赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道のレビュー・感想・評価
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スタジオジブリの新作並みの上質作を何年間にもわたり毎週観られたことは実に豊かで贅沢な時代でしたね。
新作アニメ『アン・シャーリー』がNHKで放送中のL・M・モンゴメリ原作『赤毛のアン』。
日本アニメーション創業50周年を記念して1979年に「世界名作劇場」で放送された高畑勲監督版『赤毛のアン』(1~6話再編集版)が5月30日(金)から2週間限定公開中。
『赤毛のアン~グリーンゲーブルズへの道~』(2010年/100分)
フジテレビがまだ「母と子のフジテレビ」のキャッチフレーズだった1979年、毎週日曜19時30分の「世界名作劇場」第5弾として全50話放送。
本作はアンがグリーンゲーブルズへやって来て、カスバート兄妹に正式に引き取られるまでの第1話~6話を再編集。
監督・脚本は高畑勲氏、キャラクターデザインはのちに『耳をすませば』」(1995年)を監督する近藤喜文氏、宮崎駿氏も場面設定・画面構成で参加と今思うと何とも豪華な布陣。
45年以上前の作品で技術面では今と大きな差はありますが、近藤喜文氏の描くキャラクターは洗練されたデザインで、実に生き生きと実写作品以上に真に迫っています。
さらに感受性豊かで空想好き、立て板に水のごとく喋り続けるアンの独特のキャラクター設定も脚本も手がける高畑勲監督が上手に演出していますね。
主題歌「きこえるかしら」「さめないゆめ」も子供向けアニメのレベルを遥かに超えた甘美で壮麗なアニメ史に残る名曲。
世界名作劇場の枠は古くは『ムーミン』『アルプスの少女ハイジ』、その後『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』『ペリーヌ物語』、そして本作とスタジオジブリの新作並みの上質作を何年間にもわたり毎週観られたことは実に豊かで贅沢な時代でしたね。
再編集版? ほんとに?
オリジナルを見たことがなく、この映画だけ観ての感想。
とにかく想像力先行でつんのめってしまうアンの魅力!これだけでぐいぐい持ってかれてしまう。高畑勲作品では一番好きかもしれない。
受け入れ先のおばさんの心境が変化しただけと言えばそれだけの話ではあるが、そこに至るまでの手順が丁寧。これは受け入れざるを得ないよ、と誰もが納得してしまうだろう。
あとTwitterの指摘でも見たのだが、アンが里子に出されていた時、ほんとは酷い目にあったはずなのに「でもね、おばさんたちは私によくしてくれようとしてたはずなの」と語るとこ、ここはマジでうまい。グッと心を掴まれてしまう。
この後、テレビシリーズを全話見るつもり。アンのしゃべりを私もずっと聞いていたいからだ。
新作TV版と比べても
きこえるからしら さめないゆめ
2025年映画館鑑賞53作品目
6月1日(日)イオンシネマ新利府
ファーストデイ1100円
監督と脚本は『火垂るの墓(1988)』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョとなりの山田くん』『かぐや姫の物語』の高畑勲
脚本は他に『高原のお嬢さん』『青春ア・ゴーゴー』『孤島の太陽』の千葉茂樹と翻訳家の磯村愛子と『救いたい』の神山征二郎
粗筋
田舎で二人暮らしのカスバート老兄妹は共に独身で子供がいなかった
働き手として10歳くらいの男の子を孤児院から預かり教育を受けさせ家庭を持たせ後継ぎになってもらおうと考えた2人だったが手違いでやって来たのは11歳のお喋りな女の子だった
孤児院に返すつもりだったが考えを改め引き取ることに
時代は1890年代
カナダのプリンスエドワード島
愛媛県とほぼ同じ広さで東京都の3倍の広さ
当時はわからないが今の人口は13万9千人くらい
深谷市と同じくらいだが人口密度は全く違う
島ごと州でプリンスエドワードアイランド州とも呼ばれている
島といっても大きめの島で島の有力者の働きかけのためか馬車だけでは不便なので汽車も走っていた
車社会のためか今では廃線になっている
その代わり本土から橋が掛かっていて州都シャーロットタウン行きのバスが走っているらしい
赤毛のアンの故郷として日本人観光客がそこそこやって来るそうだ
ラムサール条約に指定されるような自然豊かな肥沃な土地だが要するにド田舎
それでも愛媛県よりは一万人ほど人口が多い
グリーンゲイブルズとはカスバート兄妹の自宅の屋号のこと
TVアニメ1話から6話の再編集のため名前こそ出るが親友ダイアナそのものは登場しない
土地柄に合わせたのか随分とのんびりとしたアニメで第4話なんてアンとマリラが自宅から馬車でスペンサー夫人の家に到着する前のおしゃべりだけに終始している
見所はアン独自の世界観から駆り出すマシンガントークと現実主義者マリラの冷たいツッコミという会話劇
マシューは女が苦手だがちょっとした恥ずかしがり屋であってヒゲゴジラのような恨みがあるわけでなさそうだ
口数は少ない
アンのおしゃべりには「そうさのう」程度でツッコミはない
アンは赤毛にそばかすで痩せ方の少女
呆れるほどのおしゃべりだがブルエット夫人のようなタイプに出くわすととたんに無口になる
アンは幼い頃に両親を亡くし身内を盥回しにされた挙句に孤児院生活に
だからといって番場の忠太郎のようにヤクザになるわけではなかった
彼女の妄想癖は詩的でポジティブで憎悪がない
それは彼女が生きるための希望そのもの
ネトウヨの妄想にはアジア系外国人やパヨクに対する憎悪
パヨクの妄想には保守に対する勘違いにも似た憎悪
キモオタの妄想には美少女アニメを嫌う者たちへの憎悪がある
他責思考の彼らは敵がいないと自分を保てないのだ
妄想癖といってもアンとは歴然な違いがある
多くの人々から赤毛のアンが長く愛される理由のひとつがそこにある
彼女の生き方そのものが赤毛のアンを不朽の名作にしている
スクリーンで初めて観た赤毛のアン
オープニングテーマ『きこえるかしら』に胸踊る「懐かしい」
歌い始めたらすぐに間奏に入るがあれがまた良いんだな
生まれつきの野暮天な自分でもこのサイズでやっとアンの感動に少しは近づけた気がした
グリーンゲイブルズへの花の道はアンの希望
だが自分はお喋りな人は苦手だ
仙台やイオンモールなどで仕事上話しかけて来る知らない人も嫌いだ
仕事のため話しかけても考え事をしているのかなかなか口もきけない人も苦手だが
マリラのような発言はできないが「そうさのう」と言える包容力?があるお爺さんにはなりたいものだ
仕事上話しかけて来るのは仕事だから仕方がないがとはいえ幼い子供じゃないんだからおじさん相手にうまい棒を数本差し出されても手に取ることはない
ノルマをこなして早く帰りたかったのだろう
藁にさえなれなくて済まないが知らない人から貰ううまい棒はいらない
ポケットティッシュとかならともかくうまい棒ってなんだよ
それが最近のトレンドか
配役
幼い頃に両親を失い孤児院からカスバート兄妹の元で育てられることになったおしゃべりで妄想好きなアン・シャーリーに山田栄子
カスバート兄妹の妹で料理が上手だが現実主義者でアンのおしゃべりに辛辣なマリラ・カスバートに北原文枝
カスバート兄妹の兄で農業と貯蓄の利子で生活している「そうさのう」が口癖で内向的なマシュウ・カスバートに槐柳二
ナレーションに羽佐間道夫
グリーンゲイブルズの近所に住むおしゃべりなおばさんでマリラとは古くから友人のレイチェル・リンド夫人に麻生美代子
男の子を欲しがったカスバート兄妹に対し手違いで女の子を連れてきたアレキサンダー・スペンサー夫人に坪井章子
最寄駅の駅長に塩見龍介
ホワイトサンドのスペンサー夫人の家に馬車で向かう途中で声をかける主婦に高村章子
スペンサー家にやってきてアンを子守として欲しがった意地悪そうなお婆さんのブルエット夫人に京田尚子
スペンサー家の娘でリリーを妹のように可愛がるフローラ・ジェーン・スペンサーに吉田理保子
スペンサー夫人が孤児院から引き取った幼い女の子のリリー・ジョーンズに貴家堂子
劇場版のエンドクレジットにはなぜかアンとカスバート兄妹とナレーター以外役名がない
リリーの声はたしかにタラちゃんの声
名字も名前も読めない人名ってなかなかない
最終話「神は天にいまし、すべて世は事もなし」につづく話
ルーシー・モード・モンゴメリ先生原作の「赤毛のアン」のテレビアニメ化がされたのが1979年、私が小学生低学年の頃のこと。当時、再放送含めバトルヒーローものの鑑賞に忙しかったはず・・・の私が、なぜかこの地味な児童文学の匂いのする「赤毛のアン」に心を強く惹かれ、よくテレビ鑑賞してました。最終話「神は天にいまし、すべて世は事もなし」は印象的で題名を覚えました。当時は古語的言い回しゆえ、意味がよく分からなかったけど(笑)。
学生時代シリーズ全50話、ビデオレンタルで見直した際、改めて傑作であることを確認しました。また高畑勲さん宮崎駿さん、近藤喜文さんら・・・当時のジブリの重鎮が揃いも揃って参加していたことをその時知り、驚愕したのは言うまでもありません。彼らが子供向けテレビシリーズだからといって妥協するわけなんかなく、その凄まじいほどの完成度から心血注ぎ、魂削ってこの作品を作り込んでいたのは想像に難くありません。
今回、シリーズ6話までの再編集版を高畑勲監督自ら制作いただいたものが劇場の大スクリーンで鑑賞できるということで、グリーンゲーブルズに向け、正装したマシュウ・カスバートと馬車で疾走するアン・シャーリーの如く胸を躍らせて映画館に足を運びました!
そして映画冒頭、お約束の主題歌とアンを乗せる幻想的な馬車のシーンで初っ端から感涙です!
ただ、思い出補正だけで過大評価してるみたいなレビューと思われると癪なので(笑)、以下整理しました。
この作品の秀逸なところは
・グリーンゲイブルズの周囲の自然、人工物含めて美しく魂が宿っている様な素晴らしい背景美術。
・過剰気味な言葉以上に、目で語るアン・シャーリー。想像を巡らすときは心ここにあらずな虚空を見つめる様な描写が多々みられる。これ、演出上本当に素晴らしい!
・原作に忠実かつ、行間を読み込む様な深い理解をした上での映像化!今、某国営放送で上っ面だけ綺麗にリメイクしてる製作者は教科書として原作本と合わせてテレビシリーズ全50話見返してたら良い(笑)。
残念なのは、今回の総集編が物語のさわりではあるが、ほんの導入部分のみってことです。もう、これは全集ブルーレイで買えってことなんでしょうか(検討中。たぶん買います!)
ぜひ、ご鑑賞を!
アンが愛おしく、描写が美しい
夢見る少女
ぜひ!4:3を映画館で見られる最後のチャンスかも
リバイバル上映にて鑑賞しました
見ておいて良かった作品と感じこの機会に感謝します
テレビ版「アン・シャーリー」に合わせてのリバイバルですが
高畑勲監督が「何を大切にして」再構成をされたかが改めて感じられた作品です
私自身は原作を侮蔑しなければ改変表現は許容出来るほうだと思っていましたが
「省いてはいけない部分」「表現しないことにより理解出来る後景」を含ませる事の
重要性を痛感しました
なぜアンがうるさいほどに言葉多く語るのか、比喩装飾表現や自身の感情を
自然や物事に投影して関係性を持とうとするのか
ともすれば説明臭いと捉えられる表現を当時に高畑勲監督が作り上げたことは
とても意義深い事と感じます
(当時はそんな事はわかってもいませんでしたが)
テレビ版「アン・シャーリー」も良い出来だと感じますが
モンゴメリ原作の「赤毛のアン」の人物像とは別人に感じてしまいました
良い機会ですので原作を読み直してみたいと思います
素敵な事が始まる予感がいっぱい
TVシリーズの6話までを高畑監督自身が編集した劇場版「アン」。
しかし公開に至らずお蔵入り、20年を経てやっと公開された作品です。
今はなきシネマ・アンジェリカでやっていました。
監督 高畑勲、画面構成 宮崎駿、キャラデ・作監 近藤喜文、美術 井岡雅宏という錚々たる顔ぶれです。
また編集のつなぎが見事で、一本の作品のような見事な仕上がりでした。
そして久しぶりに観たけど、本当にアンは素敵。
あの止めどないお喋りも魅力的なんです。これはアン役の山田栄子さんの声があってこそでしょう。
あの感情の振り幅は実に見事だと思います。
劇場版は長い物語の一番最初。ずっと孤独孤独を感じていたアンに、初めて居場所が見つかるまでが描かれています。
野良仕事を期待して男の子をもらうはずが来たのは女の子。
この行き違いには双方が絶望的な気持ちに。
でも段々とマリラの考えがアンに寄り添ってくるのが、見ていてすごい嬉しくなるんですよ。
そうした中、あの家に戻ってこれた時のアンの笑顔がまた素晴らしい。
これから新しい生活が、素敵な事が始まる。
そんな予感がいっぱいの作品でした。
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