「所作に長けた演出が光る、様式美あふれる時代劇」必死剣鳥刺し こもねこさんの映画レビュー(感想・評価)
所作に長けた演出が光る、様式美あふれる時代劇
ひさびさに品格を感じた時代劇だった。それは、細かく演出された武家の所作によるものに他ならない。割に作品によってムラがある平山監督だが、今回は見事な仕事ぶりだったと思う。
この作品での所作の確かさは、どれをとっても素晴らしいものだった。たとえば、殿様に主人公の兼見が謁見する場面、殿様よりはるかに下の位の兼見は、呼ばれても最初は襖ごしに話をするだけ、指示があっても襖の前の畳のへりは絶対に越えない、というのはこの作品における所作の確かを裏付けているものだ。テレビ時代劇などで、奉行の身の者が将軍の隣にいることがよくあるが、奉行ごときの身分が将軍様に近づくことなど、本当はありえないことなのである。
また、兼見の家の中の所作でも、食事の場面では、一番上座が主人、その下が手伝いに来ていた妻の妹、その下に下働きの女と、それほど重要ではない場面でも所作に配慮した演出をしていたのには感心した。
さらに、主人公と殿様に対立するご別家との決闘場面。普通の時代劇ならば、長い太刀を振り回すものだが、普通、城の中は太刀を使えないようにするために、柱などを低くして狭くしている。この作品では、そのサイズに合わせるように、小太刀を使った斬り合いを演出していたのも誉められていい部分だ。なぜ、それほどまでに所作にこだわったことが良かったのか。それは、時代劇独特の様式美が生まれるからである。
市井の者たちを主としたものに比べると、武家を主にした時代劇は、主じに仕える身の悲しさという物語が多く、それほど大きな変化はない。だから映画で武家社会を見せる場合、その社会独特の様式や品格を演出することが重要になってくるのだ。これを怠ると、ただの安ものの時代劇になってしまうケースがよく見られるが、特に藤沢周平原作の時代劇の場合は、武家のしきたりを重んじたものが多くなるため、余計に重要になってくる。この作品の場合、藤沢作品の最も大事なものをきちんと演出してみせた分、作品としての評価が上がるのは当然だ。特に、それが映画全体に人間的な美しさが醸しだされたのだから、平山監督演出の様式美は大成功だったと言うべきだろう。
ただ、こういう時代劇は、ある程度目を肥えた観賞眼がないと、本当に評価されない。見る側の我々が試されている、という点でも、この作品の位置するものは相当高いと思う。