シャネル&ストラヴィンスキー : 映画評論・批評
2010年1月12日更新
2010年1月16日よりシネスイッチ銀座、Bunkamuraル・シネマほかにてロードショー
大胆だが真摯な姿勢に脱帽の王道バイオグラフィー
先行のシャネル映画2本がどちらも当たり障りのない事実を配列した凡庸な偉人伝だったのに対して、「シャネル&ストラヴィンスキー」は大胆不敵。シャネルの全体像ではなく、ストラビンスキーとの愛憎劇にのみフォーカスすることで、返って観客のイマジネーションを掻き立て、結果的に、シャネルという人間の本質を垣間見たような錯覚に陥らせるのだ。これって、バイオグラフィー映画の王道ではないだろうか?
何しろ、事実として記録されているのは、すでにデザイナーとしての地位を確立していたシャネルが、前衛舞踏曲“春の祭典”を否定されて落ち込むストラビンスキーに、資金面だけでなく自宅を彼と家族に提供した、ということだけ。そこから、映画は分野こそ違え同じ革命家の匂いを相手から嗅ぎ取った(であろう)シャネルが、家族が暮らす隣室で幾度も肉体関係を持った(であろう)後に、世間的な常識に屈して別れを切り出した(であろう)ストラビンスキーに見切りをつけるまでの経緯を、さながら家政婦目線で描写。しかし、「お前は見たんか?」と突っ込む気にはなれない。なぜなら、すべての出来事がシャネルの遺した偉大な足跡や革新的な価値観から1ミリも逸脱していないから。
シャネル社のアーカイブに眠っていた珍しいスカーフカラーのスーツや、服と同じ黒白で統一されたアールデコ調のインテリア等、空想を補って余りある本物の衣装と克明に再現された美術も、偉人に対する敬意の表れ。それも含めて作り手の大胆だが真摯な姿勢に脱帽の1作だ。
(清藤秀人)