劇場公開日 2010年5月8日

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「地球人類はなぜ愛に生きようとしないのだという未知なる雇い主の声が聞こえてきそうです。」運命のボタン 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5地球人類はなぜ愛に生きようとしないのだという未知なる雇い主の声が聞こえてきそうです。

2010年5月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 キャメロン・ディアス主演だとどうしても、ラブ・コメとか人間ドラマという予見を持ってしまいがちです。ボタンを押して大金を手にするまでは、そんな予見を抱かせて充分でした。しかし、主人公が大金を手にしてから、一気にストーリーは、哲学的で難解かつミステリアスな、何とも形容しがたい展開となっていきます。
これから見ようかなと思う人は、他の人のネタバレレビューを参考に、自分に合っているかどうか、よく判断されてから劇場に向かってください。

さて、さて冒頭は至って普通の展開。主人公のノーマとアーサー夫妻は、同居を始めていたのですが、結婚式はこれからというホットな関係。でもノーマとアーサーの息子とは微妙な関係だったのです。
結婚式は、何かと入り用が増えます。またノーマは子供のころ足に大けがを負って、義足を余儀なくされていました。しかも、まともに歩けるようになるためには、高額な手術が必要だったのです。
ちょっとまとまったお金が欲しいと思っていたときに、突然玄関に赤いボタンのついた箱が置かれます。

その後、顔に大けがを負った長身の男スチャワードが訪問し、箱の意味を伝えるのです。「赤いボタンを押せば、100万ドル手にすることが出来るが、その代わり誰かが死ぬことになる。期限は24時間。誰にもこのことを打ち明けてはならない。」という驚愕の話を残して、去っていきました。
でも、残した箱には通信機能などなく、単なるボタンがついた箱です。な~んだと言う気軽なノリで、ノーマはボタンを押してしまいます。
すると本当にスチャワードは、100万ドルを持って本当に現れたのです。場面は変わって、一人の女性が殺される殺人事件が発生します。ノーマが押したからでしょうか?
その連鎖関係は、終盤明かされます。この時点では、まだ不明。でも、ノーマとアーサー夫妻の周りには、ふたりの行動を不気味な監視する人影が目立つようになりました。

不安に感じたアーサーは、箱の掟を破ってスチャワードや箱の秘密について調査を始めます。このあたりから、サスペンスタッチになっていきました。
スチャワードのいう「従業員」たちは、どんな些細な夫妻のプライベートも掴んでいました。不気味なのは、アーサーがスチャワードの足取りを追って、図書館に潜入した時のことです。なんと図書館にいたスタッフ・利用者全員が「従業員」だったのです。
リーダーの指令一つで、そこにいた全員がアーサーを追い駆け出すシーンは、ちょっと怖かったです。

そしてアーサーは、「従業員」に拉致されます。その方法たるや、摩訶不思議なもの。巨大な水の塊に引き込まれていくのです。スチャワードが言うには、科学技術は魔法に繋がるのだという言葉そのものです。このシーンは、超科学をテーマにした『Fringe』に出てきそうな展開でした。

さらにスチャワードは雷に打たれて一度は死んだ身であることも分かってきます。ここれでトイレに行ってしまって、よく分からないのですが、少なくともスチャワードも「従業員」のひとりで、彼を雇っている雇い主がいるようなのです。ただその雇い主については、ラストまで存在が明かされませんでした。
どうもその雇い主は、「箱」を通じて、人類全体の倫理性を試しているようなのです。何処かで、誰かが一度でも運命のボタンを押さない決断をしない限り、犠牲者は増え続け、終いには人類が滅亡するかもしれないとスチャワードは語っていました。そして、そのペナルティはボタンを押した者にも及んでいたのです。
ノーマとアーサーに起こるラストの結末は、とても痛くて語れません。

台詞にサルトルという実存主義の哲学者の言葉が語られる難解さでありましたが、要は人は永遠の生命を生きているのだということを主張している作品だと思います。
「箱」というのは、太宰治の『パンドラの匣』のように五感煩悩に包まれた肉体を指しているようなのです。
一度死を経験したスチャワードは、箱に住み、死んだら箱を抜けだして、空箱は箱に収められると語るシーンがありました。
また拉致されたアーサーも臨死体験をして、あの世の素晴らしさをノーマに語っています。そこから考えられるのは、100万ドル貰っても、墓場には持って行けない。他人を犠牲にしてまで、我欲に溺れる人間たちの何と愚かなことか!なぜそんなつまらない欲望に負けてしまうのだというメッセージです。地球人類はなぜ愛に生きようとしないのだという未知なる雇い主の声が聞こえてきそうです。

追伸
どうして舞台を1970年代にしなければいけなかったのか、よくわかりませんでした。

流山の小地蔵