「普通に生きていくために逃亡する者たち」クロッシング(2008) こもねこさんの映画レビュー(感想・評価)
普通に生きていくために逃亡する者たち
この作品に、「国家体制に対する非難」や「政治的なメッセージ」を期待している方は、観たあとには肩透かしをくらったような気分になるかもしれない。北朝鮮と脱北者を描いてはいるが、登場する人々には国へ批判も自由を得ようとする様子はほとんどない。ただ、生きていくことに一途な者たちだ。だからこそ、強烈な印象を受けるのである。
主人公の妻が重い病気にかかる。とは言え、日本や隣国の韓国ならば薬で治癒できるものと聞いた夫は、脱北して薬を求めようとする。それを追って一人息子が脱北を試みるのだが、その子どもの脱北する姿の悲惨さは、あまりに切ない。
これまでも、「イン・ディス・ワールド」や「霧の中の風景」など、国から逃亡する子どもたちの姿を描いた作品は何本かあったが、この作品が他と大きく違うのは、自分の力でしか生きられない、逃げることもできない、そして故郷に思いを残していることだ。つまり、夢があって国を捨てて脱北を試みているわけではなく、自分の力で生きなければならない、という切羽詰ったものを抱えている、どうしようもない悲劇を背負っている。そんな一途な思いの子どもに対して、収容所で痛めつけるシーンだけは、政治的なものを感じ、切なさが胸に染みた(実際に子どもの収容所が北朝鮮にあるのかどうかは、わからない)。
この作品の中で、一人息子が雨が好き、というシーンが何回が出てくる。雨は、我々都会に暮らす者には嫌なものだが、本来は作物にとって恵みの雨と言われる。一人息子にとって、雨は人を優しく包み込む天国からのプレゼント、恵みと幸せをもたらしてくれるものだった。雨だけが心の幸せと思う人たちが、日本からそう遠くない国にたくさん暮らしている、ということに我々はどのように向かい会うべきなのか、と考えさせるだけでも、この作品の公開はとても意味深いものがあると思う。