悪人のレビュー・感想・評価
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人は集い、そして散じる
李相日(リ・サンイル)監督作品の映像は、綺麗とは言い難い。けれども、美しいはずだ、美しくあってほしいと思わずにいられない。幕切れの二人の顔は、一瞬直視し難いほどにやつれてすさんでいる。それでも、二人の表情は美しい。そんな思いへ観る者を衝き動かす、感情のほとばしりを秘めている。
取り返しのつかない過ち、引き返せない道行き。絶望に押し潰されそうになりながらさ迷う彼らに一筋の光を与えるのは、ふと出会った見ず知らずの人の言動だ。たとえば、無愛想なバス運転手の一言が、突然逃亡犯の身内となった老女を現実世界に繋ぎとめる。それは、胸がすっとする、清涼剤のようなワンシーンだった。極め付けは、娘を失った父の独白。搾り出すような彼の言葉は、渇いた大地に降る雨のように、感情を失い渇いた若者の心にしみていく。
しかし、父はその言葉をいちばん大切だった娘に伝えることはできなかった。(李監督の長編デビュー作「ボーダーライン」で、主人公の少年の心を揺り動かしたのは、たまたま知り合った冴えない中年ヤクザ(本作では主人公のおじ役の光石研が演じている。)との不器用な語らいだったことが思い出される。)本当に大切なことは、身近な人ではなく、行きずりの人から教わるもの。逆を言えば、本当に伝えたいことは、一番に伝えたい人に伝えられない、そんな不条理さを内包しているのかもしれない。
その時、言わずにいられなかった、伝えずにいられなかった言葉。そんなかけがえのない言葉に出会えるのは、理屈や思惑を越えた、偶然とも運命ともいえる巡り会わせゆえ、なのだ。
それにしても気になるのは、「フラガール」の李監督と言われても、「スクラップ・ヘブン」の李監督と言われないことだ。「スクラップ・ヘブン」は、加瀬亮、オダギリジョー、栗山千明による、閉塞的な社会から抜け出し、対決しようとする若者を描いた群像劇であり、「ボーダーライン」と同様に本作と地続きの作品と言える。本作を機に、父を殺した少年のロードムービー「ボーダーライン」は再評価の動きがあったが、「スクラップ・ヘブン」が描いた世界には、まだ世の中がついていけていないようだ。
私は、李監督の「次」が待ちどおしい。李監督作品を観ると、いつもそう思う。
映画には、大別すると「予想される大団円的結末に危なげなく向かう作品」、「あっと驚く結末を備えた瞬発力のある作品」、「どこに向かっているかが最後まで読み取れず、それでいて観る者をひきつける積み重ねから成る作品」があるように思う。李監督は、もちろん最後のタイプ。だからこそ、私は「次」が気になってしまう。李監督はどこに向かっていくのだろう?と。
「スクラップ・ヘブン」で語り切れなかったことを、「悪人」は語ろうとしている。けれども、語り尽くされてはいない。続きは、きっとまだ見ぬ「次」にある。
李相日の容赦ない追い込み方に瞠目
2010年に鑑賞した作品としては、1位。
李相日監督は、いつだって手がける作品に説得力を持たせており、今作は彼のキャリアのなかでも3本の指に入る出来栄えになっていると、個人的には感じている。
妻夫木聡と深津絵里が素晴らしいのは言うまでもない。岡田将生と満島ひかりが軽薄な役どころを見事に演じ切り、樹木希林さんと柄本明はどこまでも作品に寄り添った演技で観る者の心を打ちのめしてくれる。
それにしても、灯台のシーンは寒かっただろうなあ…。あの容赦のない追い込み方に瞠目させられてしまう。次はどんな作品で、誰をどのように追い込んで、作品世界を構築していくのか楽しみでならない。
全員良い演技
何が良いって、どんなに出演時間が短くてもその登場人物がどんな人となりで、何を思って日々を過ごしているかがリアリティを持って感じられること。
だからこそ映画全体の
「本当の悪人なんているのか」「見る人によって誰が悪人かなんて変わってしまう」
そういったメッセージが効いてくるんですよね。
特に自分の人生はこの道の中だけで完結してる、みたいな深津絵里の長台詞が良かった。
自分の良心も振り回される
誰が悪人か悩む展開に自分の良心が振り回される。
人は他人を自分が見たいようにしか見ない。
誰にでも悪な面はあるし、誰でもどの人にも同じ顔を見せるわけではないから、、犯人の印象を聞いても見る人によって真逆を語られるのも仕方ないと思う。
そしてまた、人それぞれ経験によって得た対人の評価の仕方ってのも違うので、あくまでもこれは私の感想だけども。
ラストの彼の行動には愛を感じてしまったのよね。。
サイコには見えなかった。
彼女が信じた彼を私も信じたい。
。。
しかし本当に岡田将生氏はこういうサイコな坊ちゃん似合うな。
表の美しさを内面の醜悪さでイーブン、もしくはそれ以下にもっていくのうまいわ。
中身極悪の超美形ってなんかもう本当に浪漫をくれるよね。
大好き!
人の心の中をえぐった作品
映画館で見たときから14年も経過していた。内容自体は覚えていたが当時の映画は何を伝えたかったのだろうと思いもう一度見た。
この映画は多義的で、見る人の視点によって感じ方が変わるように思う。
被害女性のヨシノは自業自得で… ユウイチの性格上やってしまって逃げ回っているだけで… ミツヨは初めての男だったから… 実際に同じことが起きれば、そういう意見が広く一般的な見方としてまかり通るだろう。
ヨシノという人物は、出会い系サイト云々というワイドショーによって作られていく。
全ては、その出来事に対する直接的原因だけが「原因」だと、今の世の中は考える。
登場人物すべては「現代社会」に生きる者たちで、皆「孤独」だ。
岡田将司くん演じる大学生も、お金がなければ誰も寄ってこない孤独者だ。
作品の中で自分の本心というものを初めて告白したのがミツヨだ。
彼女の本心の告白によって、次第にユウイチの心の闇と孤独が解放されてゆく。
やがて「目の前に海があると、その先に行けない」と彼が言った通り、灯台へ身を寄せる。
ユウイチの祖母は、広く一般的なイメージの地方の老婆だ。彼女の生活も家事と夫の看病に明け暮れる。地域住民との交流はあるが、おそらく皆「孤独」だ。
その心の隙間に忍び込んできたのが、悪質商法。信じ込まされ、思い付きで事務所を訪ねると高額商品を買わされた。
やがてユウイチが殺人罪で追われていることを知る。
彼女はよくわからないながらも気丈にふるまいながら「責任」を取ろうとする。
ユウイチも彼の母も事件もすべて自分事として責任を取る意思を見せる。
何もできないかもしれない。でも責任は取る。ヨシノ殺害現場に置かれたユウイチが買ってくれたスカーフをその印としたのだろう。彼は悪人ではなく本当は優しい人間だという意味がこめられているようだ。ごみのようなメディアに対しても頭を下げる。
12年前からすでに若者たちは「出会いたい」のだ。些細な手段の変化に、メディアは批判を繰り返すだけだ。
ミツヨは、ユウイチの車で店の前を通り過ぎたとき、はじめて「別の私」を感じた。
いつもとは居場所が違う。出会いとそれによって変化した日常にワクワクした。
作品の中ではじめて、誰かと誰かの心が重なり合う。
ユウイチはがさつで一方的な表現しかできない。気持ちの表現が下手で、タイミングも悪い。
ユウイチの「告白」は身勝手だが彼の心の孤独を感じ取ったミツヨは、彼との絆を深めたかった。出頭直前に鳴らしたクラクション。行ってしまえば、今感じている幸せが奪われてしまう。
ヨシノの両親は、美しくて汚れのない娘を信じている。実際に人はみな多面的だが、娘の無念のために大学生に食って掛かる。「そうやって生きていけ」。
12年前すでに、すべての人はみな心の隙間を埋めたいと思っていたのだ。
会社では高効率化が叫ばれ、仕事の隙間はAIや派遣で埋められていく。居場所はどんどん削られ、今も例のパンデミックによる同調圧力等々、後遺症に悩んでいる人々がいる。
この作品をワイドショー的視点で見るのではなく、「孤独」という誰もが持つ心の隙間を視点にしてみれば、現代社会全体の流れが恐ろしく感じる。
ユウイチが灯台の中で見た夢。夢の中では幸せ。「幸せ」という名のあまりにも儚い夢。
若者たちを追い詰めているのが現代社会だとしたら、この事件の原因はそこにある。
警察が灯台に乗り込んできたとき、ユウイチはミツヨの首を絞めることで、彼女は悪人によって連れまわされていた被害者になる。
取り押さえられながらミツヨに手を伸ばすが、彼の指先は届かない。こうしてユウイチは「悪人」となったのだ。
さて、
ミツヨはなぜ、花束を置かなかったのだろう?
ヨシノの父の登場に、言いようのない抵抗感を感じたように思う。
彼女は運転手にユウイチを「悪人」と表現している。
ユウイチが彼女の首を絞めた理由を、彼女は知っている。
彼がヨシノを殺したことも知っている。その理由の根幹は誰も知ろうとは思わない。
ミツヨは本当は事件にかかわっている「逃亡ほう助罪」だ。
しかしその期間こそが、本当のミツヨでいられたかけがえのない時間だった。
ミツヨの心は今もユウイチと共にある。そう思いたかった。
いまはまだ、きれいごとのように花束を置く行為は世間が許さないだろう。
あの瞬間ミツヨには、ユウイチのした事件の責任を一緒に取るという明確な意思が生まれたのではないだろうか?
彼女の中にはっきり感じ取った罪の意識。同時に彼の罪は私も償うという決心が、ミツヨの中に芽生えたのかもしれない。
結末は必然でもある
一人の人間が、ある人にとっては良い面しか見えなくて、他のある人にとっては悪い面しか見えていない、とか
金や地位のある人が優位に立ったり、ちやほやされる
というのが人間社会で普通にあることで、この作品がこのような展開、結末になるのは予想できることです。
観ているうちに、ある程度ストーリーが読めてしまい、予測外な展開でないところは少々残念でした。
この作品中で、出会い系から始まった出会いはみな、不幸な結末に至っていますね。
出会い系のような場所でしか真剣な出会いを求められないという時代の孤独さが哀しかったです。
何よりも重いのは人の命です。
純粋さ優しさゆえの過ちだとしても、人として生きていくうえでの感情のコントロールやしたたかさといった生きる術は必要でしょう。
やさしさだけでは生きていけないのです。
妻夫木聡さんは近年、若い頃と違って渋さが出てきて、汚れ役も似合うようになって、良くなったなぁと思っているんですが、今思うと、この作品がそれまでのイメージを変える転機になったような気がします。
目の鋭さで役に入り込んでいる様子が伝わってきました。
深津絵里さんはこの作品で様々な賞を受賞したのが納得できる、いい表情、演技でした。
私としては柄本明さん、樹木希林さんの演技が非常に素晴らしかったと思います。彼らの演技あってこそ成り立った世界だと思いました。
それから永山絢斗くんの役柄は、やりきれなさの中にもひとすじの光が見える感じがして、出番は少なくても光っていたと思います。
そういう意味でバスの運転手さんの一言も、スパイスのごとく効いていました。
原作との比較
原作を読んだのでこちらの映画も視聴しました。
映画は原作と同じストーリーですが、原作から大幅にカットしています。
映画は映画で素晴らしいのですが、いかんせん大幅にカットしてあるので、少し分かりにくくなっています。
タイトルの「悪人」ですが、原作では実は被害者である女性もはっきり「悪人」のような描かれ方をしていて、それこそが原作の最大の主題ともいえます。
また殺人犯である青年の母親も「悪人」であり、殺人犯である青年も加害者であります。
「悪人」とは誰のことなのか…。
映画は映画で素晴らしいですが、映画版だと犯罪者と一般人の禁断のラブストーリーとして見るのがいいですね。
2度目の鑑賞
老人しか居ないような田舎町で、年老いた祖父母と暮らす青年が、出会い系で女性と繋がっていく。そこからストーリーは展開していく。
事件の後、離れた田舎町で田んぼを自転車で通勤する、小さな場所でつつましく生きている優しい女性と知り合う。
あー、これが、あと少しだけこの人と早く出会えたらと、何度思ったか。
出会い系以外で異性と知り合う事もなかった二人。
男は優しい人だった。
人を殺したら悪人。
でも、人を殺しはしないけど、悪い奴はたくさんいる。
ストーリーの中で、それをずいぶん考えさせられた。
辛くて切ないけれど、二人でいる時間を持てた事だけは救いかな。
殺人事件って、ニュースではわからない、こんな事があるのかもね。
悪人って誰だ
誰にとっての悪人なんだ。
最後の深津絵里のセリフが
全てもっていってくれます。
お互い足りないものを補える人と
出会えた。ただそれだけでよかった。
愛を知らない男と愛する喜びを
得た女の物語。
灯台の最後のシーンは、妻夫木が
あえて深津絵里を突き放し、自分を
悪者に徹することで、彼女に
負い目を持たないようにしたのかな。
それも彼女は愛情であると
受けとめているのがいい。
この愛は本物だったのだと。
真剣に、真面目に、一生懸命に
生きている人間を笑うな。
バカにするな、脅すな、さげすむな、
あわれむな。そんな決めつけ、
権限は誰にもない。
こういう題材を扱う洋画を
よくあるけど、邦画で表現すると
こういうかたちになるのかな。
妻夫木の役柄も難しく、
深津絵里の演技に救われている印象。
さすがの一言。
紙一重の出会い系
満島ひかり扮する保険外交員石橋佳乃の死体が発見された。佳乃と出会い系で知り合っていた妻夫木聡扮する清水祐一は、体の悪い祖父の面倒をみていた。その後、祐一は出会い系で深津絵里扮する紳士服店員馬込光代と知り合いいきなりホテルに誘った。
あまり若い者を頼りに年寄りの面倒をみさすと欲求がたまるからろくな事にならんね。刺激を求めて男女とも出会い系に行くのかもしれないが、やっぱり恐いところがあるな。本気だと言えばいいのか。紙一重だね。今回の様に殺人犯もいるかもしれないし、女性でもどうしようもないのもいるかもしれないもんね。破滅型恋愛の極地かな。妻夫木聡もイメージ変えて見事な役者ぶりだったよ。
人の良心が見え隠れする世の中で我々はどう生きていくか
テレビで偶然鑑賞したところ、思わず見入って魅了されてしまった。悪人が題名のように、一体この世は何を以てして悪を定義できるのか、何が悪で何が正義なのか、従えば正なのか逆らえば悪なのか、人のあらゆる本能を考えさせられ、その中で見え隠れする人の愛や温もりを見つけるような作品だった。
途中、突拍子もない疑問的な演出もあったが、今思えばそれは監督の現代への怒りを表現したのかと思えば納得出来る。とにかくこの作品は社会への語りかけが強く描かれ、一生よりもいま目の前にある一瞬を求めてしまった男女の恋物語には、後悔や罪悪感からの逃避、背徳や焦燥といった人の本能がてんこ盛りに混ぜ込まれていた。
人を殺めた男と、それと付き合う女。許されはしない。それでも観ていく内に、2人の愛をどこか応援したくなる。なぜか2人の恋路を否定出来なくなる。彼らの気持ちがひしひしと伝わってくる。これが本当の愛なのではないかと、そうとまでも思えてくる。時に、本能で本能を求め合うそんな恋愛に憧れてしまう。
しかし、この映画は決して恋模様だけでは描かれていない。2人の恋物語を描く道中で、人の悪意や腐った社会、みすぼらしい欲望や報われない優しさ、やり場のない感情、人が人を当然のように食い物にして回り回る世の中でも、人の温もりや愛は見え隠れしているだけで在るんだよと語り掛けるメッセージ性を感じた。
法に従えば正義か。手を差し伸べたところで振り払われ、逆恨みを買ってもそれはこちらに非があるのか。死んだように生きる事が正しいのか、生き生きと死ぬのが正しいのか。悪人は悪人であるのか。振り撒く優しさは無為なのか。人の悪を、果たして人が悪と定義できるのか。正直に生きる事は馬鹿に生きるという事なのか。そんなもの誰も分からないのに誰が正義を唱えられるのか。この世に散りばめられる、決められようもない人の在り方をこの映画はこれでもかと考えさせられる。
たとえそこに味方がいなくても、どこかで誰かが見てくれている。世の中が腐っていても、全てが腐っていない事もある。綺麗に見えるものが薄汚く光っている事もある。歪に見えるものが綺麗に輝く事もある。どうでもよく見えていたものが実は大切なものだったりする。本当に大切だから傷つけてしまう。たとえ誰かれに阻まれても否まれても、許されざるものでも、人は愛を求めてしまう。
この世に分かり切れるものなんて無い。複雑に枝分かれし、今日という日もまた変貌する世の中で、本当の正解なんて誰にも分からない。それでも人は懸命に生きていき、正解を自分なりに見つけて行くことを教えてくれる作品だった。
深津絵里は、とてつもなく魅力的だった。
過去鑑賞
想像していたのとは全く違った作品でした。
僕の中にある邦画の持つ暗いイメージをそのまま具現化したような映画で、良い映画だとは思うのですが、個人的にはかなり苦手な部類でした。
誰が本当の悪人なのか?
その訴え掛けは真っ直ぐでとても分かり易いものでしたが、アプローチの仕方としては、個人的にはこれならやっぱり先日レビューした“怪怪怪怪物!”の方が好みですね。
ただ、傍を固めるキャストさんはとても豪華なもので、当然なから主演の妻夫木聡さんを含めその演技は秀逸でさたし、深津絵里さんは今まで観た作品の中で一番可愛かったような気がします。
深津絵里さんの可愛らしさを堪能するだけでも観る価値はあるかもしれません。
原作も良かったけど、映画もきちんと捉えられていて良かったと思う。 ...
原作も良かったけど、映画もきちんと捉えられていて良かったと思う。
キャストそれぞれの心情、背景もきちん表現されていた。
だからこそリアルなそれぞれの心情が胸を打つ。
キャストの演技が光り、人間を感じられる良作だと思う。
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