ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポのレビュー・感想・評価
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水が低きについて流れるように体がだるくなるような素直さ
しかし、この大谷という男のぐーたら亭主ぶりときたら、本当になぐってやりたくなるのです。
浅野忠信が本当にむかつく男と脳裏に焼きつくということは、かなりの名演技です。
なぜか、どことなく、ビートたけしが演じる役柄とダブって見えます。
たけしは、セリフが下手だけど浅野はうまい。そこは違うけど。
また佐知という女も天然ボケなのではないかと思えるほど、鈍感というか、なんというのか、健気に尽くしすぎます。
もうありえない我慢強さ?
この佐知の
水が低きについて流れるように体がだるくなるような素直さ
と
大谷の
どうしようもないが、手は上げないグータラ
が、表裏を逆になったジグソーパズルのピースのように
合うのか合わないのか非常に微妙なような・・・・・
でも、この組み合わせでなければ、そもそも、夫婦じゃないだろう・・・・・
周りを固める役者もさすがです。どこもけなすところはありません。
しいて言えば、
妻夫木聡:岡田 は、「そこは普通攻めだろう?おまえは日本代表のフォワードかよ」と思ったところくらいです。
ただし、グータラ嫌いの人にはお勧めできません。
このストーリーは全編、浅野忠信:大谷 に苛立つことになります。
浅野さん、はまってます。
だめだめな夫の浅野忠信、はまってました。太宰治原作ならではの、何となく不可解な部分も、松たか子等実力派の演技で雰囲気のある物に仕上がってたと思います。
したたかな女の描き方は、いかにも男性目線だなーとも思いました。
女性の、しなやかな「したたかさ」
これはもう、松たか子さんが素晴らしい!の一言につきます。
松さん演じる、妻のサチ。
一見おとなしそうで、出来の良い妻ではありますが、
「したたかだよなーーー」(あくまで良い意味で、です)と思う点も多々。
大谷との出会いのエピソードにしても、
金を取り返しに来た酒屋の夫婦の話に思わず笑ってしまうところにしても、
さらには、借金の代わりにその店で勝手に働き出し、
すっかり人気者になってしまうところにしても。
でも、そうゆうしたたかさがなければ、
ただ夫の横暴をガマンしている、不憫で哀れな女になってしまうはず。
かといってやりすぎれば、ただのはすっぱな女になってしまう、、、
その辺りの微妙なさじ加減を、さらりとカラリと、
「はからずもしたたか」な女を演じています。
ふと、以前、たしか『有頂天ホテル』のときに、
監督の三谷幸喜さんが、
松さんについての感想をこんな風に言っていたのを思い出しました。
いわく、
「松したたか子」…
そんな、たぶん「ナチュラルしたたか」が生きていたのでしょう(これも、良い意味で)。
[ヴィヨンの妻.桜桃とタンポポ]
映画初主演(意外)にして、どこを切っても松たか子の魅力一色の、徹底大礼賛映画。
[ヤッターマン][空気人形][愛のむき出し]など、このところ男優不要の女優メイン映画の流れが目立つ。ヴィヨンの妻も明らかにその一本だが、根岸吉太郎監督は、是枝監督などと比べ、よりオーソドックスな出自(撮影所出身)であり、また作品が生誕百周年を迎える太宰治の原作であるため、ひたすら主人公の女性佐知のけなげな姿だけを描けばよいというわけには行かず、小説家大谷(浅野忠信)と愛人の秋子(広末涼子)の心中未遂には大なスペースを割かねばならないため、奇妙にウェイトの歪んだ映画となっている。
佐知が借金のカタで勝手に転がり込む闇酒屋夫婦(伊武雅刀&室井繁-どちらも芸達者)の店も、お客たちもみな静かな善人たちであって、時代背景である敗戦直後のギスギスした殺伐さはかけらもない、非リアリズムでパラダイスな酒場(種田陽平.矢内京子の美術、黒澤和子の衣装デザインなど、スタッフの仕事は言うまでもなく秀逸)。泥棒になった亭主の罪を減じてもらうため、今や弁護士に成り上がった初恋の男(堤真一)に抱かれて来ても、佐知は不潔さも淫靡さもまるで身に染みない。きっと作中の世界そのものが、アル中作家が譫妄状態で紡ぎだした、自らを慰撫するための幻想なのだろう。そもそも佐知が酒場で働き出した時点で、この男は地上に存在する理由を失っているのだから...。
とはいえ松たか子の何事もスパッと割り切って生きて行く、いかにも江戸っ娘的な潔さ、きびきびとした立ち居振る舞いの魅力と、日本映画の衰えぬセット芸術の素晴らしさを見ているだけで、充分元は取れる映画ではある。
私、お金になるんですね
映画「ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~」(根岸吉太郎監督)から。
[原作]太宰治とあって、ちょっと迷ったが、(汗)
大好きな「松たか子さん、広末涼子さん」の共演とあって、
1度にふたりが観れるなんて最高・・とミーハー感覚で観てしまった。
気になる一言は、物語とはあまり関係ない、単なるつぶやき。
夫の借金を返すために小料理・椿屋で働き始めた佐知(松たか子役)は、
あっという間にお店の人気者になり、チップを大勢にいただく。
(たぶん、私でもチップをやりたくなるな、きっと(笑))
2歳になる子どもの病気治療代もない貧しい暮らしと比べたら、
その世界は、驚きの世界だったに違いない。
あまりのチップの多さに、思わず口にした台詞が
「私、お金になるんですね」
実は、この台詞、原作は短編ということもあって、
読み直してみたが掲載されていないが、妙に、耳に残った。
以前、働いた経験があるような人物設定だったが、
人の役に立って、お金がもらえて、人気者になった彼女の台詞は、
「労働の意義」を表しているようにも感じる。
この世の中に、自分の存在感を意識したシーンだった気がする。
出番は少なかったが、広末涼子さんの演技にも、魅了された。
「おくりびと」の妻役から、ひと回り大きくなった彼女。
これからの活躍が、目に浮かぶようだ。楽しみである。
丁寧な仕事振りに驚嘆! 秋にぴったりの味わい深い映画
松たか子ってこんな色っぽい女優さんだったけか。
映画を観ながら、そんな感想を抱いてしまった。
豊かな表情、抑制の利いた動作、落ち着きのある色気——
本作の彼女はとにかく魅力的。主役として映画をぐいぐい引っ張る。
浅野忠信も相変わらず良いですね!
彼が演じる作家は卑怯で卑屈で甲斐性なし。
周囲の人を自然と不幸に引きずり込む超ネガティブ男だ。映画に登場する女性達がどうしてこんな男についていくのか僕にはよく分からんが、何だか放っておけない魅力が、確かにある。
演技だけでなく、この映画はあらゆる部分が一級だ。
過剰な説明を避け、一瞬の表情・動作・構図で人物の関係性や思考を観客に「読ませる」余地を残した巧みな見せ方。
店内の照明の暖かみや、月明かりの艶やかさ。
戦後の街並みや人々を再現する美術の数々。
1カット1カットに至るまで抜かりがない。
そのくせ、演出はあくまでさりげない。
凄い。まさしく熟練の技だ。
高架下で、夫婦2人で桜桃を食うシーンが好き。
ごみごみとした街角が、2人きりの空間に変わる瞬間が美しい。
ベテラン監督の丁寧な仕事に唸らされる一品。
秋はこういう味のある映画が似合います。
ややこしい男・・・
太宰治作品のエッセンスを忠実に映画にしているように思う。
全く理解できない訳じゃないけれど、なんてややこしい男なんだろう大谷・・・。
自分は浮気しまくりの癖に、妻の浮気は考えるだけで耐えられない・・・。
裕福な家に生まれ、恵まれた環境にいることが「恥」になるなんて、わからない。
普通に幸せを享受すればいいのに。なんて屈折した性格なんだか!
でも、女はやっぱり、こんな謎めいた(謎すぎる!!)男に惹かれると、離れられなくなるものなのかなぁ。
ま、私は絶対こんな男いやですけど!!!!
映画自体は、よかったです。
心ある時代。
第33回モントリオール世界映画祭で監督賞を受賞。
となれば期待が高まり、皆さん観に行くんだろうな~と^^;
やはり館内は混んでいた。
特に太宰ファンでもない自分は、こういう男イヤだな(爆)
としか思えないのだが^^;でもこういう男にはこういう女が
しっかりと!付いて、支えてくれるものでもある。
夫婦って面白いと、時代的に人間の心が豊かだったと、
そういった風情を大いに楽しめる作品だったと思う。
役者たちは皆、粒揃いで芸達者。
なので彼らを観ている分にはとても安心感があったが、
この根岸吉太郎はそれぞれの女性の撮り方が巧い。
とりわけ驚いたのがヒロインを抜いて広末涼子の演技。
何に出ても浮きまくり(爆)どこまでやっても少女っぽさが
抜けない上、なぜか落ち着いた淑女役の多い彼女だが、
今回の愛人役は「アタリ」だな、と感じた。悪役昇華。。
松が演じる妻とは対照的な性格となるが、どちらも巧くて
さらには室井滋なども絡んできて、とても観応えがあった。
この才能ある大谷という作家バカ(すいません^^;)や
口先だけのエロ弁護士(堤真一)や、良く分からない工員
(妻夫木聡)らに慕われまくる、大谷の妻なのだが、
どこかあっけらかんとして女を感じさせる艶っぽさがある。
情けない男たちは、こういう女を好きになるのだろうし、
女も男を支えることが喜びなのだから相思相愛となる。
誰が何を言おうとも。の世界なのだ^^;
全体的に落ち着いたトーンの懐かしさが味わえる作品。
(今では赦しも癒しも得られぬ男女の世界。いざ昭和へ?)
物悲しい
原作未読
役者がよかった。
映画全体のなんともいえない空気感を体現する大谷の存在と、強くて、しかしは儚くてもろいさちの献身的な行動と笑顔。
つばきやの二人の普通な優しさ。
器用な不器用さを表すには浅野以外に大谷は考えられないと観た後思った
非常に物悲しい気分になった
madrigal of decadance
原作は未読です。
キャストはさりげなくかなりの豪華勢を起用しています。
そのさりげなさが好きです。
だけどなんだか、本で読んだほうが良いのではないかと思える作品でした。
廃退的なモラルを掲げる主人公の大谷(浅野忠信)。
彼の退廃的な空気がこの映画全体を包み込んでいます。
デカダンな空気感。
暗い。
けれど美しい。そして儚い。
多分これは活字で、言葉の流れで物語られたほうが良いんではないのだろうかと思いました。
原作も読んでみようと思いました。
わかったようなわからないような。
非常に文学的な作品。
であるが故に、文学に収めといたほうが良いのではないだろうか? と。
女優陣が素晴らしい
とにかくキャスティングがいい。無駄がない。中でも女優陣が素晴らしい。室井滋(椿屋の女将)は戦後のどさくさを逞しく生きる女に見えるし、広末涼子は昭和20年代の女優を連想させる。松たか子は、持ち前の明るさを発揮しつつ、弁護士の辻(堤真一)を訪ねた際には、口紅一本と階段を下りる遠目の姿だけで何があったのかを連想させる。
破滅の道を進むネガティブな男に対し、妻は単にポジティブなだけでなく、愛する男のためには開き直った強さを併せ持つ。まさに女の作品だが、タイトルが欲張り過ぎ。「ヴィヨンの妻」だけでいいではないか。インパクトがある。
終戦直後の居酒屋周りの街の風情がよく出ていた。エキストラの服装や壁に貼られたビラ1枚にまで気が配られている。列車の中の雰囲気もよく出ていた。
佐知の最後の台詞「生きてればいいのよ」が印象的。
地味な作品だが、カメラと音響設計がうまい。
素晴らしく文学的
とても知的な大人の映画でした。文学作品らしい様々な暗喩的行為が出てきます。原作は読んでおりますがこのような描写はなく、映画独自のものだと思います。それらの行為の意味を一々考えるのも楽しいでしょう。
まず画面の絵が素晴らしく美しいです。ありがちなストーリーですが、センスの良い絵でグッと映画に引き込まれます。
妻・さちが夫にささげる献身的な愛が見どころです。
ささげる相手である夫・大谷が妻に愛を感じていないことは無く、一等上等な愛を抱いているようです。
大谷は様々な女性で自らの寂しさを紛らわせていても、劇中、妻に「私が知らないことがたくさんあるのね」となじられた時「あなたが知らない私など、どうでもいい部分なのです」と言い、妻に見せている面が一番重要だと考えていて、他の女性たちとは一線を引いています。
生活面でお金を渡さない夫であったり、妻に着物をあつらえない大谷ですが、
他の場では大盤振る舞いをよくしています。
金の使い方が間違っているのではないか、と疑問に思うところですが、おそらく俗なものを妻に触れさせないようにしたかったのでは?と想像します。
妻に神聖や純真を感じていることと「大事にしているつもりなんだけどな」という台詞から合わせて考えると、かなり独特に大切にしているのではないでしょうか。
自分の一番大切なものを変えないように大切にしていきたいと思っていても、妻は自分を思うがために穢れていってしまう。
妻に神性を見た夫は自分のために妻をただの女に引き下ろしてしまったのです。
夫婦をめぐる恋模様は発展していきますが、二人の間に絶対的な愛があるせいかドロドロせずまるで純愛映画のように見れます。さらっとした見心地でした
しかし、文学的な描写にこだわりすぎて、
「分かる人が見なければ意味がわからない」という映画になっていると思います。
そこが私は好きなのですが・・・
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