落下の王国のレビュー・感想・評価
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ターセムと石岡の意匠が最もよく機能しあった傑作
『ザ・セル』に比べて、本作はどこか優しく、「創造すること」の源泉に寄り添った一作だ。そこにはクリエイターとしてのターセムの内面が投影されているとみていい。「落ちる」という行為やベクトルには何が隠されているのか。本作はターセムの大きな失恋をきっかけに生まれたものと聞くが、それを映画黎明期におけるスタントマンのフィジカルな「落ちる」にまで広げていくイマジネーションに圧倒される。
物語内物語においてあれほど鮮烈な映像美を描き出そうとすれば、労力と手間暇だけでなく、もう一つの何か強烈で圧倒的な要素が必要となる。すなわち、この野心的な映像世界が成立するには石岡瑛子の衣装が不可欠だった。ターセム自身の力ではどうにもならない部分を、もう一つの「極」でもある石岡の意匠が引き立て、解き放ち、モノにしてくれたように思えてならない。その意味でも本作は二人のコンビネーションが最もよく機能した快作と言えるだろう。
これも映画讃歌の一本
<映画のことば>
汝、落下を畏れるなかれ。
この美しき世界を仰ぎ見よ。
スタントマンであれば、ある意味「落下する」のは、当たり前ということで。
その点から『落下の王国』(原題はザ・フォール)とする本作の題名は、言い得て妙といったところだと思います。
乗り物や急な崖などから「落ちて、落ちて、落ちまくる」というのが、いわば「スタント」そのものというわけですから。
そのスタントマンのロイが、スタントに失敗して怪我をしてしまったのは、恋人(映画女優)に去られてしまったことで、その失意(文字どおりの「落ち込み」)の中で、鉄橋から飛び降りて走っている馬に乗り移るというスタントに失敗してしまったからの様子です。
(作中に、そんな会話があったようですし、実際、彼女は、今の彼氏の車で病院にまで来ているものの、下車しようとしていない。)
彼の自殺願望は、そんなところに胚胎していたようです。
しかし他面、自殺願望にすっかり憑依(ひょうい)されてしまっていると言いつつも。
一面では、ロイは、スタントマンとしての矜持は、捨ててはいなかったのではないかと、評論子には思えてなりません。
退院後のアレクサンドリアのお母さんの言によると、ロイは、その後も新作に、スタントマンとして出演し続けていたような様子でしたから。
勝手な思い込みかもは知れないのですけれども。
少なくとも…そう信じたいところです。評論子は。
アクション系の映画の製作には欠かすことのできなかったスタントマンにスポットを当てた一本として、これも映画に対する愛があふれる「映画讃歌」の一本として。
そして、ロイの作り話も、アレキサンドリアの切実な想いで変えられたように、最後の最後で「生きることへの希望」「生きようとすることへの渇望」が鮮やかに描かれていた点では、「素晴らしい」とも言えたと思います。
秀作であったと思います。
評論子は。
(追記)
作品の冒頭、ロイと会話するアレクサンドリアとロイの目に、ドアの鍵穴を通して、戸外にいる馬の映像が逆さまに壁に投影されます。
おおよそ100年前に、ルミエール兄弟が水を満たしたフラスコをレンズ代わりに初めて映画を投影したことへのオマージュというほどの製作意図だったのではないかと思います。
そんなところにも、本作の「映画讃歌」としてのパーツが埋め込まれていたのではないかと思える一本でもあったことを、申し添えておきたいと思います。
Fall…Fall…Fall
半身付随となった若きスタントマンのロイ( リー・ペイス )と、好奇心旺盛な少女アレクサンドリア( カティンカ・アンタルー )との交流を軸とした、独創的な映像が印象的な作品。
カティンカ・アンタルーの表情、仕草がなんとも言えず愛らしく、二人が交わす会話から物語の中へと移行する流れが秀逸。
象が海を泳ぐ姿を下から映した映像が余りに美しい 🐘
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (字幕)
一人のスタントマンと、一人の少女が出会う、ちょっとした奇跡もしくは。
入院中の少女、アレクサンドリアと半身不随の宣告で自暴自棄になっているスタントマンのロイの物語。というか、リアルの二人の関わりとともに、ロイがアレクサンドリアに語る壮大な叙事詩も描かれていく。アレクサンドリアはロイにお話の続きを求めていて、ロイはその気持ちを利用するのがなかなかえぐい。ロイは病んでいるしそれを責めても仕方ないのだけど、アレクサンドリアが無防備であればあるほど、観る側としては胸が傷む。なんてことしてくれるんだと。
とはいえ、作品が描く世界は素晴らしいの一言。作中作と現実が絡み合い、ロイの抱える苦しみや葛藤、アレクサンドリアの純粋さ、健気が伝わってくるし、感情の揺れ動きがロイの作る叙事詩の結末を動かしてゆく。その展開に引き込まれてしまう。
アレクサンドリアが観た、あれはロイなのだろうか。ニューシネマパラダイスを思い起こすあのシーン。アレクサンドリアにとってはあれは全てロイで、オレンジに入れ歯を突っ込んで埋めると歯の生えたオレンジが育つ事を夢見る子どもらしい、信じる気持ちの現れなのかもしれない。でも、現実はどうかということはこの作品にとって重要ではないのだろう。ロイとアレクサンドリアはきっと笑顔で別れたはずだ。ありがとうと、別れ際に彼はきっと伝えたことだろう。彼が癒やされたことを救われたことをアレクサンドリアはまるで気づいてないしずっと気づくことはないだろう。そういうことってあるよね?
ミッションインポッシブる
偶然Twitterで注意喚起に遭遇し、運よくBS松竹東急でのオンエアを捕獲できました。
少し前に他のチャンネルで録り損ねてたので当分観られないものと諦めてました。
発信してくれた方に御礼申し上げます。
原題はThe Fallなので「〜の王国」は日本版のタイトルなんですね。SFか異世界ファンタジーかと想像してしましましたが、どちらかというとおとぎ話。最後まで観ると納得できる邦題ではありました。単に「落下」だとスリラーっぽく聞こえるし。。
心に深い傷を負った青年が偶然知り合った少女と交流し、心を開いていく話…などと、あらすじだけ聞くと100%ダメそうな企画。なのに実際は序盤からぐいぐい引き込まれてしまいました。趣旨は「スイス・アーミーマン」とほぼ同じ、予算は何百倍だろうけど。。
脚本に「ナイトクローラー」の監督も参加していましたが、幹となるストーリーがありふれたものでも、マトモな枝葉がつくだけでこんなにも違うのか、と驚かされます。
こういう話だと子供のキャラ造形が重要な分かれ目だと思う。都合のいい女ならぬ、都合のいい子供になっていると途端にチープになる。むろん子役の力量もあるんでしょうけど、リアルな実在感がありました。旅の仲間たちもみんな魅力的。
あと言うまでもなく映えまくる圧倒的なロケーションと衣装、暴力的なまでの映像のパワー。美は暴力、かわいいは正義。
あたかも昔のハリウッド大作のごとく壮大すぎる映像の数々に、だんだんこれ予算大丈夫? と不安になったら案の定、大丈夫じゃなかった。
会社が倒れたりしたせいで現状こんなに見づらくなってるんですね。そりゃこんだけやればね…と頷くしかない。
メインのテーマはおそらく人が人に物語ることの意義だと思う。
個人的に興味深かったのは製作にデビット・フィンチャーが入っていること。
Netflixオリジナルの「マインドハンター」も、相手がシリアルキラーというフックはあるにせよ、人が人の話を聞くだけの行為には、それだけ人を引き込む力があるんだっていう土台のところで通じる作品でした。
あとタイトルバックのスローモーションの連打は、「ハウス・オブ・カード」のオープニングを連想させて、たぶん監督とフィンチャーはうまが合ったんじゃないかな、と思いました。あとはMVで世界中の人を驚かせたスパイク・ジョーンズも製作に参加してる。
そして映画の本質に迫るラストはちょうど今やってるデッドレコニングはじめ近年のトム・クルーズの姿にも重なって、ちょっとじーんとしてしまいました。
「地獄の黙示録」のように、壮絶な現場を経ながら映画史に名を残したフィルムの子孫であり、また石岡瑛子の貴重なレガシーという意味でも、たとえ破産しようがこれを完成させたなら、監督も悔いなしでは、と想像します。
単なるカルト映画にしておくのはあまりに惜しいので、どうにかしてもうちょい触れやすいようにならないものでしょうか。
グーグリ!グーグリッ!死なせないで!
ベッドタイムストーリーズですね。
昔むかし、母が寝る前にしてくれたおとぎ話を思い出しましたよ。
寝る前ですから、あんまり興奮したり怖くなったりするのはよろしくないのですがね、なんせうちの母は高校で演劇部を立ち上げたほどの猛者です。声色も高らかに、ドラマチックに、時に手に汗握り、時にワクワクはやまず、もっともっと続きを聞きたい思いです。
寝物語は楽しい。
幸せな思いで、子供たちはいつしか眠りに落ちて行きました。
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毒薬=
「モルヒN3」を求めて病床で自暴自棄になっていた若者ロイ。
少女に語り聞かせる枕辺の物語は、地球を丸ごと舞台装置にした、勇壮壮大な絵巻物でした!
(そしてなんという贅沢でしょう、CGは一切無し。4年をロケに費やしておいて万里の長城シーンは僅か2秒という驚き)。
「叙事詩」といえば
・あの旧約聖書の「ノアの洪水物語」は、当地メソポタミアの英雄「ギルガメッシュ叙事詩」を起源とする民族の“生き残り”を詠った口伝でした。
・そしてあの有名な「千夜一夜物語」は、ササン朝ペルシアにて暴君シャフリヤールの殺意をなだめるために、側女(そばめ)シェヘラザードが“自らへの命乞い”のために、夜な夜なの”引き延ばし作戦“で語り綴ったもの。
物語には、人の生死が付き物なのです。
しかし、
本作「落下の王国」の英雄譚は、「千夜一夜物語」とは語られた動機が真逆です。
「千夜一夜物語」は語り手が なんとかして生き延びるために 繰り出された"助命嘆願”の構図なのですが、
青年ロイのお話は違います。最終的には語り部のロイ自身が「自らの死」を話の結末に望んでいる。死ぬ結果を求めている。自分が死ぬために、その結末に導くために、物語の筋書きが紡がれている。
自分の討ち死に=ジ・エンドを=ロイはこの一大叙事詩の成り行きの終結に待望しているのです・・
けれど
ハッと目が醒めてしまったロイ。
我に返るロイ。
「死なせないでー!!」。耳元での誰かの声で途切れる死のストーリー。
少女の叫びと泣きじゃっくりで、ロイの物語は頓挫。討ち死には失敗。めでたしめでたしなんです。
・・無垢な少女。お話に入り込んでしまったこの少女アレクサンドリアの、 ロイの耳元での涙の叫びで、ぎりぎり死の淵にあった若者は 悪夢のシナリオから呼び戻されたのでしたよね。
物語が好きだから映画の業界に入ってきたロイでした。そんな彼だったからこそ、もう一度物語の躍動の力によって、命の世界に引き戻してもらえたのだと思います。
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落下の王国
落下した“転落者”ロイがベッドで語った人生は、たくさんの脚色と物語性を盛られながら少女に伝えられていきます。
いつの日か、アレクサンドリアは今度は自分の子供や孫のためにその「ロイの物語」を語っていくのでしょう。
足を折った失意の若者と 腕を骨折した いたいけな少女が、退院を許されない病室の窓から浮遊し飛び出して、時空を超えた夢の世界に出掛けて行ったのです。
◆語る者が生きている限りに物語は続くのであり、
◆聞く者がそこにある限りストーリーは途切れない。
再生と再起を願う母たち、少女たちの声が霧の向こうから聞こえてきます、「死なないで」「生きて」「グーグリグーグリ」。
躓き、後悔。
転落、痛手。
打撲、骨折。
満身創痍で波乱万丈だった我々の人生も、こうして記憶の中から繰り出して思い出してみれば、どれもこれも様々な助けを受けながらの《生き延びてこれた私たちの胸躍る冒険物語》だったではありませんか? そして
《生き延びることを誰かから望んでもらえていた人生だった》ではありませんか?
目から、
なんだかなァ、水がいっぱい出ました。
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Blu-rayで鑑賞。
原語~吹替え~原語で3回です。
お気に入りの絵本は、その良さは、繰り返し読んで含めるとよくわかってきますね。まさに絵本のような映画でした。
ロイとエヴリンが王宮前で、向かい合わせでひざまずくポージングは、息を飲むほどに美しい。
そして特典映像の「石岡瑛子のインタビュー」を是非どうぞ。映画製作の片翼を背負い、衣装のデザインで映画の生き死にを担おうとする辣腕プロデューサーとしての石岡瑛子。その覚悟には圧倒されるから。
事前知識があった方がわかりやすい
評価が高いので視聴するも自分としてはわかりにくかった。
「今」と「想像の物語」が並行して進んでいくけれど「想像の物語」が難しかった。確かに景色は綺麗し、アンドレアも良かったが、2度見るかというとわからない。
逆に2度見るとこの映画の良さがわかるのかなあと思う。
印象に残っているのはアンクサンドレアがロイに云われて薬を盗むシーン。
薬を飲んで死ねなかったロイ。
見抜いていた周りの人の優しさ。
少しずつ二人の友情が深まっていった気がする。
感想を書いているとやっぱり「ええ映画」やったんかなと思う自分がいる。
それはそうとロイは飲んだ薬が砂糖と気がつかんかったんやろか?あんなけ飲むと結構甘いから気づくと思うけれど・・・
ハッキリ言って駄作と何故言えないの?
設定もストーリー展開も不快で緩慢でうざいだけ。寝物語はシュールで美しく石岡瑛子の衣装もそれなりに豪華だったが 少なくともベルトリッチや黒澤、ゼフェレッリのこだわりに比べたら本編との映像格差がありすぎて茶番にしか見えない。似たような設定でラビリンスと言う映画を思い出したが遥かにラビリンスの方が優れている。この監督の作品初めて見たがもう何本か見てみないと何とも言えないがことこの作品に関しては辛口の評価にしかならない。力はあるのだろうが頭でっかちで凄く詰まらない。
掘り出し物
ものすごく珍しい映画に出会えたという感じです。ファンタジーとして描かれた部分は全て劇中の想像という位置づけなので、作品自体はSFでもファンタジーでもなく、そしてその想像したもののビジュアルが何を置いても素晴らしいです。
テリー・ギリアムの「バロン」を思い出しましたが、それでもくくりきれない素晴らしい想像ビジュアル化でした。
ストーリーを求めない景観と美術の極み
難解というレビューが多かったのでどうかなと思ったが、ギリアムを分かり易くした感じだった。
特典映像でも監督が言っていたけど今まで撮影されていない美麗なロケーションは本当に眼福。
こんな場所が世界にあるんだと分かっただけでも見た甲斐があると思う。
自然界の色彩のコントラスト。それに融解するような衣装・セット。物語のある動く美術館の如く。
キャストのマッチングが良き。特に助演女優の方が衣装(空想のシーン)に映える容姿で映画の美麗さを微増していた。
ストーリーについては…割愛。
アートです
日テレ、映画天国で放送していたのを録画で見た。タイトルが興味をそそられて、内容はよくわからないけど、とりあえずって感じで。また、録画見る前に、BS日テレの「ぶらぶら美術博物館」で、衣装デザインの石岡瑛子さんの回顧展を紹介され、この映画が取り上げられてた。まあ、なんとエキゾチックできれいなこと!
ロケーションがとにかくすごい。背景、色や構図のこだわり、無国籍な衣装デザイン、完全にアート。そして、アレキサンドリアのいたいけさ。ロイの下がり眉もかわいい。なんかもう、ストーリーとか演技とかどうでもよく、ただただ画面の美しさを眺めていればいい、と思ってしまう。いつも録画した映画は見たら消去するけど、これはしばらく残しておこう。
言葉で表現し難い観後感のある作品
自殺願望を抱く青年ロイと、同じ病院に入院中の少女アレクサンドリアの「作り話」を巡って紡がれる物語。
ロイが作って聞かせる物語の世界(=空想)と現実とが交錯し、最初の方はちょっとよく分からなかったのだけれど、ロイの心の傷が物語の進行に沿って紐解かれていくことで映画の世界に引き込まれていった。
CGを一切使用していないそうだが、単に映像美と語るのは言葉が足りないだろう。
植物や土などの自然美、建造物の建築美、衣装や自然のなかにある色彩美、それらの美しさと、素朴な人々の対が心地良い。
人は物語を必要としている
人は物語がなければ生きていくことが出来ない。
だからこの世界には物語が溢れている。
小説や映画といういかにも物語らしい物語は当然として、他にも国家という物語、宗教という物語、哲学という物語…もちろん日々の個人的でひっそりとした物語もある。
都合の良い虚構をこしらえて、それを支えにすることでなんとか生きていくことが出来る。
そういう意味では、物語は人間の弱さの象徴でもあり、人間の強さの象徴でもある。
この映画の中では、少女の頭の中に誕生した「世界で最も美しい虚構」が、2人の人間を救った。
あくまで映画なのでもちろんこれ自体が虚構なのだが、おそらく、この虚構がもっと多くの人を救っているはずだ。
こんな娘、女の子が欲しくなった
いい映画。映像、ストーリー。私は涙が出た。
とくに、死なないで・・の言葉に。
こんな無垢で無邪気でおしゃべりが上手な女の子が娘だったらなあ。
毎日、あのね・・といろいろ話しかけてくれ、ほっこりするでしょうね。
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