「溢れる幸せ」余命1ヶ月の花嫁 かみぃさんの映画レビュー(感想・評価)
溢れる幸せ
自ブログより抜粋で。
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つい先頃世間の話題をかっさらった「おっぱいを見たい」との一念で頑張る少年たちを描いた不純なスポ根映画に対抗して作られた、「おっぱいが無くなったってキミは変わらない」と一途に愛を貫く青年を描いたピュアな恋愛映画。
というのはもちろん冗談だが、この映画には企画段階での根本的な問題がある。すでに映像化されているテレビのドキュメンタリー番組を、実話をなぞるだけの映画にするなら、あえて劇映画化する必要は無かったんじゃないか、というもの。
だがここは、実話が元になっているというのはとりあえず置いといて、単品の映画作品として評したい。
既存のドキュメンタリー映像の再編集でなく、再現ドラマでもなく、それでいて美談を美談のまま実名を使って映画化するという、劇映画としては結構難しいこの企画に対して廣木隆一監督は、千恵の闘病モノとしてより、彼女を支えた人々のドラマに主眼を置いて描こうとしているように見える。
もちろん話の中心は千恵と太郎の、病気という壁を乗り越えようとするラブストーリーなんだが、惚れた腫れたの恋愛模様は手際よくかっ飛ばし、癌に蝕まれる千恵の苦しみすら最小限の描写に抑えられている。
千恵を主人公とするドラマチックな展開を望むなら、彼女が胸のしこりに気づいたり、病院で乳がんだと診断されるシーンを入れたくなりそうなものだが、千恵側のそんな描写は一部を除いてことごとく省かれており、描かれるのは千恵から乳がんであることを知らされた太郎のリアクションであることからも、監督がこの映画で注力したい点がうかがえる。
また千恵の父・長島貞士を演じた柄本明がとりわけいい。
癌で妻を亡くし、そして今、最愛の娘も癌に奪われようとしている父親を淡々と演じて涙を誘う。
千恵さんが生前に残した言葉「みなさんに明日が来ることは奇跡です。それを知ってるだけで、日常は幸せなことだらけで溢れてます。」
そのメッセージを真摯に受け止めつつ劇場用の恋愛映画として昇華させた廣木監督の演出にブレはない。
長回しで撮った自転車での疾走、抱きしめあう衣擦れの音、それは千恵と太郎が共に生きた日常の息吹。
映画オリジナルである屋久島のエピソードに象徴される生命力。
死を目前にした別れの物語ではなく、今日この時を生きていることの素晴らしさを紡いでいく。
榮倉奈々演じる千恵の屈託のない笑顔からは余命幾ばくもない末期がん患者としての悲壮感は感じられない。
太郎は千恵が生きている今日のために雨の中をもかけずり回る。
基本的には結末は分かりきっているネタバレ上等のタイトル『余命1ヶ月の花嫁』から予想される通りのお涙頂戴難病恋愛映画に違いない。
しかし千恵の主観を巧妙に避け、受け身の太郎に重点を置いた演出は、ラストに用意された感動でピークを迎える。
それは否応なしに迎える別れのあとにも、まだ明日があることを知っている千恵だからこその、立ち去る者ではない、未来へ送り出す者としてのメッセージ。
この映画は、失われゆく時間の中でもなおも溢れていた彼女の幸せが、残された者の日常を満たしていく心の輪廻の物語なのだ。