劇場公開日 2008年10月4日

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「宮廷画家ゴヤは、しっかりと見たった。」宮廷画家ゴヤは見た いきいきさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0宮廷画家ゴヤは、しっかりと見たった。

2008年10月5日

泣ける

悲しい


 ナタリー・ポートマンの脱皮しようとする女優魂を観よ。

 18世紀末のスペイン。
 国王カルロス4世の宮廷画家に任命された
 フランシスコ・デ・ゴヤ(ステラン・スカルスガルド)。
 最高の地位の画家でありながら、常に人間の真実を見つめ、
 現実の社会と向き合い、権力を批判し、
 社会風刺に富んだ作品も精力的に制作していた。
 2枚の肖像画に取り掛かっていた、1792年。
 1人は裕福な商人の娘で純真な魅力に溢れていて、
 天使のような少女イネス(ナタリー・ポートマン)。
 もう1人はロレンソ神父(ハビエル・バルデム)という
 異端審問を強硬する威厳に満ちた男。
 ロレンソの提案でカトリック教会では、異端審問の強化が図られ、
 ある日、イネスは居酒屋で豚肉を嫌ったことから
 ユダヤ教徒であるというあらぬ疑いをかけられ、
 審問所への出頭を命じられてしまう。

“カッコーの巣の上で”や“アマデウス”の巨匠ミロス・フォアマン監督が、
 スペインが経験した激動の時代を背景にし、
 そんな時代でも逞しく生き続けようとする人間の力強さと、
 権力に執着することの愚かさを、
 純真無垢な少女イネスと、
 威厳に満ちた神父ロレンソが辿る数奇な運命を、
 2人の肖像画を手掛ける天才画家ゴヤの目を通して、非人道的であり、
 非寛容な異端審問が惹き起こした、一つの悲劇を繊細に、
 そして重厚に描いた物語。

“カッコーの巣の上で”や“アマデウス”のような素晴らしい作品を、
 傑作を期待してしまうと、期待が大きいと、
 ちょっとその期待には答えてくれていないかな。

 スペインでの公開から2年近く、
 アメリカでの公開から1年以上遅れての日本公開。
 それはどういうことなんでしょう。
 興行的に日本での公開は単館系でも厳しいと思われていたのか、
 もしかしたらハビエル・バルデムがアカデミー賞を獲っていなかったら、
 公開はなかったのか。
 アカデミー賞を獲ったので買い付けて、作品的に公開は秋ぐらいだろう、
 ということなのか。などと、考えてしまう。

 衣装や街の雰囲気などは詳しくは分かりませんけど、
 おそらく申し分ない出来でしょう。
 ロレンソ神父を演じるハビエル・バルデムも、
 イネスを演じるナタリー・ポートマンも、
 ゴヤを演じるステラン・スカルスガルドも、
 素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれています。

 特にナタリー・ポートマンは可愛いだけでなく、
 元々演技派だとは思いますけど、更に脱皮しよう、
 脱皮しようというのが、ヒシヒシと伝わってくる。
“モンスター”のシャーリーズ・セロンのような、
“オアシス”のムン・ソリのような、
 というとちょっと言いすぎかもしれないが、汚れ役も、
 はっきりと見えてはいないけど、肌を見せることもいとわない。
 2役というか、もう変わりようは3役というか、汚れっぷりも、
 変貌振りもよく分かりますし、のめり込み具合を感じさせて、
 よかったと思いますが、
 逆にそこに違和感を感じる人もいるかもしれない。
 はっきりと見せないのも、中途半端と感じる人もいるかもしれない。
 そんなことないかな。

 イネスは拷問を受け自白してしまう。
“24”を観ているとジャックは正義のために拷問をしまくりで、
 笑ってしまうほどであるが、当時のスペインだけでなく、
 今もどこかで行われていると思うと恐ろしくなる。
 1度でも、嘘でも自白してしまうと、更に厳しい環境に放り込まれ、
 見るからに変わり果てた姿になってしまう。
 イネスの父親やゴヤにイネスを救うように頼まれ、
 それを受け入れる過程が拷問の愚かさを、
 ロレンソの情けなさをよく表している。

 原題は Goya's Ghosts だけど、実際は幽霊、幻というよりも、
 激動の時代のスペインの裏と表という感じで、
 宮廷画家ゴヤは見た という邦題で、家政婦を、
 市原悦子を思い出してしまうようではあるが、
 確かにしっかりと見ていたのかもしれないが、
 勝手に宮廷画家としてのゴヤが、彼の目を通して描き、
 彼の絵画が物語の中で、もっと大きな役割を果たすと、
 何か仕掛けがあると思ってしまっていたのも、
 期待外れという印象を持ってしまった要因か。
 もうこれは勝手な思い込みで僕が悪いのです。
 でも、そんな変な見方をしなければ、
 激しく移り変わるスペインに於いても、ゴヤの目は常に中立で、
 安心して観ていられると思います。

 一番不思議なのはロレンソの描き方で、
 肖像画を描くときに小者振りの表現が面白く、小者で、小悪党で、
 どこまでも狡猾だった男が、情けなくて、卑劣だった男が、
 日和見主義的だったロレンソが、どうしてあのような選択をしたのか、
 ハビエル・バルデムはしっかりと魅せてくれますが、納得できなかった。
 諦めなのか、意地なのか、信念なのか、何なのかが分からなかった。
 ゴヤが称していたように、天使のようなイネスとの対比として
 ロレンソの滑稽な人間は面白かったのですがね。

 上映時間は2時間もない作品なのに、長さを感じてしまう。
 しかし、描きたいことは描ききれてないのではないか。
 コンパクトに纏めすぎたのではないか。
 それこそアマデウスのディレクターズ・カット版ぐらいの長さが
 あってもよかったのではないか。
 一気に時間を飛ばしちゃうことで、
 じっくりと描かないことで長さを感じてしまい、
 上映時間がもう少し長い方が、長さを感じなかったのではないかと、
 変な感想を持ってしまっていた。
 その時間を、描かれなかった時間を、
 ナタリー・ポートマンの演技力で埋めようとし、
 それだけの時間が流れても、ただただ一途に信じ続け、
 愛と呼んでいいのかは疑問もあるし、不条理な感じも受けてしまうが、
 後半は堪らない展開で、2人のナタリー・ポートマンの表情の違いに、
 愛を求め続けるイネスという女性に、ラストの行動に、
 少しはグッとくるモノはあることは、あったんですけどね。

 それから、“それは、立ち入り禁止の、愛。”というコピーには、
 アホか、と言っておきます。

 ナタリー・ポートマンのファンとしてはそれなりに満足はしています。

いきいき