コトバのない冬のレビュー・感想・評価
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コミュニケーションの空虚さ
何気ないシーンの中に言葉の意味を考えさせられる。言葉を発することのできない男性が孤独になっていくのは哀しい。
観終わると切なさに胸がキュンとなる。
インターネットや携帯端末の発展で、コミュニケーションの取り方が大きく変化した21世紀においても、コミュニケーションの一番の基盤は“コトバ”。言葉を発することの出来ない青年は、孤独を甘んじて受けなければならないのか・・・。“心”が通じ合えばコトバはいらない。そんな期待を観るものに持たせるラブストーリーが、些細な事故によって崩れることの切なさ。それも全くの不可抗力によって・・・。“コトバ”以上に人間のコミュニケーションに大切なのは“記憶”。それが無ければ、コミュニケーションのとりようも(コトバのかけようも)無い。
俳優渡部篤郎が、初監督作品で投げかけるのは、デスコミュニケーションの哀しさだ。本作のヒロインは、全編を通してコミュニケーションを求め続ける。前半は、遠く離れた恋人からの連絡をひたすら待ち続け、コトバを発しない青年と出会ってからは、彼とのコトバのないコミュニケーションに安らぎを見出す。そして落馬事故によって、数日間の記憶を失ってからは、思い出せずにいる”何か”のためのデスコミュニケーションに怯えているかのようだ。ヒロインを演じた高岡の、笑っていても哀しみをたたえた表情を見るだけで、胸がキュンとしてしまう。彼女は忘れてしまったことを、おそらく一生引きずり続ける。日常生活のふとした時に、心にチクリと痛みが走るだろう。だがそれもすぐに忘れてまた日常を繰り返す。それでも幾度となくそのチクリとした痛みを抱え続けるだろう・・・。しかしそれ以上に哀しいのは、彼女が去った理由を知らずに、彼女を思い続けなければならない青年だ。口のきけない青年は、彼女が去った原因は自分にあったのではないかと結論を付けるだろう。そのことによって、彼はますます孤独に陥っていくのだ・・・。
北海道の寒い空気の中、コトバ少ない人々(その中でただ1人饒舌な食堂のおばちゃんの存在が現代の軽薄なコミュニケーションを象徴している)のなにげない日常をスケッチしながら、現代人のデスコミュニケーションを切なく描く渡部の繊細な演出は見事。
手持ちカメラによる即興演出で、ホームビデオを盗み見しているようなリアルさがあるが、それでもどこか御伽噺めいて見えるのは、雪のように儚い存在の人間たちの儚いラブストーリーだからだろう・・・。
余談だが、映画館の一番前の席で本作を観ると、画面のブレによって酔ってしまうので注意しましょう(汗)
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