シリアスマン : 映画評論・批評
2011年2月15日更新
2011年2月26日よりヒューマントラストシネマ渋谷にてロードショー
われわれも迫り来る竜巻の先を見通す視線を獲得出来るはず
舞台となるのは67年アメリカ。音楽好きなら、ラブ&ピースのサマー・オブ・ラブ前夜の物語だとピンと来るかもしれない。この映画はそんなアメリカの変化の季節から取り残された中西部の田舎町、閉鎖的なユダヤ人社会に生きる人々を主人公に持つ。
そこでは大人たちはもはや生きる支えを失っている。神の存在が信じられなくなったと若きラビまでがそう語る。神は答を用意していないと老人のラビは言う。それまでの真実が嘘だと分かったとき、希望が何もなくなってしまったとき、私たちは一体どうしたらいいのかと、誰もが途方に暮れている。これまで自分たちがして来たこと、築いて来た世界の足下が揺らいでいることをもはや隠すことは出来ないのだ。
その危うさと空虚を、子供たちは全身で感じている。何もない場所、すべてが壊れた場所から何を始めるか。そんな痛々しい予感に全身をふるわせて、彼らはラジオから流れるロックに耳を傾ける。そうやって彼らは、この現在が壊れた先、廃墟の向こう側に幽かな希望を見るのだ。痛々しくも美しい若さの物語。それはあれから40年以上を経た現在に向けられた物語でもあるだろう。われわれもこの映画の若者たちのように、迫り来る竜巻の先を見通す視線を獲得出来るはずだ。そんなドキドキするような小さな予感が胸に宿った。
(樋口泰人)