劇場公開日 2009年5月30日

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「さすがに音楽面での演出はパーフェクト!でも、ジョー・ライト作品には、いつも何かが足りないという、あと一歩感がぬぐえませんね。」路上のソリスト 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0さすがに音楽面での演出はパーフェクト!でも、ジョー・ライト作品には、いつも何かが足りないという、あと一歩感がぬぐえませんね。

2009年6月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 ジョー・ライト作品の特徴は、音楽の使い方が素晴らしいこと。背景に流れる音楽だけで登場人物の不安な心理とか、溢れる愛情を余すところなく伝えきってしまう音楽の魔法使いのような監督です。「つぐない」でアカデミー賞音楽賞を取ったのも納得しました。 そんな監督が、ホームレスの音楽家を描くとあって、音楽面を期待して本作を見に出かけた次第です。

 さすがに音楽面での演出はパーフェクトでした。
 記者のロペスが寄付されたチェロを手渡して、ナサニエルが久々にチェロを演奏するところでは、ナサニエルが音楽に陶酔する心境を、渡り鳥が大空に羽ばたく映像で表現していました。まるで『のだめカンタービレ』の演奏シーンのように、音楽の喜びをイメージで伝えていたのです。
 また、ロペスがナサニエルを誘って、オーケストラの練習会場に連れて行くところでは、ベートーベンの交響曲第三番『英雄』の冒頭に響く2音で、精神を患っているナサニエルが一気に芸術的に覚醒する表情を、印象的に捉えていました。
 さらに、ホームレスが渦巻くLAのダウンタウンでは、不協和音を効果的に使って、ホームレス達の出口のない不安感や街に渦巻く狂気をうまく表していたと思います。

 ジョー・ライト作品のもう一つの評価として、人間ドラマでは、いつもあと一歩感動が足りないと感じてしまうことです。
 本作でも巧妙な仕掛けがしてあり、9万人もいるといわれるロスアンジェルスのホームレスの生活の実態を描く社会派ドラマのようで、実は深い人間ドラマになっているのです。
 一番興味深いのは、ラストでナサニエルを救おうとしたロペスが、逆にナサニエルの純粋に触れることで自分が救われていたことに気づくことです。
 ロペスは、チェロを与えたり、コンサートに連れて行ってあげたり、ホームレスの支援センターを紹介したり、果ては部屋を提供し、精神病院に強制入院させて社会復帰まで世話しようとしました。
 それらの親切が、誰が見たって記者として、コラムのネタになると踏んでのもの。ナサニエルを飯の種にして、ついには書いた記事が賞までとってしまいます。
 さらにロスアンジェルス市長をも動かしてホームレス支援の施策を発表されるなど、徹底的にその善意は自分の仕事に活用していたのでした。

 心は病んでいても純真なナサニエルは、下心たっぷりのロペスを神とまで崇めて、彼の親切を受け入れていたのでした。しかし、統合失調症の人にとって、自分が統合失調症扱いされることは我慢ならかったようです。
 精神病院への入院には、人が変わったように敵意をむき出しにして抵抗したナサニエルに、ロペスは反省するわけです。何も救ったことにならないと。
 失踪したナサニエルに追い打ちをかけるようにロスアンジェルス市は、支援とは名ばかりにホームレスの排除に乗り出します。これもロペスがまいた種の結果でした。
 ナサニエルを必死で捜す中で、見つけたとき彼は穏やかにチェロを演奏していました。そこでロペスは悟るのです。病んでいたのは自分の方だと。

 ここで残念なのは、ロペスの別れた妻との間にあった心の葛藤が全く描かれていないことです。いつの間にかロペス夫妻は関係を修復しています。『レスラー』のように、ロペスの孤独を描いて、ナサニエルによって救われていく心情を描いたら、もっと感動できる作品になっていたことでしょう。
 ジョー・ライト作品には、いつも何かが足りないという、あと一歩感がぬぐえませんね。
追伸
 ホームレスのナサニエルというのは凄く難しい役柄だっだことでしょう。天才的な芸術感性の持ち主として美に陶酔している表情。しかしそれは同時にナイーブさ故に病的に自分の世界に立てこもって、社会を拒絶している面も見せつける必要がありました。狂っているようで、それがとても天才的に見えてくる姿をジェイミー・フォックスは演じきっていて、素晴らしいと思いました。

流山の小地蔵