劇場公開日 2010年12月11日

ノルウェイの森のレビュー・感想・評価

全101件中、1~20件目を表示

3.5映画というかたちの読書感想文

2011年11月21日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

ああ、この「ノルウェイの森」は、何て鮮やかなんだろう。それが、この映画の第一印象だった。
自分が読んでいる本を、他の人はどう読み、何を感じているのか。気になるけれど、何となく聞きにくい。それは、学生の頃に読書感想文に悪戦苦闘した記憶や、今でもいざ誰かに尋ねられたら、身構え、口ごもってしまう姿が容易に浮かんでしまうからだろう。
トライ・アン・ユン監督は、(多分)自身が原作を読み感じたものを、ありのまま素直に映像として表現した。それは、私の感じた「ノルウェイの森」とは少し違うけれど、それはそれで新鮮で、原作にとらわれず、映画として純粋に味わうことができた。たとえば、私にとっての緑はもっとちゃきちゃきしているし、ワタナベの寮はもっとごちゃごちゃと狭苦しい。緑とワタナベが初めて出会う喫茶店はこじんまりとして薄暗い。けれども、ワタナベの寮を縦横無尽に踊るように歩き回る緑に寮の空間はぴったりで、彼らが外へ飛び出す姿は躍動感に満ちていたし、カフェテリア風の光に満ちた店も緑に似合っていた。一方、びっくりするくらいイメージ通りのものもあった。たとえば、柄本佑演じる突撃隊。ほんの数秒のワンシーンながら、十分なインパクトがあった。そして何より、彼らの会話。原作にほぼ忠実な言い回しが、活字から声に置き換わっていくさまに、なるほどと感じたり、こうなるのかと驚いたりした。文字だから成立し得ると感じていた言葉たちが、日常離れしながらも芝居っ気をそぎ落とした絶妙の案配で表わされており、なかなかできないことだと感じた。
「ノルウェイの森」は、当時あまりにベストセラーになりすぎて、長い間不幸な扱いを受けていたように思う。例えば一方的な決めつけ、断片的な話題を繋ぎ合わせただけの偏った捉え方。今回の、ごく個人的な・あるひとつの「ノルウェイの森」が、原作をこれまでの呪縛から解き放ってほしいと思う。この映画は、原作のイメージを狭めることなく、豊かなヒントを与えてくれる。それは原作の力であり、映画の力であり、文学作品の映画化における稀有な成功例と言えるだろう。
私はまた幾度となく「ノルウェイの森」を読み返し、またいつかどこかで「ノルウェイの森」を観たい、と思う。

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cma

3.5デキなきゃ死ね

2011年1月15日
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鑑賞方法:映画館

笑える

楽しい

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しんざん

4.0偏ってしまうレビュー

2025年10月5日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

言わずと知れた村上春樹さんの代表的な小説
2度は読んだと思うが、映画になればそれは、作り手の解釈になる。
そして、小説に心が揺さぶられた場合、映画の解釈に純粋に焦点を当てることもまた難しい。
非常に悩ましい。

小説の「僕」という一人称に対し、映画も一人称ではあったものの、小説の雰囲気の多くが削り取られ、明確な視点、着地点という無理矢理感は否めない。
個々人の考える余地を、特定してしまっている。
やはりどうしても私自身の解釈と、映画の解釈をミックスするようにしかできないので、レビューは相当偏ってしまうだろう。

さて、
この物語、小説での冒頭 主人公ワタナベ(僕)は国際線に乗ってドイツに到着するが、流れてきた音楽がビートルズの曲、この作品のタイトルとなる。
しかしこの冒頭はどこにも帰結しない。
単にそれが、ワタナベが過去を思い出すきっかけとなっただけだった。
そして映画ではこの部分は削除されている。
その代わりに、最後にキズキと直子は死んだ当時のまま永遠になったことだけが伝えられた。

この恐ろしいほど純粋な恋愛物語を、村上氏は「Sex」というモチーフで表現した。
その是非が好き嫌いを分けるが、この物語においてSexは非常に重要な意味を持つ。

一般的に我々は、恋愛の延長線上にSexを考え、それを受け入れる。
少なくとも物語の「当時」はそうだった。
同時にその次代は多様化の始まりでもあった。

ワタナベは、視聴者の等身大だと思う。
だから、彼こそがキズキの自殺理由や直子の精神崩壊理由を探さなければならないことになる。

直子の深い苦悩は、キズキの自殺という喪失感だ。
ナオコが一度もキズキとSexできなかった理由は、「直子自身」にあった。
それは、誰もが経験する嫉妬のようなものだったのではないかと、この映画から感じた。

3歳からいつも一緒だったキズキと直子は、いわゆるソウルメイトのようなもので、逆に一つのソウルだったのかも知れない。
それは「男女」という関係ではなく、「ひとつ」 つまり「The ONE」だ。

この二人にはSexという一般的なものは不要だったし、ある意味自分と自分がSexするようなものだ。
この「The ONE」と言う絶対感と、人間であることの矛盾感キズキを襲ったのかも知れない。

それが、「浮気」のようなもので、それを直感的に知った直子は、自動的にキズキとSexできない状況になった。
もしかしたらキズキは、直子とする前に勉強しておきたかったのかも知れない。
これが最初のミステイクであり、二人を破壊することになった。

人間であるキズキと直子は、一つのソウルという強く枠で覆われながらも、人間という肉体をまとった矛盾のなかに、キズキのした不貞をどうしても受け入れられない「身体」となった。

直子の初潮とキズキの前でした号泣は、人間故の出来事であり、矛盾であり、不穏であり、予兆であり、神話のようでもある。

後にキズキは自分のした罪を明確に知ることになった。
その時点ですでに彼は、人間として生きていくべきではないと悟ったのだろう。
それが自殺となった。

一方、人間として生きていた直子にとって、それほどの喪失を感じたことなどなく、彼女は身体の勝手な反応という矛盾という苦悩に加え、喪失を味わうことになった。
もしかしたらそれは、長い時間をかけながら、人間としてゆっくり昇華できたのかも知れないが、ワタナベとの再会がキズキを思い出させ、何故できなかったのかという「問い」の答えを引き出していったのだろう。

それは、キズキとは絶対できなかったSexをワタナベとできたことに端を発する。
20歳の誕生日
それは、直子にとって来てほしくない日
理由は、キズキとの答えをまだ出せていなかったから。

しかし、行為後に訪れたじっくりとした理解
ワタナベは道程ではなく、何人の女性としているという直感
同じものを身体の何処かで感じてしまった記憶 キズキのこと

この神話のように絶対に守るべき貞節という「純愛」が失われたことは、その証明のために生まれたはずだという直子の根幹を破壊した。
直子とキズキは、お互いだけに許されたSexという、生前の約束のようなものあったように思う。

これを「純愛」のようなものとして、決して失わないように務めていたから、3歳で出会い、すべてを共有してきたはずだった。
記憶はないから、直感と身体でそれを感じるだけ。
それに気づいたときは、もう遅かった。

これは個人的解釈だが、作家はそこまで作り込んでいるはずだ。

この肝心な部分は語られることなく、他の登場人物を通して語られる。
その一人が礼子さん
彼女の7年前の悪夢は、映画では描かれていない。
しかし、ワタナベとのSexで昇華されたようだ。
礼子さんは形見分けの直子の洋装を着てワタナベを訪問した。
そこに宿っていたのが直子自身であり、Sexは人間としての「赦し」に変わる。

作家は、人間だけが欲求や行為としてのSexを、「感情」がコントロールしている不思議を描きたかったのかも知れない。
動物ではなく、霊的なものであればSexなど不要で、欲求もなければ行為もないだろうが、それに置き換わる何倍もの「喜び」があるのではないかと考えたのだろうか?

霊的な存在の人間と、動物的本能のある人間 この当たり前で矛盾した存在 「人間」
同時に生じる「苦悩」 存在そのものを殺してしまえる「自殺」という手段もまた人間的であるものの、霊的にも動物的にも矛盾している。
この矛盾の根源が、「Sex」という行為

宗教的視点や文化的視点、または教育、その他個人的思惑という色眼鏡によって、「Sex」というものがいかようにも見えてしまう。

そして苦悩に陥るのは、「OOべき」という思考 「あるがまま」を受け入れられず、「OOべき」ことができなかった自分に対する嫌悪感や慚愧の念、自己憐憫…
こうして人は自殺する。

映画では、最後ワタナベがミドリを選ぶようにできていた。
しかし小説では、ワタナベは直子の苦悩を受け取ってしまったかのように描かれる。

冒頭のシーン
あれは、外務省に就職した永沢さんを追いかけるようにドイツに行ったことを描いていたように思う。
それは、初美さんを自殺に追い込んだ永沢さんを軽蔑した自分自身が、結局直子を自殺させてしまったことに繋がってゆく。

初美さんに苦言を言われたスワッピング
心の中では永沢さんのことを軽蔑していながら、ワタナベ自身同じ穴のムジナだったことに気づいた。
ワタナベにはもう縋れるのは永沢さんだけになった。

奇しくも機内で聞いた「ノリウェイの森」によって、忘れるために行くはずのドイツへの旅が、思い出させるための旅になる暗示。
この矛盾
この作品は、とらえどころのない程難しい人間の性とも呼べる永遠の苦悩を描いている。

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R41

1.5ん〜

2025年10月2日
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鑑賞方法:VOD

映画でまして2時間で表現できるものではなかったのか

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わたる

5.0タイトルなし(ネタバレ)

2025年6月11日
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佐藤

4.5予想外に良かった

2025年5月27日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

癒される

『ノルウェイの森』が1番好きな村上春樹小説というわけではないが、村上春樹のファンなので公開当時に観た。トラン・アン・ユン監督はあまりにも眠い作風で苦手だったし、配役もピンとこなかったので、どうなるかと危惧してたんだが全くの杞憂だった。原作の雰囲気を見事に写し取っていたし、配役もドンピシャ。特に水原希子は素晴らしかった! 僕の目が節穴でした。どうもすいません。

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バラージ

4.0トラン監督の映像表現が素晴らしい

2025年3月15日
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鑑賞方法:VOD

知的

原作は出版当時読もうとしたが、どの本屋も売り切れでそのまま未読。今なら文庫本で出ている?。
その後「主人公が登場する女性達と○リまくる」というネット評価を見て、がっかりした。
映画も公開時に見損ねる。
今回、鑑賞の運びとなった。出だしでは気づかなかったが、進行するにつれ、ワンシーンワンカットが陰影、ライティング、フレーミングを含めて実に良く考えられており、それだけでも観る価値はある。長回しが無いと思ったが、これもちゃんとした、意義あるシーンで登場。思わず唸った。女優さん達にもっと有名どころを起用すれば大ヒットしたろうが、今の日本の女優さんは濡れ場に及び腰の人が多いように感じられるので、キャスティングに苦労したのかもしれない。原作は読もうかどうか迷っています。
トラン監督にはまた日本の作家を原作とした映画を撮って欲しい。

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コーヒービート

2.5感覚的映画NO1

2024年6月13日
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原作を読んでいるから復習的な楽しさはあったものの、これだけ単発で映画を見たら相当退屈してただろうな
映像化にケチをつけるのが生きがいの原作ファンにはなりたくないけど、映画はむじい

こういう作品を「感覚的映画」って名付けよう

感覚的な作品は本であればまだ字で追えるから最低限の理解はできるけど、映像表現ってなると途端に味気がなくなるよね
否定してる訳じゃじゃないよ!僕には映像から全部読み取るのがハードル高いだけ
でもある程度引き込まれないとセリフひとつひとつが全部上滑りしてるように聞こえる

もっとアトラクション的な映画が好き
アトラクションってのはシンプルにアクションとかVFXだけの話じゃなくて、、、とにかく退屈させないでほしい
この後に見たゴジラvsコングめちゃ面白かった

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真平

5.02016年の夏、村上春樹ワールドに出会っています。そして、

2024年1月8日
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鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

2016年のな夏、村上春樹ワールドに出会っています。『ノルウェイの森』でデビューしました。

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ピエロの涙

4.0原作未読。雰囲気が好き。

2023年7月28日
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色々と起こる中ゆっくりと時が進む感じが良い

原作未読というのもあるかもしれないが正直何を伝えたいかも良く分からず「あ、これで終わりか…」という感じだった。
原作を読んだ方の良いレビューも多くあるので、買ったばかりの小説をこれから読み進めようと思う。

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ミサ

1.0政治の季節を否定し性の季節へ踏み出した原作の残念な映画化

2022年12月29日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

1) 原作の基底に流れる政治の季節への嫌悪感
日本文学は第二次大戦後、長らく政治の季節に突入する。60~70年代には安保反対の学生運動が盛り上がり、それを反映した作品が数多く書かれた。例えば、高橋和巳、例えば『されどわれらが日々』…。村上春樹が『風の音を聴け』でデビューしたのは、70年安保の余燼がようやく治まった79年のことである。注目されたのは、その政治性の欠如、徹底したノンポリぶりで、吉本隆明は「テーマの欠如自体がテーマ」と評していた。

村上がこうした政治の季節に大いなる違和感を抱いていたことは、82年の『羊をめぐる冒険』で登場人物が語る「搾取? そんなものは存在しない」のひと言に示されていたと思う。そして87年の『ノルウェイの森』は、彼の政治の季節への嫌悪を全面的に表明したものだったのである。

小説は68~70年の日本の学生生活を背景にしているが、主人公のワタナベは大学をバリケード封鎖した学生たちを、内心で「下劣な連中が風向きひとつで大声を出したり小さくなったりするのだ」と罵倒したり、「1969年という年は、僕にどうしようもないぬかるみを思い起こさせる。一歩足を動かすたびに靴がすっぽりと脱げてしまいそうな深く重いねばり気のあるぬかるみだ」と、この時代への違和感を記す。
政治少年たちの愛読書が大江健三郎、ドストエフスキーだとしたら、ワタナベはフィッツジェラルドにアップダイク、寮の先輩・永沢はバルザック、コンラッド、ディッケンズ…よりによって政治的問題意識を排除した作家たち。そして、政治の季節の終焉を告げるように、性の季節とでもいうべきものを対置させるのである。

2) 政治の季節から性の季節へ
文学における性とは、それまでは政治的な性であり、反権力としての性だった。性的なものを隠そうとする権力を攻撃するための性、例えば「サド裁判」であり、『ボヴァリー夫人』であり、D・H・ローレンスであり、河出書房『人間の文学』全集だった。また愛とは堀辰雄のような理念であり、志賀直哉のような妄想であった。

しかし村上は本作で、ごく普通の学生の日常的な性愛を現実的に表現したのだった。そこでは従来、権力論や理念や妄想で語られていた男女の関係が、性や欲望、好き嫌いを中核とするものとして語り直されている。昔からポルノには事欠かなかったが、ここにあるのは読者が普通に行っていることをそのまま現実的に描写した純文学作品なのだ。
政治の季節を嫌悪し、政治的表現の一形態だった性愛を非政治的なものに置き換えた、「政治的なものに対する否定という政治的メッセージを含む小説」が本作だったと言えるのではないかw

死と性を大きな要素としたワタナベの非政治的青春は、「あなたがもし直子の死に対して何か痛みのようなものを感じるのなら、あなたはその痛みを残りの人生をとおしてずっと感じつづけなさい。でもそれとは別に緑さんと二人で幸せになりなさい。あなたの痛みは緑さんとは関係ないものなのよ」というレイコの言葉で一つの帰結を迎えるのである。

日常的・現実的な性という意味では本作は文学作品としては新しいものだったろう。その自覚があるからこそ、村上はここから文学的に再出発を果たしたのではないか。(その後の作品は未読なのであくまで推測ですw)
作品末尾の「僕は今どこにいるのだ? でもそこがどこなのか僕にはわからなかった」という唐突な表白は、政治の季節から自分を解放して性の季節に到達し、これからどのような表現をしていけばいいのかという文学的な当惑を表していた気がする。

3) サブカルチャーにおける性の先取りと本作の映画化の失敗
ところで映画や流行音楽といったサブカルチャーは一足早く、そうした現実の性的関係を描いていた。米国映画では1968年頃までに自主規制が無効化されたから、大胆な性的表現も当たり前のことだし、日本でも警察の猥褻罪関係の規制は徐々に緩んできていた。
性的表現では文学などより映画、音楽といったサブカルチャーのほうが先に進んでいたとするなら、87年時点で村上が文学表現において新しかったとしても、サブカルチャー的にはとくに斬新でも革新的でもなかったはずである。

表題のビートルズ楽曲だってセックス目的で女性についていったら、安物のノルウエー松材の内装を自慢された挙句、はぐらかされて苦笑いしている歌。つまりサブカルチャーは性的コミュニケーションを先取りし、それが日常化していた例証である。
とすると本作を映画化するにあたって性的表現を重視すると、ろくなことになりそうもない。むしろ政治的表現との対比から語りだすべきだった。それは誰にでもわかりそうな話なのだが、いかんせんこの映画はセックスを強調するかのように組み立てられた。

したがって構想の時点で失敗が決まっていたような話であるうえ、女性キャストが菊地に水原では如何ともしがたいだろう。しかも人物もストーリーも原作を単になぞっただけ…二重三重に失敗が決定されていた映画としか言いようがない。映像に素晴らしいものがあるだけに、何とも残念だ。
そういえば映画版『風の歌を聴け』も、日本の港のどんよりとした曇り空のシーンにビーチボーイズ『カリフォルニア・ガールズ』が流れる凄まじいものだったっけな。あのような愚挙を「政治性」と呼ぶのであるw

補足)
上記のレビューで「表題のビートルズ楽曲だってセックス目的で女性についていったら、安物のノルウエー松材の内装を自慢された挙句、はぐらかされて苦笑いしている歌」と書いたが、それと関連する本を最近読んだので、参考までにご紹介しておこう。

小関隆著『イギリス1960年代~ビートルズからサッチャーへ』には次のような記述がある。

「『ノーウェジアン・ウッド』を例にとれば、この曲が描くのは、1960年代に進展した性的モラルの変容を背景とした、どこか虚無的な男女の駆け引きである」

ビートルズ1963年のヒット曲「アイ・ウオント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」は何故、「手を握りしめたい」と歌ったのか。米国に比してイギリス社会はきわめて奥手だったから、ファンの少女たちに受け入れ可能なのはこの程度だったというのである。

しかし、この時期のイギリスは豊かな社会の到来と教会の権威・影響力の低下に伴い、文化革命が進展しつつあり、その一環として性的モラルも急速に変容していく。
ピルの普及により婚前・婚外セックスが広がり、公共放送BBCの教養番組では心理学者が「大切なのは純潔より愛だ」と講演した。国教会の偉い聖職者も「セックスは徹頭徹尾よきもの、神が与えたもの」と明言する時代であった。
『ノーウェジアン・ウッド』のような性的な駆け引きの歌が登場した背景には、このようなスインギング・ロンドンの時代における性的革命があったわけだ。

小関は「性に無知で、性行為に罪悪感を覚えていた若者たちが、性を語り、性の知識を獲得し、人生を充実させるものとして性行為を捉え直していったことは、たしかに革命と呼んでも過言ではない」と説明する。これは村上の小説のレビューに転用してもおかしくない。

『ノーウェジアン・ウッド』の発表は1965年、村上春樹『ノルウェイの森』の舞台となるのはそれからほぼ5年遅れの日本である。
当時、日本国内でビートルズの曲が性的な曲として理解されることはなかったに違いないが、流行歌のメインストリームである演歌は、ビートルズなどより遥かにキワドイ男女の関係を内容としていた。それは宇多田ヒカルの母親の代表曲を持ち出すまでもない。
したがってサブカルチャーが性的コミュニケーションを先取りしていた事実は動かないのだが、それをメインカルチャーである"純文学"化するには、さらに20年近くの時とバブル経済が必要だったのだろう。

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徒然草枕

3.5村上春樹と「喪失」

2022年7月11日
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鑑賞方法:DVD/BD

ストーリーにいくら忠実でも感動に至らないのだと思います。
2010年。監督は「青いパパイヤの香り」のトラン・アン・ユン(ベトナム人)
村上春樹の「ノルウェーの森」は、
1000万部以上売れたそうです。
村上春樹の作品(エッセイを含む)の魅力は、引用にあると思います。
フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」やサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」
を知ったのは村上春樹の著作からです。
そしてその本を読み、ギャツビーはレッドフォードの映画を観た。
音楽もそう。本に出てくる音楽は探して聴いた。
jazzバー(昼はjazz喫茶)を20歳から30歳まで彼が経営してた話しは有名。
伝説のjazzバーと、言われている。
毎朝、ランチのコロッケを100個以上手作りしていた、キャベツの千切りも山ほど。
音楽・・・彼はjazzのみならずクラシックにも造詣が深く、オペラにも詳しい。
ギリシャやイタリアに転々と暮らしてた頃のエッセイでは、町のオペラハウスに
ふらっと入る記述が多かった。
彼の本には村上春樹の芸術への理解と造詣が深く投影されている。
そこを映像化するのは、まず不可能でしょう。

映画は、確かにこんな粗筋でした。
私は本を読んだ時、直子さんが、なんとも厄介な女性に思えました。
精神を病んだ直子は自分で自分をコントロールできない。
彼女の我儘を「もちろん!!」
と、即答して叶えるワタナベ。
病的なキズキや直子に較べてワタナベは健康すぎる肉体と精神を備えている。
しかし周囲の人間(カジュアリティーズ=犠牲者たち)は、死を選ぶのです。
村上の著作は死の影がいつも慣用句のようにつきまとう。

映画は美しい自然描写・・・緑が目に眩しく。
ワタナベが直子の死から受けたショックから立ち直るべく、彷徨う冬の海辺の岩場。
とても詩的で秀逸です。

この映画の収穫は松山ケンイチの美しさでした。
演技も、ワタナベの捉え方も良かったと思います。
彼の精神の強さ、それは同じくワタナベの強さで、
だからこの映画は観るべき映画になった。
そう思います。

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琥珀糖

4.0春樹ワールド全開・初心者お断り感

2022年6月14日
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ドライブマイカーを見たこともあってアマゾンプライムで鑑賞。

原作をよく表現されていると思いました。映像、音楽、演技、申し分なかったです。

ただストーリーについては原作や春樹ワールドを知っていることが前提になっている気がしました。
綺麗に引き算されていて、私はよかったんですけど、恐らく原作を知らないと展開に付いていけなくなる人も多かったんじゃないかなと思います。

またこれは原作からそうなのですが、一種の官能小説として受け入れる準備がないと辛いと思います。とにかくセックスのことばかりです。さらに、この主人公は村上作品群の中でも特に最低な部類に入ります。正直、感情移入できる人の方が少数派なのではないかと思っています。

あまりにも評価が低いので他の方のレビューをいくつか見ましたが、やはり上記の点で低くつけている方と、他には菊地凛子さんが原作のイメージと違うことが主要因のようでした。直子役としては確かにかなり違和感がありました。原作で語られるような「もろさ」が伝わってこなかったからかもしれません。今(2022)でしたら有村架純さんがベストマッチな気がします。

ただ作品としては、本当によくできたと思います。
原作のイメージが強すぎるためにファンから嫌がられ、原作が春樹ワールド全開だから非ファン層から嫌がられる、不遇の作品だと思いました。そもそもこの原作を選んだ時点で、監督もその覚悟の上だったのかもしれませんが。

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とまちゃん

4.0無感情な台詞回しが好き

2022年4月24日
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鑑賞方法:VOD

悲しい

怖い

知的

原作を読んだのはいつだったか。
めちゃくちゃ騒がれてて、流行りに飛びつくように読んだ。
この映画を観るまで、内容を忘れてしまってた位なので、原作と比べるのは無理ですが、見終わって率直に好きだなと思った。

松山ケンイチの演じるワタナベは、無感情な台詞回しが、止まった時間を生きている姿を上手く表現してて良かった。
逆に、常に感情的な直子の表現も、苦しみが伝わった。
ワタナベを筆頭に、感情をのせない台詞回しや演技が、ワタナベの見る非現実的な世界を感じさせてくれるように思った。

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とたすけ

4.0性的表現の直球が何を意味するのかわからない。

2022年4月9日
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Socialjustice

3.5ハルキストでは無いんです。

2022年2月22日
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ということを前置きして。ドライブマイカーを観て思い出したので。

村上春樹さんは恐ろしい話や実際の事件から着想を得た話でもこれでもかという程、淡々と描く方だと思っています。なんなら、ファンタジーなのかな?と、思うくらいです。まぁ、ファンタジーなんですよね。

なのに読んでると泣けてきたり笑えたり、琴線にことごとく触れるという、文学表現におけるある種の天才だなぁーと思っていますが、必ずしも全ての作品が好きなわけでも無く、すっかり忘れ去っているものもあります。

しかし、これに関しては、かなり好きな方で、この空間を切り取った描き方がクセになる作品だと思います。ただし、行間を好きなように読め、想像できる作品ほど映像化が難しいものもなく。

期待していなかったのですが、監督は頑張った!と、思います。わかりづらい、行間だけを描いた様な作品をわからない感じで作ったという事は、ある意味原作っぽいのかなぁと(笑)

まぁ、どんなに人気でも映像化するには向き不向きはあるのかなぁと思います。

ということで、ドライブマイカーは成功してます!短編だったのが良かったのでしょうね。

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Amitayus

3.0評判ほど悪い出来ではありません。

2021年12月14日
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興奮

難しい

そもそも原作自体大した小説ではないと言ってしまうと身も蓋もないけれども。
監督は頑張っていい作品にできてると思いますよ。
僕はこの原作を読んで、なんかノスタルジーなのかな?って思ったんですよね。
全共闘世代のノスタルジー?
でもそれって私には全く響かなかった。
大した小説じゃないというと語弊があるね。
"読む人を選ぶ小説"と言えばいいかな?
あんまり一般化するような物語ではないように感じたんですよ。
正直一般化するなら初期三部作の方が遥かにそんな感じする。まああれもクセがあるけども。
そしてこの映画である。
水原希子の演技が素晴らしいですね!
緑さんを力演しております。
あの飄々とした感じ、なかなかこれを出せる人はいないですよ。色っぽい。えっちなこと言ってもいやらしくない。いや、いやらしいんだけど嫌じゃない。あんなに好き好き言ってたのに次の日にはいなくなってそうなこの感じ(笑)
基本主人公の男性のナルシスティックで団塊ノスタルジーな物語なので、そこはもう置いておこう。水原希子素晴らしい。それだけで3.5!(笑)

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hatakeyamad

3.0原作との差異を痛感してしまう

2021年4月25日
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泣ける

悲しい

知的

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古元素

2.5映像美&やおい系好きにはたまらないのかもしれないけど・・・

2021年2月2日
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前提として映画といえば、スカッとするものか、後を引くものが好みです。
海辺のカフカ以降は読んでいませんが、村上春樹ってなんとなくヤオイ系(ボーイズラブではない、山なし落ちなし意味なし)を巧妙に使って雰囲気で読者(=ハルキスト)を酔わせるのに長けている大家じゃないですか。話の運びの面白さという点からは離れているため、商業的な映画にすること自体がある種、無謀のような気がします。
熱烈なハルキストではない自分からしても「ここは違うなあ」という点が(特にレイコさん。逆に一番マッチしていたのはハツミさん)出てきて、終始没入できない感じが否めない。その点から言うと、おそらく監督も熱烈なハルキストであり、「私の解釈はこうだけどなんか文句ある?」みたいな自分を突き通したエゴの強さに星2.5です。

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mojimizu

1.0松山ケンイチが

2020年10月3日
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松山ケンイチ目当てで観た、思春期の葛藤みたいなのを描きたいのか。見返したい映画ではない。

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Kyon
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