動物農場のレビュー・感想・評価
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時代が違うと見方も変わる
私が子供だった何十年か前に見ていたら、独裁者の悪政に苦しむ市民が立ち上がり、また苦しんでも何度でも立ち上がる姿に共感していたと思う。 まさにどこかの国です。いまだ何十年もこの世界で同じことが繰り返されています。 解決できない虚しさよ。 感想は まさにその一言に尽きます。。。
クラッシュがレコードジャケットに使った映画
ジブリの棚に並んでて面白そうだと思って手に取り、観た事ある絵だと思ったら、 クラッシュの「English Civil War」のレコードジャケットに使われてた絵!! この映画だったんかい!! 描いているのは、動物愛護や権力批判など。 搾取するだけの心ない人間、動物が受ける悲しみや苦しみ、 権力を持つと、どうなるか。 子供、大人、動物愛護家、パンクス、いろんな方に、オススメです。 動物に優しさを!!
ある種の動物にとっては、現実的なおとぎ話だ!
ジョージ・オーウェル;George Orwellの代表的小説である「動物農場;Animal Farm」が、アニメ化されていたことはご存じだろうか? 50年も前の古典的アニメーションが日本初公開だという。 この物語がクローズアップされた理由は明解だ。 とにかくあらすじを説明することが先決か? 荘園農場で人間にこき使われていた家畜達。 ある日決起し農場主の人間を追い出すことに成功する。 差し当って、指導的立場にあった2匹の豚が音頭を取り、動物だけによる農園を営むという理想を掲げ「動物農場」は再スタートを切る。 しかし豚達は自らの私腹や権力保持の方策に取り付かれ、陰謀が渦巻き、農園を独裁主義により治めてしまう。 この動物農場には、以下のような条例がある・・・ すべての動物は平等である。 だが、ある種の動物は 他の動物より、もっと平等である。 この「ある種の動物」というのは豚の事。 革命の名の下に成し遂げられたはずの共和制や平等が、知らず知らずに崩されていく。 複数の動物が犇めく中では、価値観や生活意識や心に食い違いがあるようだ。 人間社会と何ら変わらない。 謳われたはずの自由、それは再び誰かの欲に張られて、力が偏り軋みだす。 欲望は結局いつの時代にも循環する。 主従関係のカラクリも何一つ変わっていない。 企業の理念が崩壊しつつある昨今、多くの労働問題を抱えてしまった。 途方に暮れているのは、いつだって従属する側の連中ということだ。 100年に一度あるか否かの瀬戸際、今「動物農場」が劇場公開されている理由は、良からぬ事態が巡ってしまった裏付けであろう。 そもそもは第二次大戦後の冷戦期、ソビエト共産主義の暴露というところにテーマはある。 スターリンの亡くなった翌年に発表され、いわゆるスターリニズムを痛烈に批判した内容。 ビルマの警察学校で教育を受けたり、スペイン内戦に自ら参加した体験を持つオーウェル、彼の社会を斬り抜く描写は普遍的だ。 当時の権力者や政治家、秘密機関などを、各々豚や犬、羊や馬などの動物に例え擬人化させている。 オーウェルが最も想像力を働かせた作品としては「1984年」とも双璧を成す。 空想と現実の微妙な間を突くよう、巧みに書き綴った傑作。 アニメーションや漫画などの視覚に訴える手法として、まさにうってつけな題材だ。 興味深いところは、ウォルト・ディズニー流の愉快なアニメが世界に広く盛んであることを裏目にし、「大人が観るアニメ」を制作してしまったという点だ。 イギリス最大のアニメスタジオとして活動していたハラス&バッチェラーにて作られた。 実は日本での知名度は低いが、2000本の短編、及び7本の長編アニメーションを制作しているという。 50年代当時に、楽しいアニメではなくシリアスな別物を作るという発想は、早熟かつ次元を超えている。 日本のアニメと比較しても、これほどシンプルかつ辛辣な作品は珍しい。 現在の日本アニメの進化は言うまでもなく、ジャパニメーションとも称され、海外で広く認知されている。 日本が生み出した重要文化だなどと、早合点するものも多い。 だが日本アニメはもう方向性や将来性を断ち切られている懸念がある。 日本アニメが今後見直すべき点、それは基本的な「内容そのもの」である・・・ストーリーや脚本の流れ、あるいは声優の自然な演技力を公平に評価すべきであり、そこに多くの関心と向上を見出さない限り、将来性はあり得ない。 いくら新作が多数登場しても、画像の鮮明さや技術性の精密さばかりが注目され、導入音楽の壮大さや著名人のアフレコの話題性が先行しているに過ぎない。 どれも似たり寄ったりな映像とスピード感、ストーリーの複雑さで誤魔化し、そこに輪をかけるような古参声優たちのわざとらしい演技・・・人伝えの噂だが、この世界は年功序列が今でも幅を利かせているらしい。 一部の古い権力によって左右している。 スタジオ・ジブリの宮崎駿氏は、どうやらその危機感に気づいているようだ。 この映画の流暢さと映像の素朴さについては、彼の折り紙つきである。 こうして50年前の映像を誘致させ、劇場で初上映させることで実証している。 デジタル画像や素数の細かさなど問題ではない。 登場する豚や馬の卑しい雰囲気や悲しむ表情、それらがどこまで真に迫って魅せれるかに全力を上げている。 映像の一コマずつは荒くて水墨画風な箇所でも、かえって味と息吹きを感じてしまう。 登場キャラクターも制作者の影法師も、関わるすべてが「一生懸命」だ。 あらゆる物質が現在ほど恵まれていなかったからこそ、制作者の努力に応えるような肉迫した物語。 「肉迫さ」こそが、このアニメーションの鮮明さであり「誇り」であると思う。 仲間意識の中には、ある種の排他的考えが横行する危険性もあるという。 いくら気持ち良さげなスローガンを掲げてもだ! 僕等は各々が孤立し、その連携と協調性によって共存する仕組みを取るべきだと思うが・・・その新たな考えに気づく者は、まだ少数派のようだ。
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