グラン・トリノのレビュー・感想・評価
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クリント・イーストウッドの熱演がサイコー!! なんなんだろう、この...
悪くはない、ただベッタベタ。
"差別は新たな差別を産む"
差別は新たな差別を生む。
暴力は更なる暴力の連鎖を生む。
いずれも、受けた者には一生心に残る傷が残る。
自分の価値観を相手に押し付けるだけでは、相手の理解は受けられない。
イーストウッドは決して声高には訴えたりしない。
あくまでも娯楽映画の範疇に於いて、自分の姿形を通してそれとなく忍ばせる。
まるで現在のアメリカ社会を憂いている様に。
イーストウッドは知っている。
今日、彼が映画スターとして輝いていた時期は西部劇のヒーローでだった事を。
そして、最早西部劇が成立し難い時代である事も…。
出来る事ならば西部劇を製作したい…個人的にはそう思える。いや、そう思いたい。ファン心理としては…。
以後、この感想は“それ”を想定して書いています。なので、とんでもない勘違いを侵している危険性がかなり高いと言えます。
作品中の後半の流れは完璧なる西部劇の流れと見て間違い無いと思える。
この作品の凄いところは、そんな雰囲気をイーストウッド自身が意識して作品の根底に観客の意識下に忍ばせただけでは無く、どこかアメリカとゆう国のこれまでの在り方を、主人公の生き方そのものとして反映させている様にも感じるところです。
しかも、それを娯楽映画として分かり易い様に誘導して行く。
「あ?これはあれか?、そうするとさっきのはあの作品かな?」と、どこか前に観た事のある作品を思い出させる時が時々ある。実際に過去に於いては全く同じ展開・カット割りを使った例もあるのですが、この作品を観た時には、完全なるオリジナル作品になっているのが何とも凄いところ。
自身が所有する愛車《グラン・トリノ》を、「美しい姿だ!」と眼を細め。他人に対しては自我を剥き出しにする“表”の顔。
マナーが悪く、人生の先輩に尊敬の念すら感じ無い若造には「舐めてんじゃねえぞ!」とばかりに。まるで『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』の主人公の様だ。
そして、若い神父に対して語る、闇を知る“裏”の顔としては、これまでにも『ファイヤー・フォックス』等で時折覗かせて来た戦場の苦しみとして。
また多くの西部劇や刑事物等の現代劇にて悪人から受けた暴力での責め苦として描いて来たと思う。
主人公の心の奥底に残っている“心の傷痕”
この作品では度々主人公と、その周辺の人達との触れ合いがユーモアに溢れていて、主人公の人間性に深みを出している。
勿論そうなのだが、個人的にはそれ以上に、本当の戦場すら知らない“この若造!”とばかりに、当初は莫迦にしていた若い神父との会話から、この主人公のこれまでの歩みが、こちらの想像を膨らませてくれていて、作品全体を豊潤なモノにしていると思う。
初めて2人が話し合う場面に於ける名前の呼び方から後半での繋がり。ビールを巡るやり取り。
主人公が本当に《懺悔》したかった事実。
それは簡単には喋れる代物では無かった筈だったのだ。
何度も何度も通い詰めて得られた信頼から、引き出した「命令されたからじゃ…」の一言。
遂に吐き出した主人公の心の叫び。
その一言を遂に吐き出した事で、それまで抱えていた重荷が外れ、過去のそれら一つ一つの積み重ねが、こちらの心の奥底を揺さぶって来る。
シンプルにして雄弁。
クリント・イーストウッドとゆう偉大なるエンターティナーの、これは人生賛歌にして世界に対するメッセージに他ならないと思える程です。
(2009年5月15日丸ノ内ピカデリー2)
正直言って
正直言って最後に感動したとか言ってる人は頭が悪いと思った。物語慣れしてないという言い方の方が正しいかな。
展開が読めている状態で見ても感動できたという人もいるかも知れないが私はそうではなかった。
私は男同士の絆を描いた物語は好きなので空気的には良い映画だったと言えるが、北野武が言っていたように(記事で読んだだけなのでニュアンスは知らないが)ウォルトとタオの絆が強くなる過程が不自然であると感じた。
また爽やかなラストであるが、スーがレイプされているのにそれでいいのか?と思った。
タイトルなし(ネタバレ)
グラン・トリノというのはビンテージカーのこと
妻に先立たれ親類に疎まれる頑固な一人の老人のお話
車のことはよくわからないけど、それとは関係なしに楽しむことができた(分かる人はもっと楽しめと思う)
ハン族の少年との交流は心暖まるし、イタリア人の床屋との会話はすごく小気味良い
ほとんど実感なく生きているけど、暴力と地続きの世界に生きている
この話の結末はウォルトその中でどう生きていくかを示したもののように思う
アメリカ魂
すごいラストだなぁ。まさか、そうなるとは。こんなにもアメリカの今を見つめ続けるイーストウッドの迫力を感じます。
誰だって期待しますよね、ダーティ・ハリーを。彼の映画が好きな人たちは、やっぱり彼が銃をぶっ放すところが見たいわけですよね。でも、イーストウッドは今を見つめるわけですよ。自分が生み出してきた、そして映画が生み出してきたものの、素晴らしさも、そしてどうしようもなさも、そのすべてから目をそらそうとしないんですよ。こういうイーストウッドの姿勢って、ホンと、怖ささえ感じますよね。
DVD特典でついてた、やや能天気なアメリカサイコー的な映像が、この作品のメッセージとあんまりにも乖離しているのが笑っちゃいました。
殺されそう
クリント・イーストウッドだなぁ
おもしろい!
とてもいい
頑固オヤジが段々隣の人たちと打ち解けるところなんかほんとに観てて楽しい。
情が移っていろいろ関わっていくところなんか、すっごくリアルで良い。
女の子のボコボコのシーンなんかは、イーストウッドっぽい!とっても胸くそ悪い。
2人の未来のために犠牲になった頑固オヤジの姿には感動した。
義憤、銃、人種主義
義憤。自分の家族とは断絶状態の白人男性。妻の葬儀では、参列者を前に居心地の悪さを隠さない、気難しいその老人が、隣家の黄色人種の少年とその家族のために命を捨てる。その少年との短くも濃厚な交流の中で、彼は銃を使って冗談を言ったりする。銃が日常に存在する光景は、われわれ日本人には奇異にすら見える。同じ民族のギャングから銃による脅しを受けている少年に対して、たとえ冗談でも銃口を向けることにたいする批判の視点は、この映画からは見えてこない。まずは、社会に銃ありきなのである。
そして、隣家を襲ったギャングに対する憎悪と復讐心が、ただただ正当化される。そして彼は、自分が犯罪者となることなく、彼らを半永久的に社会から抹殺する方法を選択する。そこには銃社会への反省や批判の精神がどうしても読み取れない。何故なのだろう。
そうだ、イーストウッドは、全米ライフル協会の重鎮なのだ。
グラン・トリノ
消えゆくオヤジ像
欲深い家族に不信感を抱き、異なる民族、近所の他人に人間らしさをみつけ親近感を抱く。理解されにくい頑固オヤジと内向的で素朴な青年タオが心を通わせていく。グラントリノ、戦争の記憶、宗教、民族、タオの姉、タオの成長、その他とパーツが多い。多すぎる。
内向的で社会との折り合いが付かない青年、という設定のわりにタオは闊達である。見ていくうちに何も問題ない青年のように印象が変ってしまう。それこそがリアルなのかもしれないが、ふり幅がないぶん成長物語は流れてしまっている。
銃撃されてばったり倒れたあれは、十字架だろうか。
ノスタルジックなオヤジ像は、日本もアメリカも近いものなのだと知った。
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