劇場公開日 2010年9月25日

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「この秋、一番の感動する作品としてお勧めします。」メッセージ そして、愛が残る 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0この秋、一番の感動する作品としてお勧めします。

2010年9月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 この秋、一番の感動する作品としてお勧めします。
 とにかくスローモーションを多用した映像が素晴らしく、登場人物の深い哀しみや優しい気持ちをよく表現していました。
 試写会のゲストは、何と西城秀樹。何で彼がと思ったら、かつて脳梗塞を患い、死にかけた経験があったので、本作を人ごとと思えないで、魅入ってしまったことがきっかけであるとか。
 1回目では、本作で次々登場人物が突然の死を迎えるので、怖い映画だと感じたそうです。しかし、もう一回見たら、死と直面することで生きる喜びに気付かせいてくれる作品だと分かり、作品の奥に潜んでいる優しさに触れることが出来たそうです。
 『最高の人生の見つけ方』など、『死』に直面する作品が次々作られるのは、それだけ逆に多くの人が日頃、死を意識していないことの反映ではないでしょうか。こういう作品で、自らの死に直面させると、しみじみ考えさせられるところが大きいですよね。

 小地蔵も、とある禅宗の老師さま教えていただいた『大死一番』という言葉を思いだしてしまいした。それは、いまここで死ぬことになったら、何が大切だと思えるか考えてみろという教えです。
 人は、往々にして何かにこだわりすぎて、大切なことが見えなくなり、判断に苦しみがちなんですね。それを一度リセットするとき、自らの人生を貫くかけがえのないもののプライオリーが喝破できるように変われると思うのです。それが『死』なんですね。
 それはゲストの秀樹も同じことを言ってましたが、死を覚悟したとき、何を思ったかというと、これまでお世話になってきたり、ご迷惑ばかりかけてきた家族への感謝だったそうです
 本作で描かれる『もし今死んだら』という問題提起は、『大死一番』と同様に苦悩を抱える現代の多くの人々に、何が大切なんだという「一転語」を考えさせてくれることでしょう。

【ここからネタバレ】
 まず冒頭からショッキングなシーンではじまります。湖のほとりで遊んでいた小さな少年と少女。何気ない始まりですが実は、ラストに繋がる重要なシーンでした。
 少女が湖に転落したので助けを呼ぼうと少年は、車道に駆け出しますが、慌てていたため車に惹かれて死んでしまいます。
 ここからの展開は、アニメ映画『カラフル』にとても似てきます。
 肉体を離れた少年は、ガイドスピリットらしき導き手に、魂が自由になった歓びを語ります。しかし、人生を約束しあった女性の存在が、少年の魂をこの世に引き戻したのでした。

 やがてネイサンという少年は、成人しニューヨークの敏腕弁護士として活躍していました。最愛の妻クレアと娘のトレイシーとは、幼い子を突然亡くしたことで、けんかとなり離婚していたのです。
 そんなネイサンに、大病院の院長をしているケイという男が訪ねてきて、重大なことが起きるので、話を聞いてくれというのです。しかし、相手が地位のある人間としても、アポなしで突然言われては、素直に話を聞こうとしません。弁護士という職業は、素直に人の話を受け付けられない、疑い深い人種なのですね。
 ケイは、ネイサンの身辺で、次々と人の死を的中させ、疑い深いネイサンに自分の死期が迫っていることを覚悟させていきます。この展開が、凄く巧みです。ケイの予言を外してやろうと自分の友人の危機を救ったやったつもりが、友人に関わったばかりに逆に死に追いやってしまう結果となってしまいました。落胆したネイサンは、ケイのメッセージから誰も逃れ慣れないということを、したたかに覚悟させられたのです。
 このときのケイの正体を探ろうとするネイサンの視線に沿って場面が展開する構成もよかったです。そしてケイを演じるマルコヴィッチの無表情さが何とも不気味で、死に神ではないかと思わせるほどでした。

 死を覚悟したネイサンは、多忙な弁護士の仕事を放棄してまで、残りの人生を家族とともに生きようとします。
 まず妻のクレアに心から詫びました。忙しさにかまけて、自分の都合でしか、物事を考えられなくなっていたのです。息子が死んだことも医者やクレアのせいするばかり。しかし  死を受け入れた瞬間、自分のことしか考えらなかったネイサンに、大切な人と寄り添おうとした気持ちが芽生えたのです。演出で、優れているのは、ネイサンの表情の変化。死を懐疑しているころの怖い顔つきに比べて、死を受け入れたのちは、とても穏やかな表情に変わっていました。

 ラストに号泣してしまったのは、ネイサンとクリアの結びつきの深さ。メッセンジャーとしてケイが語るふたりの見えない縁で結ばれた数々のエピソードがリフレインされるとき、涙なしには画面を見つめることができませんでした。
 そして誰も思いつかなかった、ショッキングなドンデン返しで、終了します。ネイサンが再びこの世に生き返って、やり遂げねばならなかった使命がわかるとき、しみじみと深い感動がこみ上げてきました。『カラフル』とセットで鑑賞されれば、人生の目的とは、『一冊の問題集』を解くためにあるようなものだと感じられることでしょう。
 人間は常に無常で、人は皆、迷い、苦しみながら生きています。その迷いというのは、結局自分には沢山の残された時間があるとの思い込みがあるからでしょう。あると思った時間が、突如失うことになるから、迷い、苦しみが起こります。
 もし今しかないのだとわかったら、時間をもっと大事に迷いなく使うことでしょう。悩んでいるヒマとは、たぶん時間の浪費と同じことではないでしょうか。

追伸
 ケイが語るメッセンジャーになるための代償とは、何処かお地蔵さんとなるための過程に似ています。聖なるものとなるためには、天国でハッピーに暮らしていてはいけないのです。地上に生まれてきて、人並み以上の肉親との死別など深い哀しみを味わって、人を慈しむこころが深まるものです。メッセンジャーとして、この世に生きる人に死への旅路を心安らかに導けるようになるためには、自らが死別の哀しみを味わう必要があったのです。ケイが最愛の妻の写真を眺めるシーンには、涙を誘われました。
 お地蔵さんもまた、この世でさんざん嘲笑され、罵倒されても笑顔を絶やさないで生きるという試練を積まなければいけません。
 そんな嫌な思いをしてまでも、聖なるものへ近づいていこうとするのは、やはり世間の喜怒哀楽を知りすぎたあまりに、他人事では済まされない気持ちが強いからでしょうか。

流山の小地蔵
ゆ~きちさんのコメント
2018年5月20日

mixi時代から小地蔵様のレビューを拝見しておりました。この度の西城秀樹さんの訃報に際し、この映画にたどり着いた次第です。

秀樹さんにお会いできて羨ましいですね。そして、あんなに大スターでも身体が不自由になったり、周囲への感謝を絶やさなかったり、当たり前のことを思い出させてくれました。

この映画を見る機会ができたら、小地蔵様のレビューを思い出し、秀樹さんの気持ちに想いを馳せながら、大切に観たいと思います。

ゆ~きち