「ナチ政権下で起きていた、知られざる悲劇」アイガー北壁 REXさんの映画レビュー(感想・評価)
ナチ政権下で起きていた、知られざる悲劇
エベレスト初登頂のときのように、アイガー北壁でも、欧州各国の初登頂争いは熱気を帯びていた。
さらに当時のナチ政権はベルリンオリンピックを目前としており、アイガー北壁を登頂した暁には金メダルを与えると喧伝。ドイツの手柄にするものかと、各国の登山隊がアイガーに集う。
二人の主人公、トニーは「生きて帰る」をモットーとした慎重派。対するアンディは自信に満ちた情熱家。アンディの熱意に引きずられるように登攀を決めたトニーだが、本心は名声につられた野心家だと思われたくなかったに違いないし、本気でアイガー北壁は難しいと判断していたに違いない。
スポーツマンシップに則り他の隊を助けたり、血気にはやるアンディを制して撤退を決めるなど、冷静さを保ち困難を克服しようとしていた彼が、アンディの死を目の当たりにした挙げ句救助隊に見捨てられてしまい、とうとう取り乱してしまった時は、心締め付けるものがあった。
凍傷で動かなくなる指先、ザイルで負った擦過傷、堅い岩盤に刺さらないピッケル、現代より格段に劣る防寒具、夏なのに襲うブリザード、すべてが生々しく、高山の過酷さをまざまざと描く。
そもそも、アンディが自らザイルを切った時点で、トニーには彼の死を越えて生き延びる気力がほぼ無くなっていたのではないだろうか。
私も登山をするが、誰かがいるからしんどさも越えられる場面が多々あるし、不思議な力が湧いて来るもの。それは沿道やゴールに歓声のないスポーツである登山では特に重要なこと。トニーも相棒の命を背負っていたからこそ、生還ギリギリまで耐えられたのだと思う。
最後まで二人の足を引っ張るオーストリア隊も、ボロボロになりながらも絶対引き返さなかった背景には、彼らがナチ党だったからなのか、本意はナチを嫌っていたのに処世術で行かざるをえなかったのかは劇中から察することはできないが、彼らもまた時代のムードに翻弄されたといっても過言ではないだろう。
しかしヨーロッパの当時の技術力と生活水準の高さに驚く。標高2500メートルに四つ星ホテル? 標高3000メートルの駅に、観光用登山列車が到着?
欧州の山岳観光という物が、いかにセレブな階級の娯楽だったのかがよくわかる。
とはいえ、アイガーの列車は元は炭坑用。
麓の様子はそのまま格差の対比となる。
労働者たちが命を削って掘った岩盤と観光目的に金持ちが集う四つ星ホテル、テントで寝泊まりする登山家たちとホテル客。
トニーの元恋人で新聞記者見習いのルイーゼも、当初はキザでお洒落な上司ときらめく上流社会に心ときめいていた。
多少ご都合主義だったことは否めないが、ルイーゼは登攀を見守るうちにトニーへの想いを甦らせ、なんとか彼を助けようとする。もう少しの距離で如何ともしがたいザイルの距離、涙なしには見られない。
ラストはルイーゼが虚飾にまみれた社会と絶縁し、トニーへの愛を思い出のよすがとして自由の国アメリカで強く生きる姿が映し出される。
ヒトラー政権下において、国威発揚のセレモニーとして聖火リレーが発案されたベルリン五輪が「陽」ならば、アイガーに散った者たちはいわば失敗した「陰」のような存在なのだろう。
知られざる歴史の一部を知り、気がふさぎ込むような悲しい気持ちになったが、この実話を知ることができてよかったと思う。