ディア・ドクターのレビュー・感想・評価
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嘘か誠か
村では、その医者がいるだけでみんなが救われていた。
誰もがその先生のおかげでと感謝していた。
若い研修生もその先生が活躍する姿に魅了されていた。
けど、その先生には、医師免許が無かった。
誰もがそんな事を気づかない程にみんなの中には、確実に存在していた。
自分が村を救おうと思っていても、そこまでなれるのか?
この先生は、慕わればするほどに自分の行為が許されるのか?
どうしたらいいのか?
後に引けなくなってしまったという葛藤と誰かを救いたいという気持ちの中でもがいているのではないか。
最後の逃げ出す所は、自分の力では救う事が出来ない。早く本当に医師に見せてくれ!というメッセージだったんだと思う。
生きる事がこれほどまでに辛い事はないと思う。
これほどまでに綺麗な嘘もないと思う。
気持ちが前に向けても正しい事ではない。
誰かの救いは、最後のシーンに集約されていたな。
じわりと来る
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ある過疎の村の唯一の医者の鶴瓶は村人の尊敬を一身に受けていた。
そんな折にエイタがインターンでやって来る。
しかし実は鶴瓶はモグリであり、やがて警察の捜査の手が伸びる。
患者の八千草は胃ガンだったが、娘に知らせないよう鶴瓶に頼んでいた。
医者である娘は心配になり、鶴瓶の元を訪れて直接状態を聞く。
鶴瓶は我慢できなくなり、この娘に全てを伝えて突然去る。
結局八千草は説得に応じて都会に出て、娘の病院に入院。
そんな折に飲み物の配給に来たおっさんが鶴瓶だった(場)
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典型的な徘徊型の映画で、ストーリーは上記だけ。
正直おれに、こういう正統派の、映画らしい映画を見る目はない。
なので何が良くて何が悪いとかは論じれないが、何か良かった。
まあ人間味あふれる鶴瓶のキャラクターが良かったからかな。
でもやっぱり意味がわからんところは多かった。
そもそも鶴瓶は何のためにモグリの医者をしていたのか?
まあ生活のためってのはあるやろうし、
最初は過疎の村でならバレないと思って始めたってのもあるだろう。
自分はそんなええもんやないってエイタに言ったシーンもあった。
でも親身になって患者の立場で診察する姿勢が尊敬されていたし、
誰からも愛されるキャラクターであったのは事実。
バレないために常日頃からそういう演技を欠かさなかっただけ?
それとも本質的に善人だったのか?そのあたりはわからない。
まあ最後のシーンを見る限り、後者だったって事やろうけど。
それから刑事の異常にLな態度も意味がわからない。
とは言え、その刑事も悪い人間ではないから、
鶴瓶と対極のキャラクターとして存在したわけでもない。
うーん、やっぱり良くわからない。
もし時間がない時に見てたら、イライラしただけやったかも知れない。
まあ所詮おれの見る目なんてそんなもんやけどね(場)
あと八千草薫が幾つになっても上品で素晴らしい。
アホな嫁は八千代千草とか言ってたけど。誰やねん(場)
資格…
人に先生と呼ばれる職業には資格がいる。医師、教師、弁護士など。この場合の資格はそれは法的なもの。その職業の本質である、受け手へのリスペクトこそ、本来持たなければならない資格でないか。それは資格というより資質というべきかも知れない。過疎地域での医療、自分の死に際など社会問題と共に色々考えさせられた。
住民達の嘘
ラストシーンがこの映画のレベルを一つ上げた。
主軸となるストーリーは、主演の笑福亭鶴瓶の嘘であるが、ラストシーンの八千草薫の笑顔で、過疎地住民の嘘が明るみになる。
鶴瓶の嘘が発覚し、掌を返す住民達に、世間の冷たさを感じ、後味の悪い終わり方をするのだと覚悟していたが、八千草薫の笑顔は、そんな住民達の本当の気持ちを代弁するようなもので、鶴瓶に対する愛情と感謝と信頼が見えた。
伏線は鶴瓶が瑛太に語った住民達への評価。
過疎地に満足している訳でなく、慣れて受け入れているだけだ、うる覚えだがそんな内容だったと思う。
過疎地に限らず、一般的に罪とされることをした人に対して、「それでもいい人だ」となかなか言えないし、言ったところで何も変わらないので、皆受け入れて空気を読んで罪人を非難する。
社会秩序として法律の遵守はもちろん大切なことであるが、人の人を思う気持ちは法律に縛られず、どこまでも自由だ、そんなささやかな気持ちを八千草の笑顔に感じた。
かと言って、すごく善人として鶴瓶が描かれている訳でもないというバランス感が、監督のセンスが卓越している点だと思う。
医療従事者の重責を思う
大胆さと脆さと優しさを併せ持つ医師伊野を笑福亭鶴瓶さんが好演。
しなやかに生きる研修医相馬を瑛太さんが爽やかに好演。伊野や村長(笹野高史さん)との軽妙なやり取りが微笑ましい。
一人暮らしのかづ子を八千草薫さんが柔らかな魅力で演じる。
前述の笹野高史さん、看護師を演じた余貴美子さん、波多野刑事を演じた松重豊さんの味わい深い演技もいい。
多くの知識を必要とし、生身の人間を相手にする医療従事者の方々が日々背負われている重責と、医師による診断が最善だと信じ、治療を受ける患者の立場の弱さと不安定さを改めて感じさせられた作品でした。
患者の気持ちに寄り添った診療を望むが、無資格での医療行為は論外、かと。。
映画館での鑑賞
肩書き
国家資格がないとしてはいけない仕事があるのは分かりますし、伊野が嘘をついていた事は良くありません。だけど伊野は、本当に人を助けたかったのだと思います。作品は現代の医療や過疎化という社会問題ばかりではなく、肩書きや経歴を重んじる社会の息苦しさも映している様に感じました。
人は信じたいと思うものしか信じない。 そして騙されていたとしてもそ...
人は信じたいと思うものしか信じない。
そして騙されていたとしてもそれを真実だと思えば真実になり得る。
医師免許を持たない先生は、村人にとってはたしかに先生で、このまま逃げなければずっと先生でいられた。
でも、ニセモノであっても悪者ではなかった。
癌で余命が僅かかもしれない患者に、1年後に会いに来るという娘。
もうそのときでは遅いかもしれない。
癌だと知っているのは自分だけで、きっと本人から娘に伝わることはないのに。
どうしたらいいか必死に考えただろう。
逃げるいい機会だと思ったのもあるだろうけれど、そのまま黙っていれば先生でい続けられたのに、そうしなかった。
先生がいなくなったあと、村人たちは手のひらを返して好き勝手に悪し様に言ったけど、
村にとっては先生が本物であるかどうかは大した問題ではなかったんだと思う。
拠り所があること、先生という存在が村にいることが大切なことだった。
俺はニセモノだと言う声が、きちんと届かずに消えていくとき、絶望的な気持ちになっただろうなあ。
こんなはずじゃなかったのに、と思っただろう。
自分でしてきたこととは言え、集団で神様を作り上げられて、外堀を埋められて、身動きが取れなくなって、先生をしてきた、それが一番の悪だというのなら、
村人も、違和感を持ちながらもそのままにしていた人間も、みんながみんな嘘つきで悪だ。
罪か否かと問われれば罪だけれど
前に観たような…でも結末が思い出せなくて。
父親が医師であったけれど、自分は医師免許も持たずに過疎化している小さな村で診療所を営む鶴瓶さん。
いい加減さもあるけれど、村人の事を心配しているのは本当。
自分も小さな町の診療所で働き、先生を見ていたから余計に思う。
医者、特に町医者なんて軽い気持ちでなれない。
代わってくれる人もいなくて。24時間365日、誰か何かしら起きていて。本当に心休まる時なんてあるだろうかと。
それをやってのけた鶴瓶さん。
医師免許を持っておらず、医科大学に行ったわけではない人に診てもらい、薬を処方されるなんて実際に考えたら恐ろしいことだけれど。
でも、お父さんのペンライトを盗ってしまったと電話する姿。きっとお父さんが素晴らしく、その後ろ姿を追っていたんだろうな。
バレて逃げた最後のシーン。
八千草さんが入院している病院に配膳係として再登場。
こんな状況でも最期までちゃんと見守りたいという想い。
こんな人が自分の主治医であって欲しいと思う。
かなり期待して見てきた。 「ゆれる」ほど人間の心理状態を描き切って...
かなり期待して見てきた。
「ゆれる」ほど人間の心理状態を描き切っていない気がした。
村唯一の診療所で、誰よりも尊敬される医者を演じるということはどういうことか。
・どうして医者になったのか。
・看護婦と薬屋はどこまで関わっているのか。知っているのか。
・失踪した真相。
その辺りをはっきりさせるか、想像させるようなことをしないと、医者の心理の変化の描写が生きてこない。
"偽"であっても、"贋"だけなのかな…?
"贋物やねん"と"足りないことに慣れてる"って台詞二つ、最後の見せた"新しい嘘"で、この映画は完璧だった。鶴瓶さんと瑛太さん、余さんと香川さんの"重ねる芝居"もジワジワ来て、隣の親と見終わったあと色々語ってしまった。
すっごく静かな映画なのに、宿す力はとにかく強くて、曖昧さと良い後味がここ(心)に残って混乱してる。
"日本映画"を見たい方は、是非一回見てほしい。"理想の日本映画"ですから。
愛ある嘘つき
小さな村神和田村にある唯一の診療所の医師伊野治が失踪する。伊野は色々な治療を一手に引き受け人柄も大らかで村人から慕われていた。ある日鳥飼かづこという未亡人を診療することになり、伊野が隠していた嘘が浮かびあがることになる。
鶴瓶のお茶目な人柄と今回の役柄がとてもマッチしていて、嘘の医師を演じていたにもかかわらずそれを許さずにはいられない心情になる回りの人のことも理解できた。
最後にまた病院に現れる彼らしさがまたよかった。
ポータブルDVDにゆる地下鉄内レビュー
失踪した 医者・鶴瓶を巡って、
【 現在という時制 】 においては、第3者による評価を元にして
【 間接的人物像 】 を。
【 少し前の時制 】 では、医療に従事する姿を直接目撃することで
【 主観的人物像 】 を。
それぞれ、2つの時制 によって提示される、この 2つの人物像 を
足掛かりにして、今作に発生していく
【 失踪の謎 】 と 【 診断の謎 】 。
この 2つの 「謎」 を 推理する楽しさに満ちた鑑賞となりました。
また、
「問題提起」 は、する。
↓
でも、「暗い」 まま終わらせない。
↓
しかし、「問題解決」 は、しない。
というユルイ立ち居地が、何故かしら心地良く感じた。
そんな不思議な映画でした。
無医村に赴任していた医者が姿を消し、彼に医療を支えられていた村人達や、行方を捜索する刑事、そして、共にこの村の医療に携わっていた看護士と研修医が彼を探すところから物語は始まります。
姿を消すことになる医者を 笑福亭鶴瓶 が
“人間味溢れる” 部分を基調にして、
姿を消すことになる
“謎” の部分を醸し出しながら
演じていきます。
ベテランの看護士は余貴美子。 アカデミー外国語映画賞を受賞した 「おくりびと」 で演じた役柄を思い出しました。
「おくりびと」 では、主人公の モックン と、葬儀社の社長 山崎務 の2世代間を繋いでいく役どころでしたが、今作においても、 鶴瓶 演じる姿を消す医者と、都会的な匂いを発散させながら登場する若き研修医との、
2世代間の隙間を埋めていく役どころ
になるのか注意していきたいと思ったのです。
で、研修医は赤いスポーツカーに乗って 瑛太 がやって来たのです。
この医療スタッフに、村人達。そして、行方を捜索する刑事達を織り交ぜながらストーリーは展開していきます。 映画が進んでいく中で鑑賞者は、
【 現在の時制 】 において、 失踪した 医者・鶴瓶 に対する、
第3者からの証言を元に、医者・鶴瓶 という人間の
【 間接的人物像 】 を形作り、
【 少し前の時制 】 では、 看護士、研修医と共に農村医療に
従事していく姿を直接目撃しながら、医者・鶴瓶 の
【 主観的人物像 】 を創出していくのです。
そして、
【 2つの時制 】 の行き来で生成した、この 【 2つの人物像 】 を手掛かりにして、今作に発生していく 【 2つの謎 】 を追いかけることになるのです。
まずは、第1の謎 ”なぜ 医者・鶴瓶 は失踪してしまったのか?”
という 【 失踪の謎 】 に取り掛かる訳ですが、
【 少し前の時制 】 において、興味深いシークエンスがあったので、言及してみたいと思います。
老人の臨終の席において、延命機器を装着しようと提案する 医者・鶴瓶 に対して、
その措置を家人が辞退。
その後、明らかに、その老人の介護を押し付けられていたと思われる、地味で薄幸そうなお嫁さんの
怯えたような複雑な表情
を今作は捉えたきたのです。
これは、
「長寿」 という美辞のウラに存在する
「老人介護」 という問題 が
姿を見せた瞬間だったのです。
しかし、この場面で
「問題提起」 は、する。
↓
でも、「暗い」 まま終わらせない。
↓
しかし、「問題解決」 は、しない
という、今作を貫いている ユルイ立ち居地 を
発見したのです。
「老人介護」 という問題が提起された次の瞬間、臨終したと思われた老人の口から、喉に詰まったモノが出てきたことによって彼は蘇生をするのです。
コメディーのような展開に亞然としていたら、偶然による、しかし、神がかり的なこの成果に興奮した村人たちが 医者・鶴瓶 を讃えながらお祭り騒ぎをするという、これまたドタバタ喜劇のような展開を見せていったのです。
「老人介護」 という 「問題提起」 はする。
↓
でも、コメディー的な “蘇生” と、その後の “お祭り騒ぎ”
によって、このシーンを 「暗い」 いままには終わらせない。
↓
しかし、「老人介護」 という 「問題解決」 は、しない 。
このような、ユルイ立ち位置で、 「陰」 に曇りがちそうな流れを、半ば強引に 「陽」 に転換してきたのです。
この様子を興味深く見ていたら、この ユルイ立ち位置 が実は、開始早々から提示されていたことに気付いたのです。
「医師 失踪」 という 「問題提起」 があった。
↓
でも、医者・鶴瓶 の飄々としたキャラクターが語られたことで、
緩やかな気分を創出。
そのシーンを 「暗い」 ままには終わらせない。
↓
しかし、 気分は 「陽」 に転換しながらも、
「医師 失踪」という 「問題解決」 は、していない。
前述の 「老人介護問題」 の後の "お祭り騒ぎ” は、実に、こんな風合いのもと展開されていたのです。 その一方でストーリーは、鑑賞者に対して 医者・鶴瓶の
【 間接的人物像 】 を 【 現在の時制 】 において形作り、
【 主観的人物像 】 を 【 少し前の時制 】 で描かせていきます。
医者・鶴瓶 という人間を、このように多重的に表現してきたからには、
良好に築き上げてきた、彼の人間像が
一気に覆えされる 予感
を逆説的に持たざるを得なくなったのです。
と感じていたら、中盤以降、徐々にその 予見 が実現されることになるのです。
病院を転々としてきた事実。
父親の職業を偽っていた事実。
今は小さな事実が露呈されたに過ぎませんが、
【 間接的人物像 】 と 【 主観的人物像 】 という。
2つの側面 から語られてきた 医者・鶴瓶 の人物像が、
事実から
大きく乖離していく事 を
鈍く、確実に、実感 させてきたのです。
今作は、このような前フリを経て、いよいよ 医者・鶴瓶像 が崩壊する瞬間を迎えてたのです。
その表現が大変、素晴らしい。
今まで慣れ親しんできた、山村の風景から一転して、いきなり都会の高級マンションの外観が写し出されてきたのです。
カメラはゆっくりとズームインしていきます。
一部屋だけバルコニーに人がいて、そこにターゲットを定めているようです。
そして、その映像に電話の会話音がかぶさっていきます。
医者・鶴瓶 の行方を捜している刑事の声です。
どうやらこの部屋に 医者・鶴瓶 の母親が暮らしており、バルコニーで布団を取り込んでいるのが母親本人であることがわかります。
ズームインしていくうちに奥に、父親もいることもわかってきます。
電話の刑事は 失踪の件を伝え、情報を得ようとしますが、会話が母親とかみ合っていきません。
そのすれ違いは 鶴瓶 が医者であることの認識に集結してくるのです。
鶴瓶 が医者として働いていたことに驚きを隠せなく、思わず電話を切ってしまう母親。
その行為に、
全ての納得がいったのです。
制限文字数では語り切れず。完成版はこちら
↓
http(ダブルコロン)//ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-96.html
心配が、いちばん毒ですから
映画「ディア・ドクター」(西川美和監督)から。
「僻地医療を題材に描いたヒューマンドラマ」という紹介に
ちょっと疑問符をつけたいが、なかなか考えさせられる作品だった。
医師の資格を持たない主人公、伊野(鶴瓶さん)が、
多くの村人たちの診断をしていたが、その中のアドバイス。
「心配が、いちばん毒ですから」
この一言だけで、多くの人の心配を安心に変える力があるようだ。
さっきまで元気のない村民が、ちょっぴり元気になって帰っていく。
信頼されればされるほど、医師免許の持たない伊野は、
いつばれるか、と心配が募っているようだった。
もしかしたら、村民に掛けていた「心配が、いちばん毒ですから」は、
自分自身に向けて発していた台詞だったのかもしれない。
資格を持たないからこそ、本物の医師以上に勉強したりもする。
あの屈託のない笑顔の影に、大きな悩みが見え隠れするからこそ、
それを見破っている数少ない人たちが、彼を支えていた。
さて、どれくらいの人たちが、知っていたのだろうか、と観なおしたが、
村人はみんな知っていたようにも感じるし、
おかしいなぁ、と疑ってはいたが、みんな信じていたとも思えるし・・。
とにかく、ラストシーンでホッとさせられた。
笑福亭鶴瓶さん主役作品の中で、私はこれが一番好きかもしれない。
村人たちが作り上げた
伊野を本物の医者にしたかったのは村人たちだった
香川照之と余貴美子の演技と存在感、キャラクターの意味は抜群で、瑛太に物足りなさを感じるほど
なぜだか物語に入り込めずやや消化不良
伊野の胡散臭さに笑福亭鶴瓶はハマり役
胸が締め付けられるようなドキドキ
映画を見ている間中ずっと胸が締め付けられるような思いでした。
なんだろうと思っていたけど、映画が、ひとつも見逃すなと語りかけているようで画面で起こるひとつひとつにドキドキしていたからだと思います。
映像も、音楽もセリフも表情も無駄なものが一つなくて、久しぶりに映画に夢中で見入るという体験ができました。
ほんとにおもしろかったです。
私は、「ゆれる」があまり好きではなかったので、そんなに興味を持っていなかったのですが、見てよかったと思います。
つるべいさんのしょぼしょぼの目がいろんな感情を語って、八千草さんの仕草が母親だったり女だったり、いろんなことを表現して、ぞくぞくしました!
監督は天才だと思います!こんな映画を原作・脚本・監督すべてやるなんて神業です!
嘘つきはカリスマの始まり。
「蛇イチゴ」や「ゆれる」で家族の建前と本音を見事に描き、
人間の深層心理を暴きだすことに成功した?西川監督。
難しいことは何も言っていないのに、そう、そこなんだよね!
というところに手が届く描き方をする手腕は相変らずスゴイ。
今回の作品は、私的に「ゆれる」ほどの衝撃性はなかったが、
ジワジワと迫りくる病魔と真相解明がミステリー感覚ながら、
山村が妙なほのぼの感を生み出しているところが面白かった。
無医村は、確かに多いと思う。おそらくは、誰でもいいから
医師が欲しい!と待ち望む高齢者たちで溢れているだろう。
「病は気から」とはよく言ったもんで、話を聞いてくれる医者が
大人気なのは都会でも同じ。高度で高額な医療を施さないと
治せない病気は多いが、安価で安心できる医師が傍にいたら
それこそ「親愛なるお医者さま」と崇められるのは当然だろう。
さらに人間は、自分が必要とされるとなおさら、高みに乗じる。
「どうせ自分など」と思っていた人間ほど、その歓喜が危機に
変わるギリギリまで、その波に乗ってしまうものかもしれない。
無免許。無資格。が許されないことは私達も分かっている。
でも、じゃあなんで連日ニュースではそういうカリスマ?達が
世間の人気を独占しては逮捕されるまでを流してるんだろう。
考えてみたら、世の中なんて嘘つきだらけじゃないのか。
「嘘」が二分類されるのは、つく側とつかれた側の信頼関係と
必要性(金銭も)が問われるからで、そこで善悪が判断される。
「やさしい嘘」「ゆるせない嘘」「自分を守りたい一心でつく嘘」
「相手を守るためにつく嘘」など、判定は一筋縄ではいかない。
なんかダラダラと語ってしまったが…^^;
この人の作品を観ると、いつもそういうことを考えてしまうのだ。
じゃあ、自分はどうなんだろうかと。
今作では様々なタイプの人間が、様々な形でその医師を信頼し、
のちに警察が介入してくる場面では、またそれぞれの事をいう。
まったく人間ってやつは…(爆)と苦笑いしたくなる場面も多く、
とはいえ、これからの事を考えると、いいのか?このままで??
という気にさえなってくる。所詮、人間の生き死にに関わる者が、
すべて善人だなんてことはないし、家族とて様々な思惑を抱えて
いるものである。ご老体が生死を彷徨う場面では、申し訳ないが
その光景に笑ってしまった。とてもリアルな家族模様の悲喜交々。
(但し、表面的には平静)あぁ本当に、人間ってやつは。。。
だけど、何より愛おしいのも家族なんだよ、と監督は突きつける。
末期の病に苦しもうが、娘には迷惑をかけたくないと我慢する母。
最先端の医療が、何もできない癒し、に敗北を期す瞬間…だけど、
医師にも親はいるわけだ。いくら嘘をつき通してくれと言われても、
もうここまで。と思ったのだろう。あの決断はあれで正解かと思う。
どうにもこうにも手も足も出なくなれば、最後は「プロ」任せしかない。
どちらかというとその瞬間を、彼はずっと待っていたんだろう。
病は気から…でも、気だけで病を完治させることは出来ないのだ。
親愛なる所以は、その人の「一挙手一投足」が物語っている。
最強の神のはずがないのに「カリスマ」と呼ばれる所以と同じだ。
(緊急処置のシーンはかなりドキドキする。余貴美子、巧すぎ!)
西川監督の描く、やさしい国ニッポンとは
この映画の監督、西川美和さんは、
先ず脚本を作り、映画を作り、その後小説で
いろんなエピソードを作っていくそうです。
そんな監督が作った、この「ディア・ドクター」は
劇場予告を観て、勘のよい人ならだいたいのあらすじは
読めているかもしれません。
僻地の無医村で勤務するニセ医者伊野を笑福亭鶴瓶が演じます。
ごく普通の健康的な生活を送っている人々にはストレスなど無く、
いざとなったら医者がいるという安心感で充分なのでしょうが、
伊野医師は独特のあじの有る笑顔で、村人達の健康を献身的に
守っています。
そんな彼に惹かれ、若い研修医(瑛太)は
この村で働くなどと言い始めます。
「医は仁術」という意味がわかりかけた証拠なのでしょう。
いくつかの印象深いシーンがあります。
製薬会社の営業マンの香川照之が、松重演じる刑事に、
彼は何故医者になりすましたのかと聞かれると、
営業マンは考えこむ。すると、彼の座っていたイスが
突然ひっくり返えった。それを支える松重刑事。
礼も言わず営業マンは言う。何故いまイスを支えたのかと。
営業マンは続ける。彼はあなたと一緒の事をしただけですよ、と。
そんな彼が、村から出ていったのは、
八千草薫と井川遙演じる親子の情を慮ったから、
母の病状を心配した娘の思いを騙す訳にいかなくなったからだろう。
エゴとは無縁な伊野というニセ医者によって
本当の医療の意義が浮き彫りにされていく。
本物よ、頑張ってくれ!と言いたくなってきました。
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