「綺麗事 と 合理的判断」私の中のあなた 昭和ヒヨコッコ砲さんの映画レビュー(感想・評価)
綺麗事 と 合理的判断
癌に侵された姉ケイト
その姉を救うために生まれた妹アナ
次々に移り変わる登場人物たちの視点から映し出される感情と記憶から、視聴者は彼らの気持ちを推し量っていく。
ケイトの命がかかっているとは言え、アナが生まれた経緯は倫理的にどうなのだろうか?
アナの気持ちは?
夜中に家にいないことに全く気付かれなかった長男ジェシーの気持ちは?
と、母サラの強権と父ブライアンの不甲斐なさを感じるとともに、ケイトの命を救う手段の乏しさに八方塞がりの気持ちになる。
母サラの気持ちを推し量るのなら、きっとアナをケイトのスペアなどと思ったことはなかったはず。
最初は臍帯血があれば十分だったはず。
骨髄移植もアナに負担をかけるものではあるが、ケイトの命と天秤にかければ、リスクはあるもののその選択しかとるべき道がないのは明白。
誰かが何かを決断しなくてはならない中、罪悪感と分の悪い賭けを強制されるサラの気持ちを想像すると心苦しくなる。
そして、審議の中で明かされる事実と、それに伴って明らかになるそれぞれの気持ちは第三者として推し量ってきた予想とは異なるものだった。
それはもっとシンプルで、クリアなものだった。
原作小説と比較すると、かなり善性の強い物語になっていると感じる。(特にジェシー)
結末もまるで逆になっていて、映画は綺麗事であると感じる一方で気持ちの落とし所がちゃんと用意されている。
アメリカの親の強権が露骨に描かれている部分は私には母の愛というよりも独善的と映った。
よく見る「外出禁止」や「部屋に戻っていなさい」などアメリカでは子は親の管理下に置かれており、しばしば命令を下される関係性にある。
少なくとも私の生まれ育った家庭よりも不自由で支配的な関係性だ。
「馬鹿な子」「自分が何を言ってるか分かっていない」「まだ11歳」とアナを侮る言葉は多く見られる。
11歳のアナは親の管理化に置かれていて、未熟として正しい判断を行えないと主張されている。
子供を守るためなど、いくらでも言い訳は立つだろうし、国それぞれの事情があるから子供の養育環境や親子の関係性を正しく比較することは難しいが…