劇場公開日 2010年3月6日

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「精神を削り取るだらだらとした恐怖」ハート・ロッカー 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5精神を削り取るだらだらとした恐怖

2010年3月18日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

単純

アカデミー賞授賞式の2日前に観たが、まあ観客の多かったこと!
作品賞ノミネートってのも宣伝効果バツグンだろうが、連日放送された爆弾炸裂シーンの迫力にアクション映画好きな野郎共の食指が動いたのは間違いない——かく言う自分もその一人(笑)。

だがアクション映画でよくある爆弾解体シーンの迫力を期待する人は、きっと肩透かしを喰らう。
いや、確かに緊張感はあるのだ。人間性の欠片も無い残忍な爆弾の数々には純粋に恐怖を感じるし、執拗なまでにディテールに拘った軍事行動の描写は、自分が戦地に放り込まれたような、ひりつくような緊張感を生んでいる(恐るべき精緻さで描かれる狙撃手対狙撃手のシーンは必見)。

だが緊張感の高さで言えば同じくアカデミー作品賞を受賞した『ノー・カントリー』ほどでは無いし、何より淡々とした語り口は時に単調とも思える。
しかし、だ。実はその単調さこそがこの映画の狙いでは無いか。

この映画にカタルシスは無い。
爆弾解体に成功しても、敵襲を切り抜けても、爽快感や高揚感は感じられず、残るのは疲労感のみ。
なぜならキリがないからだ。いくら爆弾を解体しようが敵を殺そうが、別の何かが常に命を狙っている。明日も、明後日も、そのまた次の日も。

爆弾解体の現場に走り込んできたタクシー運転手、兵士をビデオで撮り続ける男、“ベッカム”の家にいた老人。映画では、彼らの正体がはっきり語られない。
「こいつらは何者だ?」
「こいつらも殺すべきか?」
相手が何を考えているのか分からない。親しげに話し掛けてきた人間も信用できない。周囲360度の住民全てが常にこちらを狙っているのではという強迫観念。

“対テロ戦争”という大義名分が殆んど崩れ掛けたこの戦争で、それでも現地での任務にあたらなければならない兵士達に残されたのは、ただ『俺は今、殺されかけている』という状況の終わりなき連打だ。
この状況でマトモでいられる人間はきっと少ない。アドレナリン中毒となり、戦場以外で生の実感を得られなくなった主人公は、戦争により精神を歪められた人間のほんの一例に過ぎないのだろう。

精神を削り取る、終わりの見えない、だらだらと続く恐怖。
映画の淡々としたリズム自体が、幕の引き方の分からないこの戦争の鬱々とした空気そのものを表しているように思えた。
この泥仕合をそもそも始めたお偉いさん方は、映画の兵士達を観て何を考えるのだろう。

<2010/3/6鑑賞>

浮遊きびなご