キング・オブ・コメディ(1983)のレビュー・感想・評価
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僕はルパート・パプキン
人気コメディアン志望のルパート・パプキンをロバート・デ・ニーロが演じる。
人懐っこい笑顔の裏に執着心と妄想を抱えたパプキン。現実なのか妄想なのか … 。
鑑賞後、実在する人物なのか気になり、検索してしまった(笑)
-どん底で終わるより一夜の王に
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (字幕)
異常者の共通点
序盤では主人公ルパート・パプキンの妄想と現実の境目が明確だったのが、徐々にそれが不明確になっていく。ラストシーンにいたってはその境目が完全に分からなくなるストーリーの構成が秀逸な映画。ジェリーの別荘にリタと来たシーンにおいて、ジェリーがリタと一切会話しない様子からすると、リタと来たというのもパプキンの妄想だったのだろうと思われる。妄想か現実か境目が不明確なまま、観客にその判断を委ねる構成が面白い。
このような異常者には次のような共通点がある。まず、恵まれない生育環境で育ち親の愛情を知らない、そして親しい家族や友人がおらず孤独、さらに独り善がりで自分の考えを他者に押し付け、受け入れられないと逆恨みする。今作と同じマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』のトラヴィスもその点が共通している。パプキンやジェリー誘拐の共犯者、マーシャがこのような人間になってしまった背景が、彼らの作中における言動から見えてくる。
パプキンはコメディアンとして売れたがる割に、あまり努力をしている様子がみられない。それは、周囲からの評価と自己評価の高さが異常に乖離しているがゆえに、名の知れたコメディアンになるために十分な努力を行い、高い実力を身につけていると自身では思い込んでいるからだ。彼の自己評価が異常に高いのは、自分がどんな人間なのか全く理解していないことに起因している。ここにも彼の病的な性質の一部が表れていると感じた。
80点
いなさそうでいそうでいなさそうな究極勘違い男。
いそうなイタいファン、勝手にいい風に捉えて
勘違いして友達と思ったり、約束したなど間違って解釈したりはあるあるでリアル。
自分の中の妄想のはずが「本人と話した」事となってる所とかまさに狂気の沙汰
逆上とかあり得そうだからあそこまで大人気スターなら
熱狂的なファンは怖いからセキュリティしっかり!
とか思ったりしたけど、神対応だったりして
一流スター感もよかった。スタッフも一流感あって良かった。
とにかく何故あのヤバファン男女2人が
あんな人になってしまったのかと言う点で
後半で納得。泣けるほどに。やはり幼少期問題。
そして周りも誰が書いた台本?と疑うぐらい
本当に才能があった点…考えさせられる。
ウケてたから出所してからの人気うなぎのぼりなのは
妄想じゃない。気がしている。
皆がこの主人公を見て、引いて、なりたくはない
と思っている中「自信をもて」「嫌われる勇気」と
成功者は言う。考えさせられる…
狂ってる
ロバート・デ・ニーロが出ていたので気になって見てみた。
パプキンはジュリーが期待を持たせるような言い方をしたら、妄想で勝手に話進めて別荘まで来ちゃうし、キッパリ断るような言い方をしたら、誘拐するしでこうゆう人とはどうやって関わればいいんだ。目をつけられたジュリーが気の毒。
美しい狂気。
美しい狂気。ロバートデニーロの怪演も光り、最高に面白かった。
序盤から亡くなった母親の邪魔を怒鳴りつけるなど、既に壊れた人間性だった。声は聞こえるのに1度も出てこない母に疑問を抱いていたが、TV出演時に判明。あれすらパプキンの妄想。そのパプキンの妄想が徐々に過激化して、言動もエスカレートしていく様はホラー映画顔負けの恐ろしさ。事務所への乱入と別荘への侵入からジェリー誘拐へと繋げることで異常性のレベルアップが感じられた。ただ本人は純粋にスターになりたい一心で行動しているだけなので何とも憎みきれない。
ラストはハッピーエンドだが、現代でも笑いが取れてあそこまで振り切ってイカれたコメディアンが居れば、支持する人は確実に多いと思うのである意味でリアルなのかもしれない。長続きするかも分からないし恐らく、賛否両論にはなるけど。
映画の表面はコミカルに映ってるが、実際は狂気に満ちている。その表裏が鑑賞後の充足感にも繋がっているのかもしれない。
本作、京アニ事件、ジョーカーこれらは深い暗黒の中で通底していたのだ
希有な傑作
いくら激賞しても足りない
成功するには下積みから長い長い階段を苦労して一段づつ登っていく
そんなこと分かってるさ
でもそれじゃ凄い時間がかかる
それでもコツコツ真面目にやっていたらお客さんが評価してくれるはず
本当か?
そうは言ってもその最初の階段の一段目すら登れないんだ
いつまでも若いわけじゃない
コメデイアンだけの話?
学問の世界だって同じ
商売だって同じ
だから誰だって近道したい
誰かに自分の才能を認めてもらって引き上げてもらうんだ
業界の大物が、マスコミが突然自分の存在に気がつく、いきなりスポットライトが当たり自分はすぐさま業界のスターだ
こんなことを考えるのは誰にだってあることだろう
だからパンプキンは私達だ
浅ましい売り込みのシーンに冷や汗がでる人もいるのではないか?
マーシャだって片思いがこじれ切ってストーカーになってしまう事例は現代では女も男も珍しくない
どちらも映画だからエキセントリックな所までいってしまう
ラストシーン
パンプキンは出所して一躍スター?
ハッピーエンド?
そんなわけ在るはずも無い
いくら司会が盛り上げようと声を張り上げて彼を紹介しても観客は冷めきっている
歓声と拍手はサクラだけだ
アウェイの空気は彼を押しつぶそうとしている
それを跳ね返す芸の力が自分には無いことをパンプキンは自覚している
目が泳いでいるではないか
100日で死ぬ○○
突然これを思い出した
21世紀のいまはYouTuberが掃いて捨てるほどいる
ブログでもSNSでもいくらでも個人が発表できる
インスタやワードがバズれば一夜にしてスターになることは珍しくもない
パンプキンの時代からすれば夢のようだ
しかし、もう才能があるのに認めて貰える機会がないなんて甘えたことはもう言えないのだ
そう、なにかもっと追い詰められたようには感じないだろうか?
才能が実は本当に無い
努力する根気がそもそも無い、続かない
強運なんかあるわけもない
だけど成功したい
そんなチンケな私達普通の人間には世の中の生き辛さが一層ハッキリしてしまう
それが21世紀なのかも知れない
バズった所で、所詮本当の実力が無ければあっという間に消え去ってしまう
それどころか反感すら買ってしまうのだ
100日で死ぬ○○のように
パンプキンと同じように
ならどうすればよいのだ
才能のない奴はどう足掻いても駄目なのか
もしそれを認められないような人間がいたなら
その孤独、絶望はパンプキンの時代より何倍もより深く暗いのではないのか?
京都アニメーションの放火殺人事件はそれでは無かったのか?
映画ジョーカーは本作のオマージュではない
本当はリメイクだ
パンプキンは21世紀にはジョーカーとなって社会を扇動する時代になったのだ
京アニの事件は2019年7月18日
映画ジョーカーは同年10月4日
本作、京アニ事件、ジョーカー
これらは深い暗黒の中で通底していたのだ
あと1ヵ月で京都アニ事件の三回忌
改めてご冥福をお祈りしたい
妄想と歪んだ愛
ジェリー・ラングフォードの別荘にルパート・パプキンが彼女?と勝手に訪れたシーンは、
冷めた空気の中で全く動じず、帰ろうとしない痛い人を通り越して、
病的な人物を演じ、ハラハラしてしまったのは、俳優陣の演技が上手い証でしょうか。
ストーカー女の表情がイカレいて怖い・・
エンディングが現実か妄想かの論争があるみたいですが、個人には現実だと思えました。
突き抜けたら、成功?
テレビコメディアンに憧れ、付きまとい、誘拐し、テレビに出演。これがニュースとなり、全米で一躍有名に。服役中に執筆した本が大ヒット。パプキンは計画していたのだろうか。ある意味、自分の才能を信じ、一夜の出演に賭けた信念が凄い。人の話を全く聞かず、都合よく取り、自己陶酔型の奴、いるいる、こういうやべー奴、ストーカーになりそうな、という男をデニーロが本当に上手く演じている。前半が長くだらだらと感じ、むしろ出所後の方を見たかった。
キングオブブラックコメディ
主人公の夢は妄想となり、狂気となり、そして現実になる
主人公は前半可愛げがあり、感情移入しかけるが、中盤は痛々しく、後半は恐怖すら感じさせる狂気的なキャラクターだ。
ラストの漫談シーンは映画史に残るブラックジョークを実現させている。
結末の展開も適度に落ちていて、最後には清々しさを感じた。
『ジョーカー』の元ネタの一つということで
『ジョーカー』とは逆に憧れる方のデ・ニーロ。まだストーカーという概念は定着してなかった頃だと思うが、この話の通じないズレ方が怖い。
エンディングだが、個人的には「後が続かずすぐ飽きられて落ちぶれる」方向であってほしい。これを受け入れる視聴者ではありたくない。まあ、それがショー・ビジネスと言いたいのかもしれないが。
一夜の王になりたい
「ジョーカー」をきっかけに鑑賞。
予備知識無く見たけどまさかここまでとは…
主人公は妄想癖が激し過ぎる無名のコメディアン、パプキン。
有名コメディアンのジェリーに自分を売り込むが…
相手にされなくても指摘されても
追い払われても
自分の都合の良い方向に解釈してしまう…
ついにはジェリーを誘拐し無理矢理番組に出演。
そして逮捕され、一躍有名人になる。
とても不気味で狂気に満ちてるような…
そんなパプキンに引き込まれながら見てしまった。
どこまでが現実でどこから妄想なのかも分からなくなってくる。
最後のシーンもどっちとも解釈できる。
不思議な映画だった。
二人の熱烈なストーカーたちの犯罪
1983年。
主演ロバート・デニーロ
監督マーティン・スコセッシ
製作アーノン・ミルチャン
タクシー・ドライバー1976
レイジングブル1980
のあと。
コメディアン志望の青年
特殊なファン
有名テレビ番組への出演
サスペンス喜劇。たしかに犯罪を犯してまでテレビショーに出演して有名になるというのは、かなり狂っている。
「ジョーカー」からの流れで、観たけれども、ジェリー本人がゴルフ中に別荘に押しかけたり、街中で誘拐したり、FBIが来ているのに番組収録をさせ、放送させ、…などなどなかなかスリリングな展開だった。
ダイアン・アボットがデニーロの実の嫁さんだったというところは、面白い。全ては愛の力か。
往年のジェリー・ルイスが誘拐されるコメディアン役。
本作の監督のマーティン・スコセッシがテレビ局プロデューサー?役ででている。
人は死なないし、一発の銃弾も撃たれない。
だが、緊張感は編集と音楽で高まる。現実のストーリー進行の境目に妄想が差し込まれる。
人生は勘違いの連続
誰しも、
「自己評価としての自分」と「他人から評価された自分」は少なからず違うもの。
まさに人生はこの差が大きければ多いほど失望が多くなると思う。
パプキンは自己評価しか判断基準になく、
その像に近づくために平気で相手の言葉を曲解し、都合よく捉え、人の話を聞かず、
あげくの果てには犯罪を犯してしまう。
特に、ジェリーの別荘に乗り込んで、最後まで粘り続ける姿は狂気そのもの。
ブラックジョークを超えていた。
しかし、
狂気の先にあった光は勘違いしまくった、勘違いの向こう側にあった、
常人では行き着けない結果だと思う。
「最後まで諦めない人が勝つ」「勝つまで諦めない姿勢」
は諦めがちな人間が見習うべき要素であり、たった一回のたった一夜の博打で辞世の大逆転を果たす様はまさにアメリカンドリームであり、日本では絶対に受け入れられることのない奇跡ではあるが、夢を掴むための腹くくりには感嘆した。
ジョーカーをみて、この作品に出会うことになったが、
これもジョーカーがくれたプレゼントであるとすればありがたい映画だった。
・デニーロらがサイコすぎてこういう人、参っちゃうなぁって思って観て...
・デニーロらがサイコすぎてこういう人、参っちゃうなぁって思って観ていたら最後売れて驚いた。
・ジェリーが物凄いおじさんなのに人気が凄くて驚いた。タモリみたいな感じなのかな。
・デニーロがジェリーの事務所に何度も押しかけてけんもほろろな対応をされ続けている間中、これじゃあ芸能界以外でもダメだってと思いながら何度も行くので二―ロに冷や冷やした。
・別荘に好きな子と一緒に行ったり部屋にジェリーらのパネルを置いていたり全般、痛々しい姿がしんどかった。
・ジェリーを誘拐して一夜のテレビに出たいっていうのが面白かった。
・一緒に行動している女が物凄くいかれてて驚いた。どうしても、何であのおじさんに?と思ってしまった。
・クライマックスのデニーロの漫談がウケてたけど、面白さがあんまりわからなかった。ジェリーを誘拐したんだって漫談の舞台では確かに真面目な事も冗談に聞こえるなぁって思い、面白かった。
・妄想と現実とが観ていてはっきりわかったのが良かった。曖昧だと混乱してしまうので。
・ジョーカーを観てから見たせいか、いつジェリーを殺すのかなと変な予想をして観てしまった。
KING FOR A NIGHT 全然笑えなかったんですけど・・・
昔の映画は往々にして退屈なのですが、本作も観てるのがしんどかったです。もうパンプキンさんが痛々過ぎて終始イライラしてました。あの子供部屋オジサン、人の話聞かないし、マジ迷惑なヤツだなぁーっと。そして、最後のテレビでのスタンダッブ・コメディも全く面白くなかったです。どこをどうやったら笑えるの、あれで?
確かにデ・ニーロさんがヤバい人な感じは伝わってきたんですけど、そんなに褒め称える程でしょうか?一昔前の役者さんなので自分が言うのもなんですが、最近ちょっとデ・ニーロさんって過大評価され過ぎなのではなかろうかと疑っています。「タクシードライバー」は良かったのですが、他はどうもね・・・。
まぁ、そんなに名作ポジションにいる作品でもないのであまり期待せずに観ても、観てるのが辛いそんな作品でした。
スコセッシ監督よ 初心に帰れ!
スコセッシ監督は今一度、自身の名作を鑑賞して過去の名作を超える作品を手懸けてもらいたい。
ストーカー役のブスな女優さんの演技はイイね!
ストーリーも宜しいようで。。。
タイトル名を使用していた芸人さんも内容は違えど逮捕されるんだから軽々しいネーミングは気をつけないといけないね。
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