「人生に割り切りは必須?産むも堕ろすも命懸け。」レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
人生に割り切りは必須?産むも堕ろすも命懸け。
わかります、エイプリルの気持ち。
社会に出ていたい気持ち。
夫に輝いていて欲しい気持ち。
夫婦共に根拠のない自信でも良いから、せめて夫婦間では心に正直に、同じ方向を向いて未来に希望を持って進んでいきたい気持ち。
私には、エイプリルの言動を、鬱だわがままだ世間知らずだで片付ける気にはなれない。
エイプリルは、大口を叩きながらも輝いていた昔のフランクが、すっかり家族のために妥協の人生を送ろうとしているのも悲しく、夫には心に正直に生きて欲しかったのだ。同時に、自分らしく生きる輝きも取り戻したくて、両方が叶う環境変化を求めていた。
なんだかうまくいかない時に、引っ越ししたって良いじゃない。
確かにどこでも幸せは見つかるかもしれないけれど、郊外の古い価値観の中で社会に出ようとして、簡単に済むものでもない。例えパリでなくても、自分が多少働けて、夫が心底望む生き方を再選択できれば、なんでも良かったのだ。
その感覚は夫婦で一致していて、パリ行きを決めてから妊娠がわかるまでのウィラー夫婦は心の底から共鳴していて愛し合っていて、勢いと未来を感じさせた。その絆があればなんでもできたはずだが、1950年代では、家族計画や、女性が妊娠を避ける意識は薄く、たとえ何人でも産み育てるのが当たり前だったのだろうか?愛あるが故の、妊娠。
夫婦だからこそ、補い合っていて、片方が現実的な視点から逸れれば、片方が現実的に戻す役割を果たしている。
フランクはできる夫で、パリに行くことも、行かずに出世する選択肢も持っていて、状況により吟味して選べる。家族を養う責任感があるからこその迷い。
出世話が出たタイミングで新たな妊娠が発覚したのは、本来ならば運が良い。そして、夫側には、ひさびさに希望ある表情を妻にさせられて、妻を満たせた喜びで自らの存在確認をできた矢先での妊娠であり、自由を奪われる反面、男性としての嬉しさも秘めていた。
妊娠がわかる直前までもフランス語の会話本を見ていたり、夫もかなりパリに乗り気だったのは、事実。
妊娠中、しかも安定期前で体調も気分も不安定な時期の女性は、お腹の子を守るために神経質になるし殺気立ちやすく、ホルモンバランスも変化している妻の発言は、真意をよくよく汲み取る必要がある。
夫婦でよくよく話し合えば、出世をとりあえず選び、数年経つまでは末っ子を手のかからない年齢まで育て、キャリアアップした状態でパリに行こうという決断だって出せたはずだ。家は狭くなるだろうが、マンハッタンに引っ越すこともできたかもしれない。
ところが、エイプリルはやっとこの街を抜け出せると足取りが軽くなり勢いづいていたのに、文字通り身重に。
「このタイミングで妊娠してしまうなんて!お腹の子のせいで計画が総狂いよ」と今だけを見て絶望的に感じている様子。
同じ時代を生きていても、郊外ではなく、マンハッタンには働いている女性、既婚者の男性を誘うような女性だって存在していて、現に夫はそういった女性とも抵抗を持たずに関係を持っている。
中絶の是非は別として、女性が社会に出ていたがるのはごく当たり前の気持ちである。
実際、パリ行きを告げた時のお隣の奥さんの涙は、憧れと羨ましさの骨頂だろう。恐らく一生ここから出られない自分とは対照的に夫婦で自由を口にできる羨ましさと、その未確定性を非現実と捉える価値観を夫と共有できる安心感の狭間で揺れている。
お隣の夫も、売れない女優経験もあり都会的な雰囲気と自発性を醸し出すエイプリルに、ずっと憧れの気持ちを隠してきた。
家を紹介してくれた不動産屋の婦人が精神病の息子を連れてくるのも、ウィラー夫妻に先進性を感じているからだろう。
2人が大多数の価値観の中では浮いてしまっても、心の望みを叶えようと、割り切った生活に落ち着くよりも正直な一歩を踏み出したことは、その他からすればレボリューショナリーなのである。
あとはその計画が完遂され、どこまでうまくいくかの話だけだったのに、妊娠により、同じ本心なのに、すれ違う夫婦。
新しい命が絡んだ事で、妊娠も自分達の責任であり、中絶には良心の呵責があるし地に足をつけて人生守りに入ろうとするフランク。ちょうどタイミング良く、揺らぐ引き抜き話がきたが、心の奥底ではそこまでやりたい仕事ではなさそう。でも、妻に3人目も産まれる現実を整理すると、パリ行きは無理だろうと断念。行きたくなかったわけではない。
エイプリルは、夫はもともと行きたくなかったのではと猜疑心に満ちて、中絶も反対され、更には浮気まで白状されて、精神病扱いもされ、本音の行き場がなくなった。誰にも共感して貰えないのに、慰めの言葉などいらないから1人になりたかったのだろう。
家から外に逃げ出して庭で感情を爆発させて、心が燃え尽きた結果、死んだように生きて、郊外で夫がやりたくない仕事をする人生に骨を埋めようと決心したのだろう。
少し前には夫婦で清々しく木漏れ日を感じて散策した、郊外だからこそ広大な裏庭が、今は逃れられない樹海のようである。
翌日には人が変わったように、おとなしく、静かで従順な妻。丁寧な朝食。夫が引き抜かれた新しい仕事に、本当は興味なんてないのに、夫のやる気が出るのならと褒めて。薄気味悪さを感じながらも、ただこの平和な空気が好きという意味で、夫は満足そうにする。妻は、やっぱり私の感情を殺すことが必要とされているんだと受け止めてしまったんだと思うが。
印象的なのは卵のシーン。
エイプリルは最後に、夫の出方で身籠った子をどうするか決めようとしたのだろう。本心から望んだ妊娠ではないが、中絶には迷いつつも覚悟を決める事はできなくて。
卵を掻くスクランブルにするか、フランクが手がかかると表現する目玉焼きにするか。
簡単ならと妻を思いやり、単純にスクランブルにしたフランク。なら私もそれ「で」いいわ、と、妻は覚悟を決め、手に入るはずだったパリでの生活を掻き壊すかのように卵を混ぜ、お腹の卵もスクランブル=中絶を選んだと思われる。
自力で中絶に臨む心を整理するためか、うまくいく保証はないからか、子供達に愛していると伝えて欲しいと子守に電話をしている。女は産むも堕ろすも命懸け。
中絶と共に、自分の本心も殺して生きていくつもりで、中絶を終えて傷付いた身体で、希望なく見えるこの景色の中で絶望しながらまた生きていこうと窓枠から外を見つめたのではなかろうか。
なのに、出血多量で命を落とす。
作中ずっと見ていても、時代柄全然育児参加しない夫。
家電もなく家事も沢山で明らかに疲れている妻。
3人目を産むことは、今以上の家庭での労働を意味し、つまり郊外幽閉人生の確定と捉えられる。
1人目を妊娠し、女優の夢を諦めた。産む方が幸せかなと思ったことだろう。でも産んでみて、私はこれで良かったのかなと迷いが生じるも、これで良かったと信じるための、2人目。3人目に至る時には、これ以上子供はいらないとハッキリ自覚してしまった。産み育てる経験をしていてこそ経験値に基づき確信した自覚。
望まぬ妊娠をなぜ防がなかったのかというのが最大の疑問だが、エイプリルの気持ちそのものはわかる。
妊娠がわかって、夫だって困惑の表情が先。すごく嬉しそうな描写は全くなかった。
今の暮らしは安定していて子供にも恵まれ、側から見れば「幸せ」で、その中に幸せを見つけることももちろんできるけど、刺激がなく、向いてるのかもしれないが大して好きな仕事でもない、「絶望的な虚しさ」に気付かぬふりをしなければならない。世界の大多数がそうして生きている。周りの人とも折り合いをつけていかなければ、社会は回らないからだ。そのために、周囲の気持ちも思いやれば、本根は埋もれていく。
その中でその本音を外に漏らすと、「幼稚」「鬱」「精神病」と捉えられてしまう。
人の心を傷つけても平気で核心をつく、精神病の知り合いの息子の言動は、確かに病的で、全員から歓迎されるものではない。そのあと相手がどんな気持ちになるかなど微塵も考えていない。でも確かに、発言は真をついていたことは夫婦どちらも実感していた。
「妻がこんな顔してるから、夫が妻の妊娠くらいでしか男を感じられないんだ」これが真髄だろう。
妻も、パリでなくてもどこでも良かったのと言うように、夫フランクにとっても、妻が日々嬉しそうで少し気にかけて貰えるのならそれで幸せで場所はどこでも良かったのに。家族でそれを叶えるには、郊外が適していなかった、ただそれだけなのに。
パリまで極端でなくても、せめて郊外ではなくマンハッタンに引っ越しを考えられなかったのかな?
パリ行きを決めてから妊娠がわかるまでの数ヶ月間を「真の夫婦」と捉えるか、折り合いをつけて割り切った日常こそを「真の夫婦」と捉えるかで、この作品への評価ははっきり別れると感じる。
私自身は、夫婦両方が暮らしには多少妥協はあっても、お互いに納得して夫婦共通の目的に向かって歩むことこそ「真の夫婦」だと思うから、パリ行きを決めてから、心が通い合っているウィラー夫婦の限られた数ヶ月の様子が好き。
妊娠後も、お酒も煙草も全くもって控える様子がなく、周りも注意や配慮をする様子がないのは、有害性の認識が薄い1950年代だからなのだろうが、驚き。
安定した暮らしと絶望的な虚しさは表裏一体。
心が求める方に進めば、不安定ハイリスク、
子供がいるとリスクは取り辛くなる。
ワクワクする選択肢を夫婦両方が取れて、生活に余裕があって、夫婦に愛があって、子供にも恵まれて、毎日幸せで。この5要素全てが満たされている家庭って、どれくらいあるのだろう。
タイタニックでは、家柄という障害をお互いの愛は乗り越えたが、座礁というアクシデントでローズを生かすためにジャックが死を選んだ。
今作では、現実の生活と理想の乖離に悩みつつも、お互いの愛で乗り越えられそうになったが、妊娠というアクシデントで、フランクが自信を持って歩むために、エイプリルは絶望を選んだ。
タイタニックの真逆と評する人もいるが、私はこの2作は共通していて、あえてのディカプリオとケイトウィンスレットの再共演だと思った。
本音は同じなのに、2人で達成したかったのに、障害により相手のために片方が引かなければいけない悲劇が共通している。
ディカプリオとケイトウィンスレットのコンビネーションは、2人揃うと現実を忘れて、目に見えない煌めきの儚さに没頭できる表現にぴったりの組み合わせ。