フローズン・リバー : 映画評論・批評
2010年2月2日更新
2010年1月30日よりシネマライズほかにてロードショー
友情ではなく、シンパシーによって築かれた絆
貧困にあえぐ白人の女が、息子たちのために違法なビジネスに手を染める。彼女の相棒となるのが、引き離された子供のために必死に金を貯めている先住民の女だ。ところがこういった設定でありながら、母性愛とか女の友情といったところに安易に転んでいかないのがいい。
2人は車という密室で長時間共に過ごそうとも、アクシデントを一緒に乗り越えようとも、どこまでも平行に伸びた線路のように交わらない。だが互いに隣の線路を覗き見ながら、やがて共感が生まれていく。彼女たちの絆を作るのは親密さから生まれた友情ではなく、ギリギリに追いつめられた者だけが理解できるシンパシーなのである。この関係が、本作を俄然面白くする。
誤った選択によって道を踏み外した女たちに、再び選択によって未来を決めさせるというプロットの巧妙さもさることながら、女たちの関係が物語の展開に影響を与え、ラストで主人公に意外な決断をさせるまでに発展したのが興味深い。2人の間に決して好感は芽生えずとも、それでも溜まり水のように動けなかった女たちが出会ったことで人生が流れ始める。フローズン・リバーとは膠着状態の彼女たちの人生そのものでもあるのだろう。
アメリカ映画らしいメイクセンスなプロットではなく、主人公たちの感情の流れを忠実に追って展開していったところが素晴らしい。アクションやサスペンスさえも物語上ではなく、彼女たちの感情の流れの上にある。だからこそ女たちのデスパレートな旅に、誰もが最初から最後まで拳を握りっぱなしになるのだ。安い涙など流れない、流さない力作である。
(木村満里子)