「真実は時として滑稽である」ずっとあなたを愛してる prof1961さんの映画レビュー(感想・評価)
真実は時として滑稽である
妹レアの友人達が集まったホームパーティ-。アルコールも入り、あけすけな言葉も飛び交う。その中で、レアの姉ジュリエットについての質問が向けられる。突然レアの姉としてレアの友人達のまえに現れたジュリエット。美貌だが、あまりに人と語らおうとせず、陰のある女。人々はジュリエットがこれまでどうしていたのか、なぜ妹の前に何年も姿を表さなかったのか、疑問に思っている。酒も入った勢いで一人友人がその来歴について執拗に問いかける。レアもその夫リュックも質問を遮ろうとするが、男は意に介さない。ついに語るジュリエット。「殺人罪で15年間刑務所にいたのよ」巻き起こる哄笑。誰もジュリエットが真実を話しているなどとは思わないのだ。唯一、レアの大学の同僚のミシェルだけがそれを真実の告白として聞いていた。
映画の中盤あたりで訪れたこのシーンで私は、滂汰の涙となった。意を決して語ったジュリエットの言葉を誰もが真実の告白とは思わないのだ。「幸せな」人には、酷薄すぎる事実はつまらぬ嘘のようにしか思われないのだ。愛する友人の姉が殺人犯であるという真実を知ることを敢えて望む人がいったいどこにいるのだろうか。そんなことを知っても誰も幸せにはならない。刑期を終えたとはいえ、殺人犯だった姉を持つ者と誰が友人であろうとするのか。仮にそれが事実なら愛する友人と距離を置かざるを得なくなるだけだ。だが、しかし真実というのはそういうものなのだ。このシーンだけで私は今年の映画の中でも、この作は最高傑作だと思った。そのあとに描かれるジュリエットが殺人の経緯についての描写は、正直蛇足だと思われた。出来れば、語られてしまえばありきたりのものでしかない殺人の動機について描かれないことを望んだ(その望みは、予想通り裏切られることになるが)。
興業を考えれば、付け足さざるを得ない動機の解明の部分(それもあからさまでない形で最低限の慎みは維持されていた)はさておいて、先に述べたジュリエットの告白の場面とそれを聞いて大笑いする妹レアの友人の姿を描ききっただけでこの映画は、素晴らしい。真実は滑稽である。しかし、それは妹友人達がジュリエットの告白を聞いて笑ったからではない。真実は、ジュリエットにとってむしろ滑稽なものだと、この告白を通じて示されたのだ。ジュリエットの行為の意味は誰にも理解されないということ。それは語り得ぬものだということ。それを見事に示したこの映画は、本当に素晴らしい。