「いいとこ取りの余りに、佐藤監督はシリアスかギャグかでぶれたのではないでしょうか。」ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
いいとこ取りの余りに、佐藤監督はシリアスかギャグかでぶれたのではないでしょうか。
Bちゃんねるという掲示板に、主人公の真男(マ男)が立てた、『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』というスレッドの書き込みにシンクしてストーリーが進む構造です。すでにタイトルでネタバレしていますよね(^^ゞ
冒頭は、入社半年後に、マ男が渋谷のスクランブル交差点で倒れてしまうところから始まります。このとき画面のあちこちでは、「限界」と映し出されたテレビが看板がアップされて、マ男がテンパッタところを劇的に描写し、なかなかの滑り出しでした。
ストーリーは、プロラム会社を舞台に、デスマ(デスマーチの略)な実態のなかで、引きこもりだったマ男がどんな人間関係を持ち、どんな選択をするのかがポイントになっています。
デスマーチとは、「死の行進」という意味の英語表現です。IT業界ではシステム開発現場の過酷な労働環境を表す言葉として使われています。
人員不足、短すぎる開発期間、予算不足、ユーザからの過剰な要求などの悪条件が重なり、開発チームが過度のオーバーワークや疲弊状態に陥った状態がデスマーチである。体調を崩したり鬱病にかかるなどしてメンバーが減っていくため、残ったメンバーの環境は余計悪化する。経験者によれば過労死や自殺も珍しくないと言われ、あまり洒落になっていない表現である。
もともと、軍隊での過酷な訓練のことを "death march" と呼んでいたことが由来になっているようです。
マ男は、自らのデスマとなった心理状態を戦争ゲームの登場人物になぞらえて、表すところが可笑しかったです。
ただ実話のネット書き込みが下地にあるものの、もっと陰険で悲惨な職場はあるのではないかと思いました。演出面で個性的なキャラクターを並べてはいるものの、『キサラギ』の佐藤監督作品であるなら、もっと裏のある役作りをして欲しかったです。
前半が、クドカン作品に近いドタバタ調で後半になるとドタバタがなくなり、プログラムの納期完成に向けて全員一丸となるシリアスな人間ドラマに変わっていきます。見ていて佐藤監督の演出プランには、いいとこ取りをしたい余りに、シリアスにすべきかギャグで徹底するかぶれたのではないでしょうか。
気になったのは、責任感ゼロのリーダー(品川祐)はバ~カ、バ~カと罵倒するばっかりの切れキャラ系。この男になぜ切れるのか、裏があったらもっと面白かったと思います。加えてお調子者の井出(池田鉄洋)は、リーダーにおもねるだけなら、まだいいのですが、お追従して馬鹿騒ぎすると、全体のセリフが聞き取れなくなり、引っ込んでろ~と言いたくなりました。
ほかの登場人物もキャラは濃いものの出し方がワンパターンで、先が読めるリアクションなのです。
このリーダーが現場を仕切っていて、テキトーな納期で仕事を受けて、自分は仕事せず若手スタッフに丸投げものだから、デスマになっていたのでした。
デスマになる孫請け構造自体は、本作でもナレーションの解説図で語られるものの、本編では反映されていません。呑気な経営者に、手厳しくないクライアント。実際に請負で仕事されている人なら、社内のいじめなんかよりも、取引先の無体難題に振り回されっぱなしの人が多いのではないでしょうか。
そんな職場環境ながらも、マ男が唯一信頼する藤田さん(田辺誠一)だけは、ブラック会社に似つかわしくない人格者で、そんな会社にいる理由や、マ男とを庇う理由にも、彼の過去が絡んでいて、影のあるいいキャラであったと思います。
マ男が、もう限界かも知れないと感じたのは、勤務のきつさやリーダーのいじめや父の末期ガン発覚のショックでもなく、信頼する藤田さんの去就が取りざたされたからだったのです。
ラストで、藤田さんがマ男に自分のつらい過去を告白するとき、ふとマ男の頑張るところが、自分への励ましになったというセリフがジンときましたね。元ニートとは思えないほどマ男は、デスマを乗り越え頑張ったのです。
その頑張りは、人格者の藤田さんの失望に満ちた人生観を変えさせるくらい、真剣なものでした。
だからといって、オチガ『『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺まだ頑張れるかもしれない』というのは、ちょっと期待はずれでしょう。観客は、それを当てに映画館へ足を運んでいるのでは、ないのですからね。
【重要】
あとエンドロール後にも、その後の社長の新人面接シーンが描かれています。業務拡大のため懲りずに採り続ける社長さんなんですねぇ~。