「グーグリ!グーグリッ!死なせないで!」落下の王国 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
グーグリ!グーグリッ!死なせないで!
ベッドタイムストーリーズですね。
昔むかし、母が寝る前にしてくれたおとぎ話を思い出しましたよ。
寝る前ですから、あんまり興奮したり怖くなったりするのはよろしくないのですがね、なんせうちの母は高校で演劇部を立ち上げたほどの猛者です。声色も高らかに、ドラマチックに、時に手に汗握り、時にワクワクはやまず、もっともっと続きを聞きたい思いです。
寝物語は楽しい。
幸せな思いで、子供たちはいつしか眠りに落ちて行きました。
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毒薬=
「モルヒN3」を求めて病床で自暴自棄になっていた若者ロイ。
少女に語り聞かせる枕辺の物語は、地球を丸ごと舞台装置にした、勇壮壮大な絵巻物でした!
(そしてなんという贅沢でしょう、CGは一切無し。4年をロケに費やしておいて万里の長城シーンは僅か2秒という驚き)。
「叙事詩」といえば
・あの旧約聖書の「ノアの洪水物語」は、当地メソポタミアの英雄「ギルガメッシュ叙事詩」を起源とする民族の“生き残り”を詠った口伝でした。
・そしてあの有名な「千夜一夜物語」は、ササン朝ペルシアにて暴君シャフリヤールの殺意をなだめるために、側女(そばめ)シェヘラザードが“自らへの命乞い”のために、夜な夜なの”引き延ばし作戦“で語り綴ったもの。
物語には、人の生死が付き物なのです。
しかし、
本作「落下の王国」の英雄譚は、「千夜一夜物語」とは語られた動機が真逆です。
「千夜一夜物語」は語り手が なんとかして生き延びるために 繰り出された"助命嘆願”の構図なのですが、
青年ロイのお話は違います。最終的には語り部のロイ自身が「自らの死」を話の結末に望んでいる。死ぬ結果を求めている。自分が死ぬために、その結末に導くために、物語の筋書きが紡がれている。
自分の討ち死に=ジ・エンドを=ロイはこの一大叙事詩の成り行きの終結に待望しているのです・・
けれど
ハッと目が醒めてしまったロイ。
我に返るロイ。
「死なせないでー!!」。耳元での誰かの声で途切れる死のストーリー。
少女の叫びと泣きじゃっくりで、ロイの物語は頓挫。討ち死には失敗。めでたしめでたしなんです。
・・無垢な少女。お話に入り込んでしまったこの少女アレクサンドリアの、 ロイの耳元での涙の叫びで、ぎりぎり死の淵にあった若者は 悪夢のシナリオから呼び戻されたのでしたよね。
物語が好きだから映画の業界に入ってきたロイでした。そんな彼だったからこそ、もう一度物語の躍動の力によって、命の世界に引き戻してもらえたのだと思います。
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落下の王国
落下した“転落者”ロイがベッドで語った人生は、たくさんの脚色と物語性を盛られながら少女に伝えられていきます。
いつの日か、アレクサンドリアは今度は自分の子供や孫のためにその「ロイの物語」を語っていくのでしょう。
足を折った失意の若者と 腕を骨折した いたいけな少女が、退院を許されない病室の窓から浮遊し飛び出して、時空を超えた夢の世界に出掛けて行ったのです。
◆語る者が生きている限りに物語は続くのであり、
◆聞く者がそこにある限りストーリーは途切れない。
再生と再起を願う母たち、少女たちの声が霧の向こうから聞こえてきます、「死なないで」「生きて」「グーグリグーグリ」。
躓き、後悔。
転落、痛手。
打撲、骨折。
満身創痍で波乱万丈だった我々の人生も、こうして記憶の中から繰り出して思い出してみれば、どれもこれも様々な助けを受けながらの《生き延びてこれた私たちの胸躍る冒険物語》だったではありませんか? そして
《生き延びることを誰かから望んでもらえていた人生だった》ではありませんか?
目から、
なんだかなァ、水がいっぱい出ました。
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Blu-rayで鑑賞。
原語~吹替え~原語で3回です。
お気に入りの絵本は、その良さは、繰り返し読んで含めるとよくわかってきますね。まさに絵本のような映画でした。
ロイとエヴリンが王宮前で、向かい合わせでひざまずくポージングは、息を飲むほどに美しい。
そして特典映像の「石岡瑛子のインタビュー」を是非どうぞ。映画製作の片翼を背負い、衣装のデザインで映画の生き死にを担おうとする辣腕プロデューサーとしての石岡瑛子。その覚悟には圧倒されるから。
DVD高かったのですかー。
でも、欲しいものをゲットできたなら、ハッピーですよ!
東京都現代美術館の石岡瑛子展、観たかったですが、チケット売場の長蛇の列に諦めてしまいました。
最近は、美術にそれほど関心ない若者が、SNSでバズると押し寄せてくるので、油断できません…。