真木栗ノ穴のレビュー・感想・評価
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そこそこ面白い
2007年と少し前の作品だが、その根底にある概念は深い。 「この世に矛盾が蔓延り、終末が近づいている。どうやら私たちの世界が、ある一人の男の空想であることが、近く発表されるだろう」 この最後のメッセージは、量子力学を突き詰めてゆく先に見えてくる宗教的世界観との合流を表現したと思われる誰かの言葉だが、村上春樹の小説『1Q84』にも登場する言葉だ。 この世界を究極に突き詰め「この世界を表現した」言葉でもある。 作家はそれをホラー作品として体現したのだろう。 さて、 主人公真木栗が認識する世界 それは我々が認識するものとは少々違っている。 それを単に霊の仕業だとするのではなく、その物語、つまり現実を書いているのは「自分以外の第三者」だとしているところがこの作品の面白さだ。 現実とは、認識である。 起きる出来事は、その見え方は認識によって異なってくる。 認識できなければ見ることさえできないというのが、最新の量子物理学だ。 真木栗は無意識的に、つまりこの物語では霊力によって幻想を見ていたと、一般的に解釈されるだろう。 彼はひょんなことから依頼された官能小説の連載に悩んでいた。 そして宅急便や配置薬営業と、隣に住む比較的若い女性とを彼自身がつなぎ役となり、想像した内容を小説に書く。 しかしそれがことごとく具現化されていく。 やがていつもの宅急便配達員が行方不明となっていることを知り、新聞で死亡事件として扱われている記事を読む。 同様に配置薬の営業マンも自殺したことを知る。 しかしこれは彼がまだ書いていないことだ。 ここが推理ものとホラーものとが混ざり合う場所。 となりの荷物とは男の荷物であり、それを真木栗が妄想したのだろう。 自分では事実を書いているつもりだが、それは妄想であり、彼自身どこまでが妄想でどこが現実なのかをすでに認識しきれていないことが伺える。 特に最後の町中華のシーンでは、時間さえ逆行しているかのようだ。 誰かの空想だから矛盾がある。 それは終末の所為。 人生で起きる出来事は、誰かによって作られたもの。 量子力学の曲解 でも面白さがある。 特に終末という表現は、当時がまだノストラダムスの大予言から抜け出していなかったからかもしれない。 真木栗は確かに原稿を書き、それが連載された。 霊に憑りつかれたアパート いるはずのない女 宅急便屋と配置薬屋は本当にミズノサオリを訪ねたのだろうか? 二人の死は現実なのだろうか? アパートへ行くための山をくり抜いたかのようなトンネルは、この世とあの世の境界線なのだろう。 取り壊しが1か月後に迫るアパート 背むしのじいさんは実はアパートの管理人で、彼もまたミズノサオリに憑りつかれているのかもしれない。 不自然過ぎる感性のミズノサオリ 真木栗の妄想の産物 部屋にサンドバッグなどありえない設定の男 そして「穴」 穴があっても自分は絶対覗かないと言った編集者のアサカナルミ でも、真木栗がいない時に穴を覗いた。 しかしその穴は覗けるようなものではなかったが、真木栗が穴をあけようとしていた形跡はあった。 それはまさに真木栗がアサカを断罪したことが起きた瞬間だった。 嘘 正当化する行為 誰もがするはずなのにしないとうそぶく。 アサカが仮に本心で覗かないと言っても、それをさせる「何か」がいるというのを、この物語は言いたかったのだろう。 自分自身の意外な行動 誰かの隠し事を暴こうとする行為 それは、私ではない誰かが私の言動を作っているからだと、この作品は言いたいのだろう。 時間のループさえ「この現実世界」では自然なことで、それに驚愕する一人の男を描くことで、この世界の知られざる矛盾を描いてみたのだろう。 汲み取ると面白さがわかるものの、少々どっちつかずの作品でもあったように感じた。
ホラーまでは見に行かないけど、不思議世界に浸りたい方にお勧めします。
屋根裏から止宿人の生活を覗き見し秘密を見る江戸川乱歩『屋根裏の散歩者』に近いお話。また書いた小説どおりに、事件が起きるのはジョニー・デップ主演『シークレット ウインドウ』品を彷彿とさせます。 原作は、四谷ラウンド文学賞を受賞し、評論家に絶賛された女流作家・山本亜紀子による異色の小説『穴』。 となり部屋と隔てる壁に穴が空いていたら、あなたはどうするでしょうか。主人公である作家真木栗勉は当然のぞくのが人間の性だといって、絶対覗かないと言いはる担当編集者の浅香に偽善者のレッテルを貼るのです。 狭い部屋で、覗きに没頭する真木栗。熱中していて自分がどんなヘンな格好で覗いているのかも気にしていないのです。そこを浅香に見つかったときにヨガのポーズと言いはるところが可笑しかったです。 穴というものには、エロティシズムとミステリーが漂います。特に隣室に越してくる妖しい女佐緒里は、清楚な美人。ところが穴から覗く男たちとの情事では、まるで別人のように悩ましく求め、喘いでいるのでした。 築後40年の古いアパートという背景のなかでの情事。それを壁に空いた穴から覗くシーンは、大昔のロマンポルノの雰囲気が漂っていたのです。 ところがこの情事、不思議なことに真木栗が描く官能小説の筋書き通り、佐緒里と接触した男たちが、突如佐緒里と関係を持ってしまうのです。それだけでなく接触した男たちは、交わって数日で次々に怪死していくのです。 詩文の小説の架空の世界と現実とがリンクする事態に、のぞき見の好奇心と不可解な恐怖感が真木栗を狂わしていくのでした。 そして、テレビのニュースで隣に住んでいるはずの佐緒里がすでに元夫と心中していること。住んでいるアパートは幽霊のたまり場であることを知った真木栗は愕然とします。 もうその頃には、真木栗は何かに憑かれたように、痩せこけていくのでした。それでも真木栗は、田舎から贈られた梅酒をもって、隣に住む佐緒里に届けます。二人で肩を寄せ合いながら、酒を酌み交わすのでした。 それは真木栗の妄想なのでしょうか。現実なのでしょうか。監督はどちらともとれる絵作りをしています。妄想が現実となり得る、不思議な時間のない場所に存在する映画なんですね。 映画の舞台となった古都・鎌倉。その一角にひっそりある、緑と水に濡れた釈迦堂切通し。そこは現実と幻想の境界のよう。この場所を超えて、舞台となる真木栗のアパートの領域に入れば、混沌としていきます。懐かしもあり恐いところでした。 深川栄洋監督と主演西島秀俊が誘う、日常の、その先にある「幻想の世界」を見事に描き出しています。ごく普通の作家が穴を通じても狂気の主人公に変容していくところはすごくよく演じていました。 深川監督の演出は、「きみの友だち」なみにスローテンポで、芝居をじっくり見せるタイプでした。 佐緒里を演じた粟田麗は、清楚さの中に漂うエロティシズムが白い日傘に映え、まるで古き良き日本映画のヒロインのようでした。「昭和モダン」の薫りがたちこめる女優としてベテラン監督から重宝がられているのも頷けます。 そして、キムラ緑子、北村有起哉、松金よね子、田中哲司、利重剛らの実力派が若い監督をしっかり支えて重厚感を醸し出していました。 ラストの余り説明しない終わり方には、いささか不満はあるものの、古都鎌倉を舞台に舞台に、本のページをめくるように物語は、妖しく展開し、白日夢のような世界に誘われることでしょう。 ホラーまでは見に行かないけど、不思議世界に浸りたい方にお勧めします。
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