劇場公開日 2009年11月28日

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「アニメ映像は「ナチと同じことをした」当事者が描いたゲルニカのよう」戦場でワルツを こもねこさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0アニメ映像は「ナチと同じことをした」当事者が描いたゲルニカのよう

2009年12月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

この作品、ドキュメンタリーでありながら、アニメーションで製作されるという、変わったアプローチで演出されている。なぜ、アニメーションにこだわったのか、そこからは次のような事情や監督の強いこだわりが見えてくる。

 この作品は、イスラエルのレバノン侵攻と、その際におこったパレスチナ難民村への虐殺という事件を、参加していた兵士が失われた記憶をもう一度紡いでいきながら描くという内容だ。そのために、その時の同僚たちに会いに行くのだが、虐殺という非道なことをした人間を実写映像で画面に出したことで、ゲリラからの報復があることを恐れたのではないかと思われる。また、この虐殺事件を指示した幹部たちが、今のイスラエル政府にまだ存在している、ということも製作側は気をつかってのアニメ版作品、と言うことではないかと思う(だから、当事者の責任回避的な表現方法だ、という非難は免れないのは致し方ない)。

 そして、当時のレバノン侵攻の映像があまり使えなかった、という物理的な事情もあったと思われる。ところが、それでアニメ化した戦闘シーンがこの作品に素晴らしい効果を見せた。

 アニメでの戦闘シーン、回想シーンはそれほど美しいと言えるものでもなく、実写ほとリアルさは感じられない。しかし、実写以上に観る者に戦争のむなしさやむごたらしさを感じさせられるアニメ映像だった。
 私は、この作品の戦闘シーンを見ながら、原爆の惨状を描いた絵画や、ピカソのゲルニカを思い出していた。湾岸戦争以降、戦闘の映像はよくニュースで見るが、ほぼすべてが無機質で、ゲーム映像のように平面的にも感じる。しかし、写真や絵で戦争を活写すると、撮った者、描いた人間の心が込められているので、キャンバスにとらえられているものから訴えかけてくるものがある。この作品でも、題名の戦場でワルツを踊るように機関銃を乱射するシーン、巨人の女性にまたがって海を漂いながら自分が乗ってきた船が炎上するのを眺めるシーンなど、戦争が人間にどのような幻想や狂気をもたらすのかを見る者に何度も訴えかけている。

 その訴えの根本は、どこにあるのかを探りながら見ていたら、ラストにいたるところで衝撃的なセリフが出てきた驚いてしまった。それは、虐殺された村に取材にきていた記者が「ナチの収容所のような...」と言うところだ。

 この作品は、失われた記憶をもう一度蘇らせてみようとする内容だが、それは今のイスラエルそのものも意味している。はっきり言うと、イスラエルが今パレスチナ側にしていることは、ナチがユダヤ人にしてきたことと、そう変わりはない。しかも、昔に行ってきたレバノン侵攻も、難民村虐殺も、政府の記憶から、イスラエル国民の脳裏から消えてしまったのかと思うくらい、今のイスラエルは過去に対して悔悟もなければ検証もしない。だから対照的に、この作品の監督は、過去を見ないと未来も見えてこない、との思いから、あの国家的犯罪をもう一度見直し、そしてイスラエルの未来を見つめようとしたのではないかと思う。忘れてはいけない過去だからこそ、それを見つめ直す気持ちがないと、イスラエルも国民も世界から取り残されるのでは、という危機感を監督は常日頃から感じていたのではないか。

 私は、映画を見終わったあと、冒頭の数十頭の犬が怖い形相で走るシーンは、ゲリラとかではなく、ナチ以来、また再びあるかもしれない危機を表現しているように思えてならなかった。

こもねこ