白いリボンのレビュー・感想・評価
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媚びない映画
ミヒャエル・ハネケ監督による第一次世界大戦直前のドイツの農村を舞台にした作品。平穏な日々を過ごしていた村をドクターの落馬事故と小作人の妻の死という2つの事件が襲います。一度は村のボスである男爵を中心に結束を固めたかに見えた村人たちでしたが、男爵の息子の誘拐事件をきっかけに疑心暗鬼が渦巻くようになっていく……という感じの映画です。
とにもかくにも「媚びない映画」でした。そもそもこの3D時代に全編白黒。加えて一般的な商業映画には欠かせないオープニングの盛り上げも一切なし。ただ淡々と狂言回しの教師による抑制の利いたナレーションが続きます。(レビューで言及していた方がいらっしゃいましたが、そもそもあれが教師だって事はもうしばらくお話が進まないと分からないし……)
お話が進んだところでハリウッドよろしく世界が終わろうかというほどの大事件がバシバシ起こる訳でもない。最初はあまりの低刺激ぶりに違和感を感じましたが、次第に自分がアメリカ型商業映画に慣れ切っていたのだと痛感させられます。
この映画、中盤まではとにかく疑念・疑惑を抱かせるような描写を重ねていきます。そしてある決定的な出来事をきっかけとして狂言回しである教師の男が一連の事件の解明に乗り出すのです。が、結局第一次世界大戦という歴史の大きなうねりを前に、物語は事件の全容を解明するヒントすら与えずに幕を下ろしてしまうのです。疑いだけがとてつもなくふくれあがった状態で、それらが回収される事は一切なく物語は終了してしまうーーはっきり言って観賞後はかなり不快な気分になりました。正直言って「見に行って損したな」と思わずにはいられなかった。
しかしもしかしたら不快な・漠たる不安を抱かせる事こそが奇才・ハネケの狙いだったのではないかと今では思っています。村人たちは、自分が映画館を出る時に感じた、不穏さや不安を一生胸の奥底に秘めたまま生きていくほかないのです。つまりハネケは観客に村人たちが生涯苛まれる事になった正体不明の恐怖を追体験させたくてこの映画を作ったのではないでしょうか。
教師の人柄と行動もハネケの描く恐怖を引き立たせています。一見すると登場人物に共通する陰険さからは離れた存在で、この物語で唯一「正常」な人物であるように見えます。しかし物語の終盤では彼が最も積極的に村の疑心暗鬼をあおる役回りを演じる事になるのです。この映画では、一度どろどろとした怨嗟の念が渦巻き始めると、良心や高潔さはいとも容易く狂気に変じてしまう事がはっきりと表されていると思います。
「媚びない映画」なだけに、見ていても、見終わってからもしんどい映画でした。『隠された記憶』と『ピアニスト』を買っちゃったけど、ハネケの映画は当分見たくない……
正座をして観る様な映画だと覚悟して出掛けてください。
2010/12/12(日)の10:00の回を観ました。意外にも劇場は満席でした。映画は、静寂と共に物語が始まります。その後も、台詞以外の音は極端に控えているのため、生ツバを飲む音も周りに聞こえるんです。禅の修業の如く緊張した状態で観なければならない。最後まで鑑賞するには、少々忍耐が必要です。隙が無い完璧な作品で、村人の内面に潜む悪意や暴力を、到来する戦争や全体主義に重ね合わせ、人間の本質を浮かび上がらせているのですが、台詞と状況の説明が多いためストーリーを追いかけるのが精一杯。人物の内面が伝わり難かったです。抑え気味の演出で淡々とした展開の為か?。この作品は、何度か繰り返して観なければ、自分なりの理解に至らないと思います。1シーン毎に監督なりの凝った主張がある為です。みなさん禅の修業の如く正座をして観る様な映画だと覚悟して出掛けてください。
「白いリボン」の陰
ミヒャエル・ハネケ監督の作品は初めて見ました。
大戦に突入する直前のドイツの田舎町での出来事が回想されます。
次々と陰惨な事件が起き、犯人は藪の中のまま軍靴に紛れます。モノクロの息苦しい薄暗さに背筋の凍る恐怖が迫ってきます。
見えない針金が予兆する闇の深まりは、領主と教会はじめその取り巻きと貧しい農奴らとの格差社会の必然です。支配者に対する妬みと弱者に対する優越に、大人はあきらめ甘受し、子供は抑圧に正直に反応します。
格差と貧困が暴力を正当化することはできません。平和と繁栄が真の希望をもたらします。
ミヒャエル・ハイネの世界
皆さん、こんにちは(いま12月8日pm2:15頃です)
この「白いリボン」。
なんといっても画が美しい。
モノクロだけど、カラー以上に実態に近いのだと思う。
くっきりとした輪郭、陰影に富んだ画つくり。
どの画面も一個の絵画のようだ。
アートとしてより際立っている作品である。
この「白いリボン」。
なんと解釈すればいいのか。
美しい山村を描いているが、その裏面になにがあるのか。
迷わせるものが、充満しているのだ。
男爵、牧師、医者、教師、そして女やこどもたち。
そこに現れる息苦しい日常生活がある。
この「白いリボン」。
なんといえばいいのか。
静かな暮らしがあるのだが、その奥底にはなにがあるのか。
嫌悪し、唾棄したいことがあるのだ。
権威、権力、傲慢、横暴、そしてそれへの反発。
抜けられない規律と背理がある。
そう、
そこから逃げ出すために戦争があった。
ナチスドイツの台頭もあったのではないか。
なんとも恐ろしいことだけど、
それもひとつの真実かもしれないと思った。
ミヒャイル ハイネ監督の普遍的なアートがそこにあった。
人間社会に普遍的に存在する閉塞性を鋭くついた、難解だが見ごたえ充分の名作!
この作品、人への説明や紹介が実に難しい。と、言うのも、監督ミヒォャエル・ハネケがひとつひとつのシーン、演出に対する回答を観客にあずけてしまっているからだ。つまり、物語やシーンの話をするのは、この作品をこれから見る人への興味を、むしろそらせることになってしまいかねない。
それでも映画の中身の話をしないと意味がない。物語は第一次大戦前、北ドイツの素朴で小さな村である日、医者が自分の玄関先で張られた針金にひっかかつて大ケガを負うところからはじまる。そこからの話は、起こった事件の羅列になる。農民の妻が転落死、知恵遅れの子どもの失踪など…。なぜ大事件にもかかわらず羅列的に登場するのか。その理由は、この映画を解説する、物語内の唯一の説明者である若い教師をはじめ、村人たちが事件に対して正面から向き合おうとしないからだ。実は、そこにハネケ監督が提出した観客への重要なメッセージがあり、この作品そのものの核があるのだ。
素朴な村、という外見であっても、映画の内容から浮かび上がってくるのは、村社会にある閉塞性や、当時の教会に持ち合わせていた厳格な社会性だ。そこには、人間的な優しさなどあるはずもない。正面から事件に向き合わないのは、そんな村や教会に暮らす人々同士が絆ではなく、互いに疑いの目でしか相手を見ようとしないからなのだ。この映画を見終わったあと、本当に恐ろしいと思ったのは、このハネケが描いた村は、その当時では決して特殊ではないこと。さらに言うなら現代社会、たとえばすぐデモに参加する若者が大量に出没する中国や、会社組織を厳格に大事にしようとする日本の社会性に、とても似ていると感じたからだ。この映画、評価を高いのは当然だろう。これだけ、人間社会や人心に普遍的に持ち合わせている恐怖を鋭くついたものは、他にはあまりないからだ。
私は、この映画を見ている最中、ランス・フォン・トーリア監督やイングマール・ベルイマン監督の一連の作品を思い返していた。トーリア監督の作品には閉塞的な人間社会を見つめる目があった。そしてベルイマン監督には「神の沈黙」から、教会社会への批判的な目があった。ハネケ監督の今回の映画には、そのふたつの目で人間社会を照らし、閉鎖的になりやすい現代社会に対して、痛烈な皮肉さえもこめて警鐘を鳴らしているように思う。ただ、普通に淡々とスクリーンを見ているだけでは、そのハネケの意図やメッセージ、この映画の良さそのものを感じとることはできないだろう。これから見る方には、ひとつひとつのシーンや演出をじっくりと吟味し、自分たちで昇華する能力が必要だと思う。その意味ではこの映画、ハネケ監督から観客に投げかけた、映画を見る上や現代社会に暮らす上での、難しい練習問題という側面もあるのかもしれない。
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