三大悪妻だ。ロシアのみならず世界的な文豪トルストイは、ソフィアのあまりの仕打ちに耐えかねて、80歳を過ぎて家出をし、自宅から遠く離れたアスターポボォ駅(現トルストイ駅)で客死した。これがソフィアを悪妻とする「史実」である。しかし「真実」はどうか?
本作は史実を基としたフィクションであるため、どこまでが「真実」かは解らない。しかし、ソフィアが本当の悪妻であったのなら、何故トルストイは50年近くこの妻と連れ添い、13人もの子供をもうけたのか?それ以上に、妻の協力なくしては『戦争と平和』も『アンナ・カレーニナ』も出版されなかったに違いないのだ。
トルストイは文豪であると同時に、“トルストイ主義”と呼ばれる自然思想を提唱した思想家でもあった。人道主義、戦争反対・非暴力、自然主義、土地私有化・農奴解放を唱えたトルストイ主義は、若者の熱狂的な支持を集めた。トルストイだけではこの思想は単なる”理想”で終わっていたろう。しかし、実際に行動できる若者たちによって、トルストイ主義は「形」をなし、トルストイ本人は神格化された。
トルストイと妻ソフィアの諍いは、熱狂的なトルストイ主義者たちによってもたらされたもので、50年近く連れ添った夫婦は実は深く愛し合っている。ただソフィアが少し感情的な性格だったのが災いしただけだ。確かにこの夫婦の価値観は大きく違う。しかし、トルストイの弟子たちの存在がなかったら、これほどまでの争いにはならなかったはずだ。弟子たちは「神」であるトルストイを主義の異なる卑俗な女の「夫」であることを許さない。妻は人類の幸福よりも家族の幸福を願い、家族である「夫」を奪い取った弟子たちを許さない。ここには「主義」以上に互いの「嫉妬」があるにちがいない。夢見る「夫」は、現実に疲れ「家出」という逃避に走る。これこそトルストイが「神」ではなく、たんなる理想主義者(夢見る人)であることの裏付けだ。弟子たち任せではなく本人が現実と向き合えていたら、妻との和解も簡単だったろう。えてして作家というものはそういうものだ。浮世離れしているからこその文豪だろう。しかし女は現実的だ。妻が家族の利益を主張するのは当然の権利なのだ。ただ、エキセントリックな性格ゆえ、時に醜態をさらし、夫や弟子たちの顰蹙を買う。
家を出た年老いた夫が、小さな駅で病に倒れた時、弟子たちは妻が看取ることを拒む。混濁した意識の中で妻の名を呼ぶトルストイのちぢかんだ姿を見ても、なおも主義を通そうとうする弟子に向かって、私は「主義主張なんてクソくらえだ!」と大声で叫びたくなった。自由を提唱するトルストイ主義者が、その主義にとらわれて、「不自由」になっていることに何故気づかないのか?しかし最後は「主義」よりも「愛」が勝つ。文豪は妻の見守る中静かに息を引き取る・・・。
さて、ソフィアが本当に悪妻かどうか。その答えは、この臨終の場ではなくラストシーンにあると思う。夫の棺と共に、静かに汽車で去る夫人に、集まった群集が声をかけるのだ。「奥さん、早く元気になってください」と・・・。真実を知るのは、主義主張に囚われなず、純粋にトルストイを愛した人々なのだ・・・。